アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

記憶について No.5 ばー!とパー!後日談

   記憶力は相変わらずですが、今年に入って最近のおママは前向きで意欲的です。

先日、女学校時代のお友達との会食会に行きました。

   一年前は場に馴染めず(分からず?)気分が悪くなり中座してしまいました。

でも今回は最後まで楽しかったようです。
送迎役のオネコも嬉しい驚きでした。
いつも気に掛けて誘って下さるお友達の皆様、ありがとう御座います。

 

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            (2017年2月26日  診断から約10年)

 

◉episode(2017年2月下旬  上記、会食会の日)
実家から最寄駅まで10分弱。
「どこ行くんだっけ?」
道々、延々、聞き続けるおママ。それを平然と答え続けるオネコです。しかし、10回目くらいに、おママの口から驚くべき発言が!

「やんなっちゃうな~
またパーだっていわれちゃう。」

今回のメンバーは同級生です。
「えーっそんなこと言う人いないでしょう皆おばあさんだもの。」

とオネコが言ったら…

 

「だから自分で先にパーなのって言っちゃうの。」

 

冗談か?さして大きな意味はなさそうでしたが...。オネコだって返答に窮しますよね…。

 

   電車に乗ってからのおママは、
「それで帰りはどうするの?」
の繰り返し。オネコも慣れたものです。
「私の買い物が済んだら、終わる頃レストランに迎えに行くわ。」
そう答え続けていると…。

 

「やだわ~最近ほんとにパーになっちゃって」

えっ⁉️

ちょっと前までは
「最近すぐわからなくなっちゃう、頭が変なの」
と言っていたのに、この日はパーを連発。

それで2人が終点ターミナル駅で下車し、レストランのあるデパートの入口に着く頃。
おママは、
「今日は何しに行くんだっけ?」
から巻き戻されていたとさ…。(笑)

 

   オネコからLINEでこの話を聞き、私は椅子から転げそうになりました。

 

『こないだ、なんかパーって言ってたんだよね?
バーパー?とかって
よほど強力にインプットされたのかな?
パーって言われたと思ってるのか?

お友達にも披露するかもね~』

 

  そう言えば、前の日も「パー」と言っているのを、私も聞いています。

おママ…。あの「ばー」と「パー」の一件は1週間以上前の事でしたよ。

どうして急に出てくるやら⁉️

ま、確かに私は要らぬ軽口を叩いたと反省してますが、

決しておママを「パー」と言う積りはありませんでした。(涙)

それにしても…。


最近のおママの記憶は5分と持ちません。
すぐに忘れてくれると思ったのに…。

 

悪口を言われたと思ったり、恥ずかしいと感じた事は強く記憶に残りやすいのか?

 

    一方、オネコは別のことでショックを受けました。

診断から10年以上ですから、オネコも私もかなり鉄面皮になっております。(笑)
たとえ、おママに20回同じ事を聞かれても、

顔色一つ変えずに、初めて聞かれたように答える自信があります。

しかし…。
「やはり私の表情に出てしまい、おママに悟られてるのかな?
自分が何度も同じことを聞いてるのかもという意識があって、

『最近パーになっちゃって』と冗談めかして予防線を張っているのかも…⁉️」

 

 おママの脳には朧げな記憶か、むしろ印象に近いものが残るのかも知れません。

そして、私達の想像以上に敏感に物事を感じ取っているのかも知れませんね。

 

 

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東日本大震災 No.4

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                (2011年3月15日 診断から約4年1か月)


3月12日
実家で目を覚ました時、私は不思議な気がしました。
(朝が来たんだ…。)
朝が来たら、全てがリセットされたら良いのに…。
そんな夢物語はあり得ず、テレビで流れる被災地の惨状は更に悪化しているようでした。

 

    相変わらずおママは

「どうしてこんな事になったの?」
を連呼していましたが、私は昨夜の反省もあり、優しく接するように努めました。(イマイチ自信はないです。)

  ジジは昨日に比べて元気を取り戻していました。朝から東京ガスに電話して修理の手配をしていましたから。
昨日より落ち着きを取り戻しつつある実家。
「オネコも近くにいるし、家の事もあるからチャーコは早く帰んなさい。」
ジジに勧められて、私は帰宅する事にしました。

 

  駅前に行けば昨日閉店していたスーパーが開いていました。

早くも店内はいつもより来店客が多くて混雑しているのです。

肉も魚も普段より品は多かった…。ただ念のため私はジジに電話をしました。
「夕方ではなく、昼前には買い物に行った方がいいよ…。」

 

  あの強烈な地震から一夜明けて、首都圏の交通機の多くは復旧しました。
土曜日の午前中なのに、乗り換えのターミナル駅は、まるで平日の夕方のように、多くのサラリーマンや学生が家路を急いでいる…。その顔には一様に疲労の色が滲んでいたのが忘れられません。

あの日、帰宅困難者の中には歩かずに職場に留まった人も多かったのですね。

 

  意外にも、自宅の家具は倒れていませんでした。全身ダルさを感じながらも、

ほっとしていた昼食後。
私達がテレビで見たのは福島第1原発の爆発でした…。


  地震自体の被害はそれほどでもなかった東京。

それを境に大きな不安と絶望感が広がっていきました。

 

  実家の壊れたガスコンロの事ですが…。

週明け月曜の午後には新しくなっていました。
トッププレートが真っ黒で、ちょいと格好いいのです。
「在庫がこれしかないと言われて、早い方が良いから、おママも納得したんで、付け替えたよ。」
ジジは得々として語るのですが、これが後々大変の元になるとは…。(笑)


「わたしに断りもせず、勝手に黒いのにした!どうして相談してくれないの!」
「黒い色は怖いのよ。だから黒は嫌なのよ!」
おママは日に何度もこの事でジジを糾弾し始めたのです。

「ちゃんと相談したよ。」

  でも、忘れるのだからどうしようもありません。

私がアルミカバーを被せたりしましたが、ジジの受難は2ヶ月ほど続きました。


  この時まで、私達はおママが黒を嫌っているとは知りませんでした。
真っ黒は暗闇を連想させるそうです。

おママには、今も黒一色の物は要注意です。

 

 

 

東日本大震災 No.3

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      (2011年3月12日 診断から約4年1か月)

 

   この地震震源はどこなのか?当初、私はこれ以上の揺れに見舞われた地域があったなんて、想像すら出来ませんでした。

ジジの両親(私の祖父母)は仙台の人です。今も親戚がいます。

   テレビに映し出される光景に胸が潰れる思いでした。ジジにとって強い揺れは身にこたえたようです。画面を見つめて放心状態でした。
    おママは画面を見るたびに、
「なんでこんな事になったの?」
津波の映像を見ては、
「逃げて〜」
と叫びます。ただでもパニックになりかけているのですから、私はその都度、穏やかに事の次第を説明しました。テレビを消しても、付けっ放しが習慣なので、おママは直ぐに自分で付けてしまいます。

 

   しかし、私もいっぱいいっぱいです。
夫と姑とは3時前に電話で話す事ができましたが、アズキとは連絡が取れていません。
おそらく銀座に出掛けているであろうオネコもどうしているか分かりません。
電話が繋がらない状態では、出来ることをするしかない…。

 

   この時、ガスが止まってしまいました。ご近所は大丈夫だったのに、実家はガスメーターの復旧ボタンを押してもガス台は点きませんでした。

   夕飯は電子レンジで調理出来る物を考えましたが、せめて食後に暖かいお茶くらいは飲ませたあげたい。
それで、電子レンジで温めて飲めるように、私はペットボトルのお茶を買いに行きました。

   しかし、駅前のスーパーは全て店を閉じていました。コンビニもです。

一件だけ店頭で潰れたペットボトル飲料を半額以下で売っている店があり、お茶を2本だけ買いました。他にもすぐに食べられそうなパンやレトルト食品も買いたかったのに…。

 

    私が肩を落として戻ると、炊飯器からご飯の炊ける匂いがしました。

ジジによると、
「災害の時は炊ける時に炊くんだ。炊き出しだ!

おママがそう言って炊いたんだよ。3合も…。」


  どうやら私がガスメーターと格闘したり買い物に行っている間に、おママはおママなりに考えて動いていたのですね。この時のご飯は一際、美味しそうに香りました。

さすが❗️おママ。


  しかし、炊き上がると、ご飯を混ぜっかえしながら、おママは言うのです。
「どうしていつもよりたくさん炊いたのかしら?」
おママったら…。(笑)

 

   夕方の6時頃、夫から電話があり、アズキが帰宅した知らせが入りました。

オネコについては、姪っ子のユズちゃん経由で銀座から歩いていることが分かりました。

  8時を過ぎて戻ったオネコ夫婦を見た時、私は心底ほっとしました。
「心配だったわ。本当に、この家が潰れてなくて良かった…。」
オネコも安堵の笑みを浮かべました。

 

  この夜は交通事情もあり、私は実家に泊まりました。
おママが不安になるといけないので、テレビは消しました。
でも、尋常ならざる事を本能で感じるのか、私が気が付くと、おママはテレビに釘付けになっています。そして泣かんばかりに聞いてくるのです。

「どうして、こんなに、燃えてるの?」

それは火の海となった気仙沼…。そして市原のコンビナート火災の映像でした。

 

  地震発生から、私は何度おママに説明した事でしょうか?
地震があった事。大変な津波が来た事。
それを1時間に5回として、40回くらいでしょうか。

流石に私も限界でした。泣きたいのは私の方よ。


「おママ、もう、いいから寝てください。テレビは付けないで❗️」
思わず声を荒げてしまいました。
いけない事とは分かっています。でも、私はおママを強引に寝かせて、家中の電気を消しました。

東日本大震災 No.2

   あの震災から6年です。

大きな被害の無かった東京にいて、私が語れることなんて無いです。

被災した地域に暮らしていた方々、認知症の方々とそのご家族を思うと、

私があの日について書く事にためらいもあります。

でも、せっかくブログを始めたのですから、書いてみようと思いました…。

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          (2011年3月12日  診断から約4年1か月)

 

   キーボードを打つ音がしている…。

その軽い音に集中しながら文書作成をしていた私。しかし、地鳴りのようなゴーッという音が聞こえて、ふと手を止めました。
(あれっ?)
その瞬間、激しい揺れが襲ってきたのです。パソコンのモニターが音を立てながら震えました。私は左手で机にしがみ付き、マグカップのコーヒーを慌てて飲み干し、何とか文書を保存しました。そしてパソコンを閉じた時に地震は治まりかけたのです。

 

   しかし、ホッとしたのも束の間でした。更なる激震が始まったのです。
(アズキはどうしているんだろう…。)
私がまず思ったのは高校生で電車通学をしている娘の事です。期末試験で早帰りしているはず…。
2階にいる親の事は、全く考えなかった私です。
そうこうしているうちに、1階のパソコン部屋はバキバキ!メキメキ!という不気味な音をたて始めました。私が身の危険を感じ始めた時、2階からジジの叫び声が聞こえたのです。
「チャーコさん❗️上がってきて❗️1階は潰れるー。」
あ、そうだわ。
高齢のジジ、アルツハイマーのおママがいるのだ。

あまりの揺れに私は自分の事だけだった…。
我に返った私は四つん這いで階段を上がりました。

 

   ますます揺れが強くなるなか、ジジは身を呈して戸棚とテレビを押さえ、落ちてくる置時計を避けていました。おママは「助けて〜。早く終わって〜」
とわめきながら、食器棚にしがみ付いていました。
私は急いでおママと一緒に食器棚を押さえましたが、

何と言っても築80年近い木造家屋。

バサバサと激しい横揺に、もうダメだと思いました。家が崩れる!
(ここで親と一緒に死ぬんだ)
初めて生死の境を意識した瞬間でした。

 

   東京23区の震度は5強と5弱です。実家の地域は5弱でした。しかし、建物の構造や階層によって体感震度は異なります。私が感じた揺れは5強だったと思います。
「あと少し長かったら、潰れていたね。」
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、九死に一生を得た。

ジジもそう思ったそうです。

 

   あれだけの揺れを体験したのに、

3時過ぎには、おママの記憶から地震の事が消えていました。

「どうして時計が壊れたの?」
置時計を見て言うのです。たった15分前の事ですよ。


「さっき強い地震があったでしょ〜。」


おママは分かってない事を取り繕う時の決まり文句で返してきました…。
「そうよね〜?」
ジジも私も、まだ身体にあの揺れが残っているというのに…。

信じられない…。

(つづく)

 

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東日本大震災 No. 1

 

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            (2011年3月10日   診断から約4年1か月)

 

  あれは寒い日でした。

  朝はそうでもなかったのに、昼前から空はどんより曇りだし、芯から凍えるような日。

   午前10時頃、私は実家近くの細い小路を歩いていました。

すると不思議な事に、前の風景がまるで陽炎のように、ゆらゆら揺らめくのです。

一瞬、私はふらつき、
(目眩かな?)
と思いました。悪い胸騒ぎとともに、景色の揺らぎは数秒続いて治ったのです。

 後になってみれば、これは予兆ではなかったか?

地磁気の揺らぎではなかったか?(笑)
そう、思います。

 

  しかし、これを言うと家族はまともに取り合ってくれないどころか、

「気のせいだ」
「目が悪いから」
「更年期じゃない?」
と、散々です。

まぁ、気のせいとしても、

この事があったから、私は実家であの時を迎える事になったのです。

  あの東日本大地震の日。
金曜日でしたね。
毎年3月後半はとても仕事が忙しいけど、束の間のゆとりを感じていた11日。
私は2時半くらいで早退し、帰りに行きたかったお店に寄ろうかと計画していました。
お買い物をしたかった!

 

   午前中は忙しく業務を片付け、昼食はジジとおママと普段通りに済ませました。
早退しようと思えばできたのですが…。
あの風景の揺らぎと胸苦しさが頭をよぎりました。

「寒そうだ…。5時まで仕事して真っ直ぐ帰ろう。」


私は2時半に決めました。

そして、Wordを開いて新たな文書作成に取り掛かったのです。

 

    おママは機嫌よくしているようです。
ジジは昼食後は仕事をする気もなく、2階の自宅でテレビを見ていました。

 

    そして2時46分…。

ばぁーー⁉️

   いつものように、ジジに頼まれた買い物をして実家に行きました。
今日は食パン1斤です。税込72円なり。 安い❗️
実家の近くに安い業販スーパーがあり、そこはジジのお気に入りです。

 

   それで例によって、おママに家計簿を付けてもらい、立替分をもらいましょう。
お財布を逆さにして小銭をじゃらんと出し、おママは言いました。
「72円はないわ。」
確かに茶色の10円玉は1個も有りませんね。
「102円頂ければ、30円お釣りを差し上げますよ。」
私が自分の財布を開いて30円出しますと、おママは小銭を数えます。

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                 (2017年2月10日  診断から約10年)

 

「小さいのが、ひぃ、ふぅ。大きいのが、ひぃ、ふぅ。はい、102円。」
あらっ?いつの間にか202円になってますね。(笑)

「それでは100円多いわ。」

混乱したおママと一緒に数え直しました。

1円玉が1つ2つ。100円玉が1つで、102円。」

「あーっ、そうか、そうか。」
おママは理解してくれたました。
さっきは1円玉を数えた時の『ひぃ、ふぅ』のリズムが100円玉にも影響したのね。

 

すると、おママが自嘲ぎみに言うのです。

「私…、ぁーー!になったみたい。」

ばぁー?

83歳ですから確かに「婆ぁーー!」ですわ。言うまでもない。

 

「えっ?ばぁーー?」
聞き返すと、おママは笑顔で頷きました。

ばぁーー!なの。」

私は腑に落ちません。何か言い間違いかも知れないわ。


ばぁーー!ではなく、パァーー?」

私がそう聞き返したら、おママは真顔になってしまいました。


パァーー?」
そう発音しながら、何かこの音に悪い引っ掛かりを感じているようです。


何度か「ばぁーー!」と「パァーー!」を繰り返してから、


ばぁーー!パァーー!どっちにしようかなぁ。」
と言うおママ。


   私は少々気が咎めました。要らぬ事を言ってしまったか…。
「どっちでも良いわよ。」
もう、忘れてください。


   婆ぁーー!だって、パァーー!だって、良かぁないです。

でも、その音に込められた微妙なニュアンスが、なんとなく分かるのですね。

嬉しい。
おママ、侮れません。

 

どっちですかって…⁉︎

まぁ、本人の前では言えませんが、
両方ですね。(笑)

横綱

   先場所は稀勢の里関が横綱になり、ジジも大変喜んでおります。

春場所も応援に力が入りそうです。

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                  (2017年2月26日  診断から約10年)

 

  でも、話題は大相撲ではなく、おママです。

 

  何と申しましょうか…。
おママはお痩せさんではありません。(笑)
お腹周りは、なかなかどうして立派なものです。


  逆にジジは栄養が付きにくい体質で、カロリー高い食品を好む割に痩せています。

朝起きて、ズボンを履いて前を止めようとしているおママ。きついのでしょう。

 

「くるしい〜。」

と喚いたそうです。

   その時、ジジはちょっと嫌味が言いたくなりました。

 

  それで…。

「あなたはウチの横綱だね!」

すると、おママは目を三角にして怒り、

「なによ、ひどいわね‼️もう、知らないから!」
と言ったそうな。

 

  ジジは
「もう知らないと言われてもね〜。今さら…。」
と笑っていました。

その話を聞き、私は感動を覚えました。このところ、単語が失われているおママが

横綱」→「お相撲さん」→「その体型」

を連想して理解できたのでしょうか?

 

それなら、これは嬉しい!

でも、たんにジジの語感から、貶されてる事を本能的に感じ取っただけかも。(笑)

 

  本当はどっちか、おママに聞きたいけど、それは不可能ですね。