アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

記憶についてNo.12 家族を忘れて⑤(2015年春以降)

 

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         (2015年11月28日  診断から約8年9ヶ月)

 

前記事の続きです。長くなってすみません。

 

記憶の回路

家族が分らなくなるというのは、かなり認知力が低下していると思うのです。

この2015年の春以降、私は今の暮らしが終わるのも近いのではないかと思いました。

 

しかし、そうでもなかったのです。

私の事を娘だとしっかり認識しているような時もあり…、こりゃダメだと思うこともありました。

 

例えるならば、脳内に痛んだ記憶の回路があるとします。その回路は頻繁に電気信号が伝わらなくなるのですが、時として何かの拍子にピュッと通ったりする。
そんな感じなのです。

 例えばこんな事がありました。

 

 episode(他人)

アルツハイマー認知症と診断されて7年くらいは、私が夜まで残業をしていると、おママは気になって気になって仕方ありませんでした。
「チャーコをこんなに働かすなんて、お父さんはヒドイ‼️」
とジジを責める事も多かったのです。
しかし、この頃(2015年)から反応が変わりました。
「あなたは今どちらに住んでいるの? あら、大変ね〜。ご家族もいるでしょうに、お家のことは大丈夫なの?」
という感じです。こんな時、私は他人でしょう。(笑)

 

 episode(娘)

この年(2015年)の7月におママは虚血性大腸炎になりました。

この時、さすがの私も泊まり込みましたよ。
夏は枕さえあれば板の間に直寝しても爆睡出来る私。(野生的⁉️)
「敷布団は要らないわ。」
そうジジに言ったのです。するとおママは激怒。
「お父さん‼️チャーコに布団を敷いてあげなさい。」
「要らないです。」
「本人が要らないと言ってるよ。」

数分の間は納得するのですが、またぞろ…繰り返しました。
「チャーコに布団を敷いてあげなさい‼️」
この時ばかりはチャーコ=娘
としっかり認識出来ていたようです。

 

 episode(他人)

仕事をしている午後。
私はコーヒーを淹れたくて2階に上がりました。
おママはロッキングチェアで寛いでいたのですが、私の急な出現にかなり驚いたようです。
「⁉️」
絶句して固まっているので、
「お母さん。休憩中ですか?」
と声を掛けたら「あぁ〜」とホッとしたように笑いました。
この時は絶対に、知らないオバちゃんが急に現れたと思ったのでしょう。
「お母さん」と言われて、見知らぬオバちゃんが娘と分かり安心したようです。

一方、おママの状態について、オネコは私とは少し違う印象を持っていました。

 

次回に続きます。読んで下さりありがとうございます。

同じ時期にこんな事もありました。⬇️他のアルツハイマー認知症の方は分かりませんが、おママの症状は一定ではありません。急に記憶の回路が繋がったり、昔の記憶がポンと飛び出したりするから、私は一喜一憂してしまうのです。

 

harienikki.hatenablog.com

 

 

記憶についてNo.11 家族を忘れて④

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            (2015年3月30日  診断から約8年2ヶ月)

前記事の続きです。長くなってすみません。

この言葉はやはりキツかった。

「う〜ん。実はよく分からないの。でも、お母さんと呼ぶから…。娘かな…?」

私は少なからず動揺しました。

しかし、診断から年月が経っているので、おママに『あなたは誰?』と聞かれても、それは想定内のことです。心を占めるのは悲しみより、深い諦観ばかりでした。

 

しかし、この言葉は私の親子関係の概念を崩壊させるものでした。

 

お母さんと呼ぶから、娘ならば…。

おママと全く関係のない女性が「お母さん、お母さん」と親しげに呼べば、その人も娘になってしまうのか⁉️

現に夫の顔が分からない時もあるのです。おママは娘の顔も確信が持てないハズ…。

 

おママに徘徊の症状は出ていませんが…。
もし見知らぬ場所に1人で行き着いたとします。そこで、知らない人に「お母さん」と声を掛けられ、付いて行ってしまったら、即席の擬似親子が出来上がる可能性もあります。

考えると恐ろしい話ですね〜。

同時に、オネコや私だって、頻繁に「お母さん、お母さん」と声を掛けていなければ、おママにとって、私達は娘でなくなる…⁉️

 

ひぇ〜。想像するだに怖すぎ。

私はこの日から次の事を心掛けました。

頻繁に「お母さん」と声掛けする事。
私を他人だと思っている時にビックリするといけないから、なるべく丁寧に優しく話しかける事。

 

ここまで認知力・記憶力が落ちると、後は真っ逆さまに症状が悪化するのではないか?
この頃(2015年5月)の私は不安に思いました。

(意外にそうでもありませんでしたが…。)

 

一方、オネコは…。

ジジや私が目の当たりにしたおママの悪化を深刻に受け止めても、我が事として実感してはいませんでした。

おママがお友達との会食の時、オネコはお店まで送り迎えをしていました。(今も。)
それで、お迎えに行くと、お友達に言われたそうです。
「『オネコちゃんが迎えにくるわよ』と言ったら『オネコって誰だっけ?』と言ったのよ。」
オネコは名前だけでは娘がピンと来ないのだと思ったそうです。

 

明日に続きます。

読んで下さり有難うございます。

記憶についてNo.10 家族を忘れて③(2015年春のつづき)

 

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           (2015年4月4日 診断から約8年2ヶ月)

前記事の続きです。

記事 お花見から帰って…。

  この日、ジジはショックを受けましたが、おママを責めたりはしませんでした。
だから暗い面持ちのジジとは対照的に、おママは帰宅後も上機嫌です。
そんなおママの姿を見ながら、私は内心、複雑な心境でした。

やはり…、そうだったか。
おママは私達を家族と認識できない時もあるんだ…。
去年のあの時も、きっとそうだったんだ。

それと同時に、心の片隅でこうも思いました。
私はおママに上手くしてやられていたのではないか?
もし、あやふやな記憶の辻褄合わせのなかで、
おママが『親子の確信がない事を悟られまい』と演技しているとしたら…。
本当にお上手!

そんな風に思うのは私が意地悪だからでしょう。

 

  診断から充分、年月がありました。
親に忘れられたと分かっても、私には心構えも身構えも出来ている筈です。
だから、軽く聞けそうな時に、
(あっけらかんと確かめてみよう。)
私は決めました。

 

そして私は決行しました。

  丁度、その日の午後。
ジジが席を外している時に、おママが階下のパソコン部屋にやって来ました。
「あなたも大変ね〜。私で出来ることがあれば手伝うわ。」
決まり文句を口にして、機嫌よく笑っています。
私は今だと思いました。努めて笑顔で穏やかに、私は尋ねました。

「ねぇ、お母さん。私の事、誰だかわかる?」

おママが面目を保ちたいと思えば、なんとか出来る最大のヒントを上げたのです。
ところが、おママは私を静かに見つめました。

「う〜ん。実はよく分からないの。でも、お母さんと呼ぶから…。娘かな…?」
「娘なのよ…。」

そう答えたら、おママはホッとしたような表情を浮かべました。

「名前は分かる?」
「う〜ん。分からない。」
「オネコかチャーコかどっちだか分かる?」
おママは再び私をじっと見つめました。
「チャーコかな…?」
私は精一杯笑顔を作りました。
「そう、チャーコなの。」
おママは狐につままれたような感じで佇んでいました。
「お母さん、教えてくれて、ありがとう。」
私は何とかこの言葉までは笑顔で言えたのでしょう。
おママは無邪気に微笑んで、2階に上がって行きました。

 

  確かめようと決めたのは私です。
私には診断から何年も時間があった。
心構えも身構えも出来ていたはず…。動揺なんかしないはず…。
後悔なんてしていません。
むしろ、はっきり分かって良かった。ほんとありがとう…。

 

  ところが、胸のあたりが苦しくなるのです。
打ちのめされて、この後、仕事になりません。
頭にカーッと血が逆流するのを感じました。
この時、私が血圧を測っていたら、うんと跳ね上がっていたでしょうね…。

ジジにこのことを話したら、
「よく直に訊けたね…。」
と驚いていました。そうですよね〜。私はバカなんですかね〜。(笑)

 

読んで下さりありがとうございます。

明日に続きます。

 

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記憶についてNo.9 家族を忘れて② (2015年 春頃)

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            (2015年4月8日 診断から約8年2ヶ月)

 

🌺あれから(前記事)取立てて何もなく…。

  年が明けて2015年となりました。

おママはアルツハイマー認知症の診断から8年目を迎えました。

元気ですし、目立った変化はありませんでした。
しかし、ジジもオネコも私も漠然とですが、おママの症状は進んだなと感じていました。

やった事は忘れる。
何度こちらが伝えても、キレイさっぱり忘れてくれます。
気がかりになると、繰り返し同じ事をしつこく聞いてきました。
それは緩やかですが確実に進んでおり、運命は許してはくれないようです。

 

時々、おやっと違和感を感じる事もありました。
でも、おママは母であり、私は娘であるという基本軸はぶれていない。
そう思いました。

 

私が希望的観測に基づいて接していたから?
おママが上手に分からなくなっている事を取り繕っていたから?
きっと両方でしょう。

 

🌺ついに…分からなくなったのか⁉️

2015年の春。桜が咲く頃。


   ジジとおママは公園にお花見に行きました。勿論、ジジは写真を撮るためです。
満開の桜の中を平日でも沢山の人が行き交う園内。ジジが写真撮影に夢中になっていると、後ろからおママに声を掛けられました。

 

「あなたは田中太郎さんですか?」

ジジは暫しシャッターを切る手を止めて、不安そうなに佇むおママを見つめました。
「そうだよ…。」
「あー、良かったわ。」
おママは微笑みました。
ジジの頭の中は真っ白になったそうです。ひらひらと舞う桜の花びらを残して、

ジジは直ぐに帰り支度をしました。

 

「ついに、分からなくなってしまった‼️」
ジジは帰宅するなり、留守番をしていた私に訴えました。
ショックでしょうね。長年連れ添った妻に顔を忘れられた?のですから。
少なくとも、おママは大勢の人の中から「田中太郎・私の夫」を見つけ出す事が難しくなったのは確かです。


私達は急にその現実を突きつけられてしまいました。


でも、逆に「田中太郎・私の夫」という認識があるのは、せめてもの救いでした。

 

読んで下さりありがとうございます。

次回に続きます。

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記憶についてNo.8 家族を忘れて①(2014年末)

 

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         (2014年11月29日  診断から約7年9ヶ月)

 

   家族の誰かが認知症の診断を受けたら…。

いつか、そんな時期が来るんだと覚悟しなきゃならない。

おママがアルツハイマー認知症の診断を受けた時、私も覚悟しました。


「ショックだろうな…。」
暗い底なし沼に落ちていくような不安感がありました。(オネコはもう少し腹をくくっていたそうですが。)

 

私は今までアップした記事の中で、おママがオネコと私を娘と認識していない事を書いてきました。

 

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   おママが家族の記憶をなくしていった事を「記憶について」の中で、まとめてみたいと思います。ちょっと長くなりそうです。

 

🌺これまでの経緯

  おママは2007年1月末にアルツハイマー認知症の診断を受けました。

当時73歳です。
アリセプトの効果があったのか、幸い症状の進み具合は緩やかでした。
この診断時点で短期記憶はかなり劣っていましたが、家族、親族、女学校時代からの友人や工芸金箔をやっていた時のお仲間など親しい方々の顔と名前は認識出来たように思います。
  オネコのメモ的な記録を読むと、診断から7年くらいは、その状況にあまり変化はありませんでした。

私は、家族の存在を認識する事は、究極の長期記憶だと思います。
徐々に落ちてはいきましたが、昔の事など長期記憶については、この頃までは機能していました。

 

🌺私がいつから「あれっ?」と思い始めたか…。

  2014年の終わり頃、診断から約8年くらいの時です。

それまではおママはオネコや私を
「オネコさん」
「チャーコさん」
と名前で呼ぶ事が多かったのです。
それが頻繁に「あなた」と二人称で言うようになりました。

 

娘の名前が出てこないんだな。

漠然とそう思いました。
とっさに名前が出てこない。それは発症以前にも以後にもありました。
2人の娘の名前を取り違える事もあったのです。

なのに何故、私は引っ掛かりを感じたのか…。

「あなた」の後に続く言葉が、他人行儀に聞こえたからです。

 

  例えば…。
午後、私が1人で1階のパソコン部屋で仕事をしていると、2階からおママが降りて来ます。昼食以来、顔を合わせるのは1時間ぶり。
   おママは戸を開けて、人(私)が居るのを発見したようです。
「あらっ。すみません。」
と肩をすぼめて入って来て、
「あなたも大変そうね。私で出来る事があれば言って下さいね。何でもお手伝いしますから。」
「大丈夫よ。」
「そうなの?宜しくお願い致します。」
そう、軽く会釈して去っていくのです。

 

  おママは昔から言葉遣いはきれいでした。
でも、身内に話す時と他人に話す時では、話し方、声のトーンは違います。
この時は丁寧だけれど、家族の感じがしなかったのです。

私は狐につままれたような気がしました。

 

読んで下さりありがとうございます。

次回に続きます。

天地を考える

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        (2017年4月10日  診断から約10年2ヶ月)

 

    私のスマホの写真を眺めていると、4月は本当に多作だったんだな〜と思います。

ご紹介できていないおママの貼り絵がまだありました。

これもその一つです。

 

タイトルは「天地を考える」ですが、そんなに壮大な話ではないんですよ〜。(笑)

 

    私が早めに帰宅した 4月10日の夕方、

オネコがLINEで下の⬇️写真を送ってくれました。

「なかなか素敵な色の作っていたよ〜」

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  翌日、私が貼り絵のファイルを開けると、綺麗に仕上がっていました。

 

  ふと、見比べてみると、なんか違いますね〜。

作業中の上部(天)が仕上がりの下部(地)になっています。❗️

 

  それだけでなく、細部もだいぶ試行錯誤したようです。

どのくらい時間をかけて悩んだかは分かりません。

でも、裏面の日付を見れば4月10日中に完成させてファイルに納めたのだから、

それほど難航はしなかったのでしょう。

 

   おママの場合、貼り絵の天地は構成を考え始める時から意識しているようです。

しかし、完成後の日付を入れる直前に、おママがもう一度天地逆に眺めている姿を、私は何度も目撃しているし、

「どっちが良い?」

と聞いてくることもあります。

 

   おママが天地を考えるのは、作り始めと完成後なのかと思っていましたが、

この貼り絵を見ると、制作途中にガラッと天地をひっくり返す事も有ると分かりました。(ほほう〜)

 

   制作途中の写真はなかなか取れません。

でも、こんな変化が分かるので、出来れば残しておきたいな〜と、思いました。

伊勢参りの土産

   GWも終わろうとしている時期ですが…。

ご旅行や行楽を楽しまれた方もいらっしゃいますね。

私は相変わらず家と実家の行き来に終始しておりました。

 

   それで、過去に書いた文章を整理していたら、まだアップしていない記事がありました。私はこれを3ヶ月近く寝かしてしまったのですね。

なんたる事〜。寝かして良くなるものでもないし…。(笑)

 

  GWに行ったわけではないのですが、この機会にアップしようと思いました。

 

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(2017年2月23日診断から約10年  伊勢市  播田屋さんの絲印煎餅の包装紙)

 

  時々、おママの貼り絵に登場していた包装紙の一部分。何処のお菓子屋さんの包装紙かしら?私はとても気になっていました。


それが分かったのです。包装紙の屋号の部分を見つけました❗️
伊勢土産、播田屋(はりたや)さんの絲印煎餅の包装紙でした。

これ…。

過去記事「レガシー!」「塩鯖ってなに?」の貼り絵にも使っていますね。

一昨年(2015年)に私とアズキが伊勢神宮に行った時のお土産だったのです。

伊勢市駅のホームの売店でバタバタと購入し、あまり意識せずに実家へ持って行き…。

ジジ、おママ、オネコと食べたわ〜。
完全に思い出しました❗️
小さな薄いお煎餅に印影が焼き付けられていて、お味も実に美味でした。

 

   おママがお土産の包装紙を大事に保管してたなんて…!
それを貼り絵に使ってくれていたなんて…!
嬉しくて、目頭がうるうるします。

 

しかしねぇ。
(どこの包装紙かしら?)
そう思い続けていた私。まさか、自分が持って来たお土産の包みだったとは…!
己れの頭のイカれっぷりに、衝撃を覚えますわ。

 

  絲印煎餅は伊勢参拝のお土産にオススメ❗️
繊細な食感にまろやかな甘さで、後を引く美味しさです。御皇室もお買い上げになる由緒あるお煎餅との事です。勿論、包装紙も素敵ですよ❗️

 

 播田屋さんのホームページです。⬇️

http://www.geocities.jp/haritaya/

 

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(2017年2月23日 診断から約10年  伊勢市 播田屋さんの絲印煎餅の包装紙)

 

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