アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

脅し戦法 ちょっと反省

f:id:harienikki:20200323165817j:plain

(2019年12月18日 アルツハイマー認知症の診断から約12年10ヶ月)

 

美容院に行きました。

3月23日月曜日。おママを美容院に連れて行きました。

もうこれは忘備録のようなもので申し訳ありません。最近、私は自分で書いたブログの記事で、何時おママが髪を切ったのかを確認しております。

前回は昨年の11月27日ですから、実に4ヶ月近く経っているのですね。

(どうりで……。)

おママの髪の毛は伸びて纏まらないどころか、風に吹かれでもしたら……。ライオン?(^O^)

 

大概、美容院に行って髪を切りましょうと誘えば、「私はいいわ。大丈夫です」などと拒否されるのですが、今回はちょっと違いました。

なぜなら、私…、イケナイ事をしました。

子育てにおいても、これは禁じ手だと思い、極力やらなかったのですが、遂にやってしまいました。

脅し戦法です。

 

「そんな事をしていると◯◯◯みたいになっちゃうわよ。」

「そんな事をしていると、怖い鬼が来て食べられちゃうわよ。」

 

ダメですね…、実によくない。悪いわ〜〜。でも、やってみました。

 

「お母さん、髪の毛が伸びてボサボサだから、美容院に行って切りましょう。」

「そうね…。でもいいわよ。たいした事ないわ。」

「お母さん、伸び放題で、まるで安達原の山姥(やまんば)のようよ。」

「ハハハハハ❗️そうかしらね…。」

「他の人から山姥みたいに思われたら悲しいわよ。行きましょう。」

「はい、行って切ったほうがいいわね。」

 

『安達原の山姥』は歌舞伎が好きだったおママならイメージし易いかな?

そう思って言ったのですが、おママが正確に思い描いたかは定かではありません。

でも、なりたい姿ではないようでした。(^O^)

 

『安達原の山姥』は『安達原の鬼女』とか『一つ家の鬼女』とも言われます。

彼女自身に悲しい身の上があってのことですが、旅人を泊めて、夜になると食べちゃう鬼女。能や歌舞伎の演目『黒塚』の題材になっています。

enmokudb.kabuki.ne.jp

 

怖そうなものに例えて、脅して連れて行ったのですから、罪悪感が澱となって私の心に沈んでいきました。

 

実際問題として、おママ自身は髪が伸びていても大して不自由はなかったのです。ちょっと襟足が鬱陶しいくらいだったかも。

私が、ライオンや山姥のようになったおママの頭を見たくなかっただけでしょう。

 

(今日は天気がいいぞ。来週はお墓参りで親戚に会うぞ。

見映えが悪いから、おママの伸びた髪の毛を何とかしたいぞ❗️)

 

これは私の都合だし、ちゃんとやってますとアピールしたいと言うエゴでしょう。

それで、私は怖い物を例えにして、脅し戦法でおママを美容院に連れて行った?

 あれこれ考えると、私って随分ひどいではないか…。

でもでも、綺麗になるのだから、おママにとっても利があるよね。

なら、私の一方的なエゴでもないか…?

 

「あなたの為を思って、こうするのよ❗️」

と言うのは毒親のセリフのようですが、私は毒娘の候補生でしょう。

でも、絶対に介護の中で、生命や衛生に関わる点では背に腹は変えられない時がある。

その時は、おママが抵抗しても私は怯まずエゴにも鬼にもなるぞ。(^O^)

 

たかだか美容院に連れて行くだけで、脅し戦法を使ったために、私はあれこれ考え過ぎたようです。(^◇^;)

 

おママは順調に美容院に行ってくれたし、ご機嫌でカットとシャンプーをしてもらっていました。

サッパリとした髪型になったおママを見て、私としては結果オーライかなと思いました。

 

f:id:harienikki:20200324110525j:plain

おママここまでボサボサじゃなかったね。隈取を描くのがとても楽しかったです。


 

harienikki.hatenablog.com

 

 本日アップの貼り絵

お題方式の貼り絵」です。

「お題」でおママは貼り絵を1枚作り、その「お題」の残りでまた1枚。

同じ「お題」の残りを又「お題」にする私も芸がないようですが、おママが何を選んでいくのか興味深いです。

 

「お題方式の貼り絵」 とは…。

昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それが出来ない時が増えてきました。

それで、あらかじめ私が作業机に何種類かの紙や切れ端を出して置き、まるでおママが貼り絵をやり掛けていたと思えるようにお膳立てをする事が増えました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。

 

最初の「お題」はこちら↓

f:id:harienikki:20200218002710j:plain

いつかは不明ですが、過去におママが自分で切り抜いてセットしていた紙片のセットです。

私としては、鳥が飛んでいる着物をおママがどうするのかが見たかった…。

 

そして、出来た貼り絵はこちら↓です。

まずは美しい刺繍の花柄を選んだのですね。

着物は裾の方の花模様だけ使われたようです。(^◇^;)

harienikki.hatenablog.com

 

昨年12月16日の再「お題」↓

f:id:harienikki:20200323165920j:plain

 そして、その日のうちにおママが制作した作品はこちらです。↓

harienikki.hatenablog.com

 この時も、着物は使われませんでした。↓

紅白の細長いラインに心奪われたようです。

f:id:harienikki:20200219223631j:plain

 

そして2日後の12月18日に制作したのが、一番上の貼り絵です。

遂に鼠色で鳥が飛翔している着物がメインで登場しました。でも、毛色の違う何かが組み合わされています。

この作品は私が居ない時に作られました。だから正直言って出来上がりを見た時に、

(何だこりゃ⁉️)

 と思いました。でも、よく考えてみたら、チョイスの箱の一部分だったのですね。

f:id:harienikki:20200324020817j:plain

 

f:id:harienikki:20200307000052j:plain

左上のネズミさん達も同じチョイスの箱からでした。

おママ…。私は「あけくち」「差し込み口」まで取っていたとは知らなかったわ‼️

上の写真にも無かったし…。

私はその衝撃的な組み合わせにビックリしました。

でも、眺めているうちに、これもアリだなと思えてくるから不思議です。(^O^)

 

 

 

おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。

健康診断狂騒曲2020 アマビエ様を描いてみました。

f:id:harienikki:20200320134454j:plain

(2020年1月14日 アルツハイマー認知症の診断から約12年11ヶ月) 

 

今年もやります‼️ 

地元自治体から案内の来る長寿健康診断。ジジは毎年3月に受けています。

自治体が案内を郵送するのは7月。期限は到着後から年度末まで。

それなのに、なぜ毎年3月なのでしょう。余りにギリギリ、駆け込みではありませんか。

別に遠くに行って健康診断をするわけではなく、いつもの掛かり付け医の所で受けるのです。

 

(ただでも風邪のはやる季節…。今年はCOVIDー19の問題もあるし…やらなくても…。)

 

そうは思いますが、ジジはやる気満々です。心電図と尿検査と胸部レントゲンが出来るしね。まぁ、良いか。(^O^)

 

昨年の轍は踏まない‼️(^O^)

先生との問診の時に血圧を測って、それから尿を取り、心電図、身長体重測定、レントゲンと進むのは昨年通りでした。

ジジは一人で先に進めて、おママは待っている間に尿を取りました。

これが健康診断の第一関門。昨年は自分でできましたが、今年はどうでしょう。

認知症の症状が進んでいるので心配でしたが、おママはなんとか一人でコップに受けることができました。

「ちょっとしかないの」

でも、「大丈夫です」と看護師さんに言われて、おママはほっとしていました。

 

そして、第二関門は心電図。昨年、おママは必ず動いてしまって、3度目の正直にもなりませんでした。

今年は同じ失敗はするまい。

検査着への着替えを手伝ったら、私はサッとカーテンの外に出てしまい、おママが気を散らさないよう努めました。そうしたら、1発合格‼️

(結局、去年は私の過保護がおママの検査を妨げていたんだわね。)

今更ながら反省…。(^◇^;)

 

次は体重身長測定。

「はーい。芙貴子さん。ここに上がって下さ〜い。あ、54キロね。

私…軽く殴られたような衝撃を覚えました。

54キロですって⁉️

(えーーーー、そんなぁ❗️おママは私より体重が軽いの?

とても太っているのに、私はそれ以上太っているわけ⁉️)

f:id:harienikki:20200208092020j:plain

(何かの間違いでありますように。)

認めたくない事実に、私はたじろぎました。

しかし、考えてみれば、おママの身体は私が思っている以上に小さくなっているのかも知れません。ちょっと心配です。

 

そして、最後の関門は胸部レントゲン。

これだけは付き添い人の私は立ち入れません。頑張ってね。おママ❗️

私が廊下で待機していると、レントゲン室から先生の声が聞こえます。

「田中さん❗️そこに顎を乗せてください。」

「……………。」

「田中さん❗️そこに顎を乗せてください。」

「……………。」

「田中さん❗️そこに顎を乗せてください。」

「……………。」

「田中さん❗️そこに顎を乗せてください。」

「……………。」

「田中さん❗️顎を乗せてください‼️」

「……………。」

先生は5回目には絶叫になっていましたわ。

すみません。

たぶん、おママは「顎」がなんたるか理解できなかったのだと思います。

 

今はコロナウイルスによる新型肺炎(COVID-19)の問題で世の中的に落ち着きません。

掛かり付け医の診療所でも、スタッフさんが患者1人1人にプリントを手渡していました。

「こないだもらったよ。要らない。」

高齢の患者さんが言うと、スタッフさんはすかさず返答しました。

「最新版よ。予防法も付けたから。読んでね。」

草の根的な啓蒙活動ですね。


 ↓昨年の長寿健康診断の様子です。

harienikki.hatenablog.com

↓チャーコはバタバタしました。

harienikki.hatenablog.com

 

おまけ アマビヱ様を描いてみました❗️(^◇^;)

最近、TwitterなどのSNS界隈では妙な画像が出回っています。

そして、それを元に多くの方々がイラストを描き、それを又Twitterにアップするのを見かけます。

「アマビエ」ですって。なにそれ⁉️

私は何だか分からなかったのですが、今月に入って北見花芽(id:KihiminHamame)様のブログ記事を拝見して、ようやく何なのかか理解できました。

↓それはこちらです。

kihiminhamame.hatenablog.com

 「アマビエ」が何なのかは北見花芽様の記事にお任せするとして、

大雑把に言えば、疫病払いの妖怪さんのようです。

 

他所様が描いているのを見ると、自分でも描いてみたくなる。

それで、描いてしまいました。(^O^)

瓦版の「アマビヱ」の図像を模写したのですが…。似てますよね…。え……、似てませんか?

 

f:id:harienikki:20200321133112j:plain



描いていたら娘のアズキに「アタオカ‼️(頭おかしいの略)」と言われました。(^◇^;)

 

 本日アップの貼り絵

 使われた材料はこれだと思います。

ネピアの旧バージョンの箱。これはおママのお気に入りでした。

f:id:harienikki:20200320134539j:plain

 

 そして、ここ1、2年のバージョンも使われています。

f:id:harienikki:20190404155508j:plain

 

↓ 恐らく昨年末に撮影したこの写真に写っているネピネピメイトが使われているのではないかと思います。色が若干違うかも知れませんが…。

f:id:harienikki:20200321004540j:plain

 

 ↓資生堂パーラーの包装紙の赤はアクセントになっています。

f:id:harienikki:20200110234051j:plain

 

 ↓ 同じ材料を使った仲間です。

harienikki.hatenablog.com

 

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

マーブルペーパーに魅せられて 連作の楽しさ2

f:id:harienikki:20200319001023j:plain

3作目(2019年12月4日  アルツハイマー認知症の診断から約12年10ヶ月)

 

少しでも使って欲しいです。

認知症になる前、おママは製本や革による装丁を習っていました。

西洋の伝統的な装丁技法で、マーブルペーパーは本の裏表紙に使われることもあります。

それで、おママはマーブルペーパーに興味を持ち、自分でも染めていました。

「やっぱり、ヨーロッパの職人さんが染めたものには敵わないわ。」

「職人さんはどうやって、マーブルを染めたんだろう。」

なんて事をよく言っていたものです。

 

おママはヨーロッパから輸入されたマーブルペーパーを何枚も購入していました。

参考にしたいと思ったのでしょうが、本当のところ、舶来のマーブルペーパーの美しさに心奪われ、染色職人さん達の技術を尊敬していたからだと思います。

 

十数年にわたる貼り絵制作の中で、おママはそれら舶来のマーブルペーパーを材料として使ってきましたが、全く手をつけていないものもあります。

 

おママが好きで購入したマーブルペーパーです。

これから後、おママはどれだけ貼り絵制作を続けられるか分かりません。

少しでもいいから、おママに使って欲しいと思います。

 

2019年12月4日

そんな気持ちで、私は↓この3種類の大判マーブルペーパーを出してきて、おママと一緒に一部分を切り取りました。↓

f:id:harienikki:20200319001227j:plain

f:id:harienikki:20200319001252j:plain

 

1作目

まずはグリーン系のマーブルペーパーをその模様の流れに沿って切断中です。↓ 

f:id:harienikki:20200319001346j:plain

 マーブルペーパーの模様には流れがあるので、どう切るかはおママ次第です。ぶつぶつ呟き悩みながら切っております。↑

 

この緑のマーブルに和紙の赤い千代紙を合わせるらしい…。↓

 でも、割と合うかも知れません。

f:id:harienikki:20200319001412j:plain

 

↓ 1作目が 完成しました。

f:id:harienikki:20200319001515j:plain

 

2作目

 1作目を作った時に余った緑のマーブルに何を合わせるのでしょうか?

印象の違うマーブルペーパーのようです。

f:id:harienikki:20200319001440j:plain


↓2作目です。

中央のパーツは不思議な形ですね…。マーブルペーパーは直線的に切っても素敵なのですが、おママは白いストーンに沿うように切るのも楽しかったようです。

この作品でも手近に有った千代紙を合わせています。

f:id:harienikki:20200319001545j:plain

 

 3作目

1作目、2作目は緑のマーブルペーパーを細かく切り分けて貼りましたが、今度はドカンと塊で使おうという計画でした。

「元々が綺麗なマーブルペーパーだから、それも良いね。」

「そうなのよ。」

f:id:harienikki:20200319001624j:plain

 この感じでいくと、3枚目もすぐに出来上がりそうだから、私はダイニングで貼り絵に熱中するおママを放って、夕食の支度を始めました。

 

13分後、ダイニングの様子を見てみると…。

f:id:harienikki:20200128114316j:plain

(あの中央に鎮座していた美しいマーブルは何処に⁉️)

結局、幾つかの小さいマーブルに分割されていました。(^O^) 

f:id:harienikki:20200319092812j:plain

そして、別のマーブルペーパーを手にしていました。

模様の中にあるストーンや流れに沿うように、おママは無心でハサミを動かしていました。

切れば切るほど形は不思議になっていきます。それが面白いようで、独り言を言いながら、おママは更に10分ほど作業を続けました。

「ここがあぁだから、ダメで、こっちにするとあっちに抜けられるから…。」

↓ この形になって、ようやく納得したようです。

f:id:harienikki:20200319092840j:plain

 

「 さぁ、構成が決まったら、貼り進めましょう。」

f:id:harienikki:20200319001817j:plain

3作目はもうすぐ完成です。(^O^)

私が大きなカルトンから大判マーブルペーパーを取り出したのは15時過ぎです。

怒濤の連作が終了したのは17時40分ごろ。

これだけの時間、おママが取り組めたのは、大好きなマーブルペーパーの個性と魅力のお陰のように思います。


おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

「認知症ちえのわnet」に登録してみました。(忘備録)

f:id:harienikki:20200315232852j:plain

(2020年1月29日  アルツハイマー認知症の診断から約12年11ヶ月) 

 

朝イチ情報

先週の月曜日に何気にNHKをつけていると、認知症関連の特集をやっていました。

月曜日は実家へ行く日だし、この時間帯は腰を落ち着けてテレビを見ているわけにもいきません。でも、話題が話題だから、気になって横目で見ながら家事をしておりました。

 

↓3月9日月曜日 NHK 朝イチ『知っておきたい!認知症の新情報』

www1.nhk.or.jp

 

(おっ⁉️

なにか耳寄りな話が…。)

 

介護のノウハウを統計的に明らかに⁉️

実際に家や施設で介護をしている人に、成功・失敗した対処法をインターネットのサイトに投稿してもらい、その情報を共有する⁉️

そんなサイトがあるんですって⁉️

 

↓こちら。

認知症ちえのわnet

chienowa-net.com

 

日々起こりうる認知症患者の問題行動をどう解決していくか?

これは認知症患者を介護をする人達にとって、実に悩ましい問題です。

 

例えば入浴拒否。嫌がる本人にどんな声掛けをしたら上手く浴室に導けるか…?

人によって、それは千差万別。同じ人でも日によって反応は違います。

他の人はどんな風に試みているのかしら?

 

このサイトは、介護者が被介護者にどのように対処して、それが成功したか失敗だったかを含めて投稿してもらい、その情報の蓄積から、より良い対処法を見つけていくのが主眼なのだと思います。

 

認知症ちえのわnetは、認知症のケアにお悩みを抱えている方と情報共有するための、コミュニティサイトです。

みなさんがケアの中で実施した情報を投稿し、「うまくいった」「うまくいかなかった」

という情報を、同じようにケアで悩んでいる方と共有し、認知症のケアについて知り合うことができるのが特徴です。

本サイトは、日本医療研究開発機構(AMED)の認知症研究開発事業として、高知大学医学部神経精神科学講座 数井裕光先生(精神神経科医)を中心に立ち上げています。

認知症ちえのわnet、『はじめての方へ』より引用)

 

例えば…、

今、私が悩んでいる問題に似たケースを探して読んでみる。

それを、自分でも試みて、うまくいった」「うまくいかなかった」かを投票していく事が出来ます。「うまくいった」が多い方が可能性が高いとも考えられますが、なにせ個人差が大きい病です。もしかしたら自分の親には「うまくいかなかった」方が参考になる場合もあるかも知れません。

私としては「うまくいった」情報だけでないのが、良いと思いました。。

 

閲覧、投稿には「利用者登録」が必要です。

手順は、まずメールアドレスを登録し、それからパスワードを設定。

登録する利用者、被介護者(認知症患者本人)のニックネームや被介護者の発症年など情報入力します。

全部の項目を入力したら大変だと思ったら、「必須」のところだけでも良いようです。

今後、私自身が投稿するかどうかは分かりませんが、時折閲覧してみたいので登録してみました。

参考になるかも知れません。

ご興味のある方は是非❗️

 

f:id:harienikki:20200317023605j:plain

 本日アップの貼り絵

ジジが切手を使い終わったら…。おママはその残骸に目をつけました。

だって、イラストが描いてあるし、色もキレイですものね。

これこれ、この切手です。↓『星の王子様』ですわ。シールタイプの切手は高齢者にも貼りやすくて便利です。

f:id:harienikki:20200315232948j:plain

 1月22日に、こんな感じでイラスト部分をハガキに貼っていましたが、その後行方不明になりました。

「ねぇ。おママ、『星の王子様』を貼ったハガキはどこにやったの?」

そんな事をおママに言っても無意味です。

だって、数分でおママの記憶は消えちゃうもの。(^◇^;) 

(気長に構えていれば、いつか出てくるでしょう。)

ところが、今回は意外と早く出てきました。行方不明期間はたったの7日間でした。(^O^)

 

この日、私が実家に着いた時には、あらかた貼り絵の構成は出来上がっていました。

おママさんよ。どこから見つけてきたんですか?

でも、オシャレなデザインですね。

 

使ったのはペパーミントティーの個別包装袋と三越のカタログです。↓こちらです。

f:id:harienikki:20200317013536j:plain

f:id:harienikki:20200309231935j:plain



f:id:harienikki:20200309231953j:plain

 

 


 

www.post.japanpost.jp

おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。

あの日を思う 東日本大震災から9年

f:id:harienikki:20200312174304j:plain

(2020年1月6日 アルツハイマー認知症の診断から約12年11ヶ月)

 

今もあの揺れは…。

東日本大震災から9年が経ちました。

地震、大津波、そして原発事故。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

9年…、来年には10年になります。

月日の経つのはなんと速いのでしょう。

 

あの日、私が体験した揺れは、東北とは比べものにならないでしょう。

それでも、生涯忘れられないです。

実家は築80年以上のオンボロ木造家屋。14時46分に発生した揺れで倒壊しなかったのは幸いでした。バリバリと音を立てながら激しく揺れて、後1分でも長く続いていたらどうなっていたか分かりません。

その揺れはテレビで震災の映像を見ると蘇ってきます。

東京に居た私でさえ、これなのです。

未曾有の被害に遭われた地域の方々の、3月11日に対する思いは計り知れないと思います。

 

今年の3月11日 

毎年、3月11日の14時46分に、私は黙祷をします。

今年は実家でおママとテレビのあるダイニングにいました。ちょうどNHKがついていたので、首相官邸で行われた「東日本大震災献花式」の中継に合わせて黙祷しようと思いました。

 

さぁ、中継が始まったぞ…。

 

テレビの前でお茶を飲んでいたおママも、画面が急に追悼モードになったので、何か始まると思ったようです。

「どうするの?」

「2時46分になったら皆んなで黙祷するのよ。」

「へぇーーー。」

おママは妙に感心した表情をしました。

テレビの中で『ご起立ください』と言ったのを聞き、

「ね、立たなきゃいけないの?」

とおママは神妙にしています。

 

「起立」という言葉が「立ち上がる」事を、おママが理解しているのに少し愕きました。

(おママさん、今日は冴えているじゃないか⁉️)

 

「座ったままでいいわよ。」

私が言うとおママは座ったままで

「やっぱり手を合わすの?」

「……………。」

f:id:harienikki:20200128114316j:plain

私、この時、驚きました。

ここ1、2年、おママは急速に言葉や単語の意味が理解できなくなったし、言葉で表現することが難しくなっています。

それでも「黙祷」と聞いただけで、静かに祈りを捧げる行為だと理解できていたようです。

「祈る」「悼む」心はおママの中にしっかり根付いているのだわ。

 

私は胸が熱くなりながら、合掌するおママと1分間の黙祷をしました。

終了すると、おママったら…。

 

「ああ、終わった…。何だかよくわからないけど。」

 

「祈る」という事は分かっても、何に対してかは、やはり理解できなかったようです。

仕方ありませんね。

9年前のあの日、おママは既にアルツハイマー認知症歴4年でした。

直後はかなり動揺していたのですが、その日のうちにあの凄まじい揺れは忘れてしまったのですから。

 

でも、おママ…。今年は一緒に黙祷できて良かったなぁ。

私は忘れないよ。9年前の3月11日も、今年の3月11日もね。(^O^)

 

harienikki.hatenablog.com

harienikki.hatenablog.com

harienikki.hatenablog.com

harienikki.hatenablog.com

 

あの日のアズキ

当時、まだ高校1年だったアズキは学年末試験で昼にはに帰宅予定でした。

ところが、試験期間中だというのに、アズキの奴ときたら…。帰宅後1人で上野のヨドバシカメラウォークマンを買いに行ったのです。

私に「試験が全部終わってから買いに行くように❗️」と諭されていたにもかかわらずです。

そして、14時46分。

新しいウォークマンを手にウキウキしていたアズキは銀座線の上野駅のホームで地震に遭いま

した。

 

「ホームが大きく波打っていて、立っていられなくて階段の手摺にしがみ付いたの。」

 

地下鉄のホームが縦方向に波打つ…。

激しい揺れと信じられない光景にアズキは思ったそうです。

 

(親の言うことを聞かなかったから、バチが当たったんだ…。)

その深い反省の心はともかくとして、

東日本大震災の強い揺れは、若いアズキにとっても一生忘れられない体験になったようです。

f:id:harienikki:20200314112632j:plain

今年はおママとアズキが献花するイメージで…。


 

 

本日アップの貼り絵

「お題方式の貼り絵」(注)だと思います。(^O^)

自分でお題を出しておいて、何を言うかと笑われそうですが、

1月6日月曜日に出した「お題」↓はおママに見向きもされず、そのまま放置されたようです。

f:id:harienikki:20200314004210j:plain

しかし、1月8日水曜日の昼前に私が実家に行くと、既にこの作品は出来上がっていました。

 

「お題方式の貼り絵」「お題」が数日放ったらかしにあったり、おママに片付けられてしまう憂き目もあり、なかなか上手くいかない事があります。

取り敢えず、この「お題」は素敵な作品になって良かったです。

 

  (注)昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それが出来ない時が増えてきました。それで、あらかじめ私が作業机に何種類かの紙や切れ端を出して置き、まるでおママが貼り絵をやり掛けていたと思えるようにお膳立てをする事が増えました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。

 

おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。

東京大空襲の跡を訪ねて 浅草寺の戦災樹木(番外編)

f:id:harienikki:20200309231904j:plain

(2020年1月29日 アルツハイマー認知症の診断から約12年11ヶ月)

 

75年前の夜に…。

今回の記事は完全なる番外編です。

私は現在、75年前の東京大空襲で被害が多かった地域に住んでいます。

でも、75年も経ちますと当然の事ですが、昭和20年3月10日の痕跡は見かけません。

東京大空襲とは…。

総務省の下記サイトに次のような文があります。

 「 昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有(みぞう)の大被害を被った。東京大空襲と呼ばれるこの空襲は、夜間に住宅の密集地を目標にして、約1700トンもの焼夷弾を投下し、根こそぎ焼き尽くすというものであった。」

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_12.html

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_25.html

 

私は生まれも育ちも東京ですが、戦後生まれです。勿論、実体験はありません。ジジもおママも3月10日の空襲では被害を受けいないので、私にとって東京大空襲は知識の範囲を出ませんでした。

しかし、20年以上も前になりますが、ダンナの祖母から実体験を聞いてから関心を持つようになりました。

東京大空襲から75年。風化していく昨今を思うと、どうしてもこの時期には番外編としてブログで取り上げていきたい。

その思いから、昨年は台東区墨田区江東区を猛火で襲った焼夷弾について考察してみました。↓

harienikki.hatenablog.com

今年は浅草寺の戦災樹木を訪ねてみました。

 

いざ、浅草❗️

今回2月後半から3回に分けて浅草寺に出かけ、時間を変えて写真撮影をしました。

今はコロナウイルスによる新型肺炎(COVID-19)の影響で、浅草周辺はとても人出が少なかった❗️

 

いつもからは想像もつかないほど境内は閑散としていましたから、撮影は楽かと思っていました。しかし広い境内の中で戦災樹木の木肌の痕跡を鮮明に撮影するには、光の加減や向きが難しくて、写真下手の私にはなかなか良い写真が撮れませんでした。(^◇^;) 言い訳です。

 

普段は観光客で賑わう浅草。

仲見世も境内も外国人観光客だけでなく多くの人が訪れます。

でも、どれだけの人が75年前の3月10日の未明に起きた事を知っているのでしょうか。

東京大空襲の時 浅草寺の境内は焼夷弾で本堂(観音堂)、五重塔、宝蔵門が焼失しました。しかし、舐めるように炎が回ったというわけではなく、風向きによって浅草神社、二天門、本坊である伝法院、北側の浅草寺病院は焼け残りました。

境内にはイチョウの木が多く、幹が太いものは殆ど空襲に遭っていると思います。それでも風向きによっては炎に襲われなかった木もあります。

 

戦災樹木の周囲に腰掛けて、楽しそうに語らったり、アイスクリームを食べている若い人達の姿には、とても平和を感じて微笑ましい。

ただ、出来る事なら、

すぐ後ろの大樹に残る深い空襲の痕跡に気がついてくれたらなぁと思います。

でも、仕方ないですね…。

私も知ったのは20年くらい前のことですし、若い頃は関心も持たなかったでしょう。

 

戦災樹木を探す

境内を廻って、戦災樹木を探す時、ポイントがあります。

イチョウの木の幹はゴツゴツとした木肌をしています。ところが炎がまわって焼け爛れると、この本来の外皮がツルツルになってしまいます。その部分は炭化した状態になったまま、歳月が経ってもずっと跡を留めているのです。

例えばこんな感じです。↓

f:id:harienikki:20200310104916j:plain

これは太い一本のイチョウの幹です。この樹木は南側だけ焼けたそうです。裂けたような痕跡が焼夷弾の威力を感じさせます。上の写真では、左右の木肌と真ん中部分ではテクスチャーが全く違います。左右は ゴツゴツ。真ん中はツルッと平面的。

 

この記事では、

私が参考にしてた本や、他の方のHPで「戦災樹木」として扱っている大イチョウを4本写真でご紹介します。

その他にも境内を歩いていて、私が「これは焼夷弾の跡では?」と思ったイチョウについては忘備録的に下記の境内図に位置だけ記しておきました。 

f:id:harienikki:20200310024858j:plain

 

浅草寺の戦災樹木は焼夷弾を浴びて、幹の中に大きな焦げたうろを抱えたり、裂けて幹が割れたりしていますが、今も元気で生きています。この季節は葉もなく痛々しい姿をあらわにしていますが、毎年芽を吹き葉を茂らせます。

本当だったら、通年通しての様子を撮影しておけばよかった。

そんな心残りはありますが、それは今後の課題としたいです。(^◇^;)言い訳です。

 

参考にさせて頂きました。↓

kakuyomu.jp

 

≪参考文献≫

おママが1998年にお友達から頂いた本。東京の戦災樹木や石造物などを記録しています。

20年前にこの本をおママから借りて読み、初めて戦災樹木について知りました。

『戦災の跡を訪ねて  ー東京を歩くー』

編著者  長崎誠三

出版年  1998年7月

発行者  長崎誠三  発行元  株式会社 アグネ

 

戦災樹木の写真

① 戦災公孫樹

樹齢800年とも言われる御神木です。源頼朝浅草寺参詣の折に挿した枝から発芽したと伝承されています。昭和5年に天然記念物に指定されましたが、東京大空襲で焼けたため取り消されました。しかし、現在も元気です。

上から降ってきた焼夷弾を浴びたのでしょう。上から下まで被害が大きくて焦げた跡も痛々しい。幹は裂けたり、うろができています。しかし、それでも生き続けて大きく枝を広げる姿はまさに御神木というにふさわしい尊さを感じました。

 

f:id:harienikki:20200310131951j:plain

↑全体の姿、五重塔の方からの眺め

f:id:harienikki:20200310132057j:plain

↑交番(派出所)の方から撮影

f:id:harienikki:20200310132151j:plain

↑上部の被害

f:id:harienikki:20200310132220j:plain

↑幹の隙間から五重塔が見えています。

 

②本堂(観音堂)裏のイチョウ

こちらも太い幹に焼夷弾の痕跡が残っています。幹の南側の面と反対側では全く表情が違い、上記の写真のように、焼けた外皮と焼けなかった部分の対比がはっきりみられます。

 

f:id:harienikki:20200310133041j:plain

向きを変えて↓

f:id:harienikki:20200310133120j:plain

 

五重塔 横の大イチョウ

樹齢600年かとも言われる大銀杏です。昭和5年に天然記念物に指定されましたが、戦災公孫樹と同様、東京大空襲で焼けたため戦後になって指定を外されました。

幹に上の方に被害が顕著。そうですよね。焼夷弾は情け容赦なく上から降ってきたのですから。

このイチョウには伝承があるそうです。

上記の参考サイトからの引用です。↓

「 この銀杏は、『水吹き銀杏』と呼ばれていて、観音堂に火が燃え広がったときに、銀杏の木がチューと水を吹き出し観音堂を守ろうとしたという言い伝えが残っている。」

 

f:id:harienikki:20200310134205j:plain

f:id:harienikki:20200310134224j:plain

 

④二尊仏の裏手のイチョウ

焦げた大きなうろがあります。

 

f:id:harienikki:20200310135055j:plain

↑幹の内部はほとんど焦げたうろ。

f:id:harienikki:20200310135150j:plain

近くで見てみると…。

 

撮影を通して思ったこと

私はこれまで、上記参考文献やインターネットで写真を見てきました。

そして、何気なく四季を通じて浅草寺に参詣した事があります。しかし、改めて今回戦災樹木の前に立った時、 驚きと感動に包まれました。

本堂も、現在とは位置が違っていた五重塔も、焼夷弾によって焼失しました。

人の造ったものは失われても再建することができますが、自然は破壊されたら戻りません。

しかし、焼け爛れた自然の樹木が、その身体のまま生きているのです。それは戦災の生き証人とも言えます。そして、空襲の夜からの時間軸が、確実に75年後の今に繋がっている事を実感させられました。

 

戦災樹木は全国各地で空襲のあった地域の寺社仏閣などに、意外と残っているのかも知れないと思いました。

上記の参考文献は東京限定ですが浅草寺だけでなく多くの戦災樹木を調査、紹介しています。しかし、出版から20年以上が経っているので、現状を見て歩いてみたいです。

 

戦争の体験者が年々少なくなる現状を思えば、戦災樹木を大切に保存して語り継いでいくことが重要だと思いました。

 

今回写真撮影をしたのは葉のない季節です。

葉が生茂り、生き生きとした戦災樹木をを撮影できなかった代わりに、写真などの資料を見ながら戦災公孫樹のイラストを描き、葉をつけてみたいと思っていました。

しかし先週の土曜日7日の晩から、私ときたら偏頭痛の前兆現象と狭心症の軽い発作(すぐ治りました)に見舞われ、体調は絶不調。

「もう、イラストは諦めるわ…。」

と泣き言を言ったら、娘のアズキが「描きましょうか」と言ってくれました。

 

私の撮った写真と浅草寺の公式HPの写真を元に、アズキが仕上げてくれたのがこちらです。↓

 

f:id:harienikki:20200309235324j:plain

 戦時中の体験も空襲も、おママから殆ど聞けなかったアズキ。

20代のイマジネーションで、東京大空襲と戦災樹木を考えながら描きました。

このイラストを見て、私はほんの少しですが歴史の継承ができたような気がします。

 

今週は体調不良につき、更新が滞ると思います。読者登録をさせていただいているブログへの訪問も難しいかも知れません。すぐ復活しますので、また、よろしくお願いいたします。

 

www.senso-ji.jp

 

www.tokyo-np.co.jp

 

*本日アップの貼り絵

 ↓こちらの冊子の表紙を使いました。

過去にもおママは貼り絵に使っているので、この冊子は何冊かあったのかもしれません。

f:id:harienikki:20200309231935j:plain

 ↓切ってるぞ。

f:id:harienikki:20200309231953j:plain

↓ お馴染みのティーパックも使っています。 

f:id:harienikki:20200120224406j:plain

 

おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。

チョイス 森永製菓のロングセラー❗️

f:id:harienikki:20200306232522j:plain

(2019年12月27日 アルツハイマー認知症の診断から約12年10ヶ月)

 

チャーコの好物 

本日アップの貼り絵を見て、「あっ、スーパーでよく見かける!」と思った方もいらっしゃるのではないかしら。

そうなんです。森永のチョイスです。(^O^)

 

私は子供の頃からチョイスが大好きです。

今は2枚入りの個別包装が1箱に7袋(つまり14枚)という体裁で販売されていますが、当時は重ねられたビスケットが紙でしっかりと包まれて棒状の包装形態でしたから、枚数も多くて食べ出がありました。

バターの風味があって、マリービスケットよりはコクがあり、ムーンライトよりはあっさり。

私にとってチョイスは丁度良いお味です。

時々、今でも食べるのですが、その味わいは昔と変わっていないと思います。

小学校、中学校、高校時代、私はおママによく買ってもらって食べたので、郷愁を感じるお菓子です。

 

思い出のチョイス

私が子供の頃、チョイスを食べていたら、おママが遠い目をしながら言いました。

「これ、昔からあったのよ。」

昔と言われてもねぇ…。

終戦後、世の中が少し落ち着いてきて、マリービスケットとチョイスは割と早い時期から販売され始めたのよ。あまり色んなお菓子がない時代だから、手頃でとても美味しいと思ったわ。味も変わっていないみたいね。」

おママにとっても懐かしいお味なのでしょう。

しかしながら…。おママはどちらかと言うと、遅れて発売されたムーンライトの方がお好みでした。

おママは大人になったら、更に豊潤な風味に惹かれてしまったのですね。(^O^)

 

下記の森永製菓のサイトで「森永製菓商品の歴史 1912年〜(昭和時代)」を見てみますと…。

www.morinaga.co.jp

 

 マリービスケットは大正12年(2019年)発売。

チョイスは昭和13年(1938年)発売。

ムーンライトは昭和35年(1938年)発売。

 

このシリーズはどれもロングセラーですね。

因みに、私はおママと違い、50歳を過ぎてもチョイス派です。

 

f:id:harienikki:20200306235658j:plain

↑この写真がは最近撮影したのですが、セサミストリートとコラボしているようですね。

f:id:harienikki:20200307121542j:plain

おママと祖母。昔の母親は娘が年頃になっても若かったのです。



  行方不明

11月25日の昼下がり。おママがぱつんぱつんとハサミを入れていたのは、食べ終わったチョイスの空箱でした。切り抜くと言うよりは、箱の解体作業をしているようでした。

f:id:harienikki:20200306235855j:plain

 箱を分解し終えて、おママは貼り絵をするのかと思いきや、どっかに片付けて(しまい込んで)以後、見かけませんでした。(^◇^;)

 

 それが12月27日に出てきたのです。

私は貼り絵のお題に良さそうな紙を探して、おママの作業机の周辺を嗅ぎ回っていた時、

↓こんな物を発見しました。

f:id:harienikki:20200307000027j:plain

 行方知れずになっていたチョイスの箱の一部が見えています。

開くと…出てきました❗️↓

 

 

それで私は見つかったチョイスの箱を「お題」にしました。↓

f:id:harienikki:20200307000052j:plain

 (注)昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それが出来ない時が増えてきました。それで、あらかじめ私が作業机に何種類かの紙や切れ端を出して置き、まるでおママが貼り絵をやり掛けていたと思えるようにお膳立てをする事が増えました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。

 

↓ 貼り絵に取り組むおママ

f:id:harienikki:20200307000207j:plain

 

 そして、もう1点、チョイスの作品をアップしましょう。(^O^)

こちら↓が令和2年1月4日に制作された、

今年の第1作目の貼り絵‼️

私が正月休みで実家に行かない期間におママが制作した貼り絵です。

チョイス以外は何を使ったのか不明です。

f:id:harienikki:20200306232548j:plain

(2020年1月4日 アルツハイマー認知症の診断から約12年11ヶ月)

 

 おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。