私は今でも、この当時のおママはアルツハイマーの初期だったと考えています。
なぜなら、この時期のおママは自分のすべての行動を忘れたわけではありませんでした。
この日、おママはどう感じたのでしょうか?
どう受け入れたのでしょうか?
最近、私はこの事が気になります。
高齢者の認知症の場合、親の認知症を御家族がどう受け入れるか、ネットでも体験談や解説があります。しかし、本人が受け入れる話はあまり見られません。
そりゃあ、そうでしょう。本人は忘れてしまうんですから。
(2006年末から2007年1月頃)
おママはずいぶん昔から簡単な家計簿(前日残高から本日支出を引いただけのもの)を付けていて、その隅に短い日記を記す習慣がありました。
診断の日、おママはこんな言葉を綴っていました。
『私が病院の老年科へ行くので、パパ(ジジ)同行。往きにパパ(ジジ)が会社へ寄る。
病院へはオネコ、チャーコも来てくれて説明を聞く。
やはり老人性の痴呆、アルツハイマーになって行くらしい。それを遅らせるよう薬を服用する事になる。アリセプトD錠。オネコ、チャーコとは4人でゆっくりお茶して別れる。
夕方帰宅。』
私は最近この記述を見つけたのですが、ちょっと驚きました。
この日、少なくともこの日記を書くまでは、おママは我が身に起こった出来事をしっかり覚えていたのです。
冷静な言葉の合間に、おママの深い溜息が聞こえてきそうです。
(私がアルツハイマーだなんて…。)
プライドの高いおママは傷付き絶望したでしょう。
翌日になって忘れ果てても、悲しい気分はおママを支配したと思います。
日記を見返して何度もそれを繰り返したとしたら…⁉︎