(2017年2月17日 診断から約10年)4連作の1つ
記憶についてNo.2で、
海馬の底に沈んだ記憶がポンと引出しから飛び出すようなお話をしました。
しかし、この2年間でおママの記憶の多くが損なわれています。
だから、もう引出しが急に開く事はないと思っていました。
ところが、あったのです。
それもつい最近。
◉ ずっと思い出しもしなかった過去の事を、突然思い出したりしませんか?
episode 2(2017年2月17日)
夜、テレビでニュースを見ていたジジとおママ。
画面に日銀が映し出されると、
おママは堰を切ったように銀行勤務時代の事を語り始めたそうです。
おママは高校(初めは女学校)を卒業して日本勧業銀行にお勤めしました。
殆どの女子行員は窓口係でしたが、おママは本店(内幸町)の外国為替課に配属されました。男性ばかりのなか、日銀との連絡役という、実務を担当しました。
日々、輸出入関連資金の為替や書類をまとめます。
そして、日本橋にある日銀の外為まで通うのです。
時代は昭和20年代後半から30年代初め頃。
ネットもなければ、銀行内の電話回線も多くありません。
順調に処理できれば良いのですが、問題が発生する事もあります。
そんな時は、日銀から日本橋の勧銀支店に走り、電話で本店の指示を仰いだそうです。
やり甲斐のある業務を任され、充実の日々だったのでしょう。
この話、オネコも私も若い頃に何度も聞いています。
おママにとって矜持とも言うべき大切な時代の思い出です。
認知症と診断されて10年。それでも、おママのプライドを形成する大切な記憶は失われていないのだと思いました。
(2017年2月16日 診断から約10年)4連作の1つ
(2017年2月17日 診断から約10年)4連作の1つ