(2011年3月12日 診断から約4年1か月)
この地震の震源はどこなのか?当初、私はこれ以上の揺れに見舞われた地域があったなんて、想像すら出来ませんでした。
ジジの両親(私の祖父母)は仙台の人です。今も親戚がいます。
テレビに映し出される光景に胸が潰れる思いでした。ジジにとって強い揺れは身にこたえたようです。画面を見つめて放心状態でした。
おママは画面を見るたびに、
「なんでこんな事になったの?」
津波の映像を見ては、
「逃げて〜」
と叫びます。ただでもパニックになりかけているのですから、私はその都度、穏やかに事の次第を説明しました。テレビを消しても、付けっ放しが習慣なので、おママは直ぐに自分で付けてしまいます。
しかし、私もいっぱいいっぱいです。
夫と姑とは3時前に電話で話す事ができましたが、アズキとは連絡が取れていません。
おそらく銀座に出掛けているであろうオネコもどうしているか分かりません。
電話が繋がらない状態では、出来ることをするしかない…。
この時、ガスが止まってしまいました。ご近所は大丈夫だったのに、実家はガスメーターの復旧ボタンを押してもガス台は点きませんでした。
夕飯は電子レンジで調理出来る物を考えましたが、せめて食後に暖かいお茶くらいは飲ませたあげたい。
それで、電子レンジで温めて飲めるように、私はペットボトルのお茶を買いに行きました。
しかし、駅前のスーパーは全て店を閉じていました。コンビニもです。
一件だけ店頭で潰れたペットボトル飲料を半額以下で売っている店があり、お茶を2本だけ買いました。他にもすぐに食べられそうなパンやレトルト食品も買いたかったのに…。
私が肩を落として戻ると、炊飯器からご飯の炊ける匂いがしました。
ジジによると、
「災害の時は炊ける時に炊くんだ。炊き出しだ!
おママがそう言って炊いたんだよ。3合も…。」
どうやら私がガスメーターと格闘したり買い物に行っている間に、おママはおママなりに考えて動いていたのですね。この時のご飯は一際、美味しそうに香りました。
さすが❗️おママ。
しかし、炊き上がると、ご飯を混ぜっかえしながら、おママは言うのです。
「どうしていつもよりたくさん炊いたのかしら?」
おママったら…。(笑)
夕方の6時頃、夫から電話があり、アズキが帰宅した知らせが入りました。
オネコについては、姪っ子のユズちゃん経由で銀座から歩いていることが分かりました。
8時を過ぎて戻ったオネコ夫婦を見た時、私は心底ほっとしました。
「心配だったわ。本当に、この家が潰れてなくて良かった…。」
オネコも安堵の笑みを浮かべました。
この夜は交通事情もあり、私は実家に泊まりました。
おママが不安になるといけないので、テレビは消しました。
でも、尋常ならざる事を本能で感じるのか、私が気が付くと、おママはテレビに釘付けになっています。そして泣かんばかりに聞いてくるのです。
「どうして、こんなに、燃えてるの?」
それは火の海となった気仙沼…。そして市原のコンビナート火災の映像でした。
地震発生から、私は何度おママに説明した事でしょうか?
大地震があった事。大変な津波が来た事。
それを1時間に5回として、40回くらいでしょうか。
流石に私も限界でした。泣きたいのは私の方よ。
「おママ、もう、いいから寝てください。テレビは付けないで❗️」
思わず声を荒げてしまいました。
いけない事とは分かっています。でも、私はおママを強引に寝かせて、家中の電気を消しました。