(2011年3月15日 診断から約4年1か月)
3月12日
実家で目を覚ました時、私は不思議な気がしました。
(朝が来たんだ…。)
朝が来たら、全てがリセットされたら良いのに…。
そんな夢物語はあり得ず、テレビで流れる被災地の惨状は更に悪化しているようでした。
相変わらずおママは
「どうしてこんな事になったの?」
を連呼していましたが、私は昨夜の反省もあり、優しく接するように努めました。(イマイチ自信はないです。)
ジジは昨日に比べて元気を取り戻していました。朝から東京ガスに電話して修理の手配をしていましたから。
昨日より落ち着きを取り戻しつつある実家。
「オネコも近くにいるし、家の事もあるからチャーコは早く帰んなさい。」
ジジに勧められて、私は帰宅する事にしました。
駅前に行けば昨日閉店していたスーパーが開いていました。
早くも店内はいつもより来店客が多くて混雑しているのです。
肉も魚も普段より品は多かった…。ただ念のため私はジジに電話をしました。
「夕方ではなく、昼前には買い物に行った方がいいよ…。」
あの強烈な地震から一夜明けて、首都圏の交通機の多くは復旧しました。
土曜日の午前中なのに、乗り換えのターミナル駅は、まるで平日の夕方のように、多くのサラリーマンや学生が家路を急いでいる…。その顔には一様に疲労の色が滲んでいたのが忘れられません。
あの日、帰宅困難者の中には歩かずに職場に留まった人も多かったのですね。
意外にも、自宅の家具は倒れていませんでした。全身ダルさを感じながらも、
ほっとしていた昼食後。
私達がテレビで見たのは福島第1原発の爆発でした…。
地震自体の被害はそれほどでもなかった東京。
それを境に大きな不安と絶望感が広がっていきました。
実家の壊れたガスコンロの事ですが…。
週明け月曜の午後には新しくなっていました。
トッププレートが真っ黒で、ちょいと格好いいのです。
「在庫がこれしかないと言われて、早い方が良いから、おママも納得したんで、付け替えたよ。」
ジジは得々として語るのですが、これが後々大変の元になるとは…。(笑)
「わたしに断りもせず、勝手に黒いのにした!どうして相談してくれないの!」
「黒い色は怖いのよ。だから黒は嫌なのよ!」
おママは日に何度もこの事でジジを糾弾し始めたのです。
「ちゃんと相談したよ。」
でも、忘れるのだからどうしようもありません。
私がアルミカバーを被せたりしましたが、ジジの受難は2ヶ月ほど続きました。
この時まで、私達はおママが黒を嫌っているとは知りませんでした。
真っ黒は暗闇を連想させるそうです。
おママには、今も黒一色の物は要注意です。