(2017年11月24日アルツハイマー型認知症の診断から約10年9ヶ月)
*あこがれ
今では全国の街で御当地の情報を紹介するタウン誌がありますが、昭和30年創刊、銀座百店会発行の『銀座百点』はその草分け的存在だと思います。
手のひらより少し大きいくらいの横長版のお洒落な冊子。
銀座に関する情報と読み応えのある対談やエッセイ。
そして開けば輝くように美しい名店のカラー広告。
まだ少女時代の私には、大人の街、銀座より『銀座百点』が憧れの象徴でした。
だからでしょうか…。
私の感覚ですと、タウン誌という言葉は『銀座百点』には少し軽いかな?雑誌です。
私が子供の頃、銀座には滅多に行かなかったのに、家には『銀座百点』の最新号が普通にありました。おママがコタツで読んでいるのを真似て私も自然に手に取り、寝転びながら眺めていたものです。
宝物のようなお菓子、きらびやかな宝飾品。
色彩豊かなお洋服や上品な和服や和装品、靴やバック、絵画。
そして美味しそうなお料理。などなど…。
子供心にどれもこれも夢のように素敵に見えました。(それは今も同じ)
対談は読み易いので、わりと早くから読んでいた気がします。
中学生になったくらいの年でしたが、向田邦子を知ったのも『銀座百点』でした。
*祖母の思い出
なぜ、実家にいつも『銀座百点』があったのか?
それは私の祖母が娘のおママに届けていたからです。
祖母は週に一回か10日に一回くらいのペースで銀座の眼医者さんに通っていました。そちらは古いお付き合いの眼科で、祖母は最晩年まで銀座通いを続けていました。それが祖母の楽しみであり、生活の張りだったのだと思います。
読みたいから、おママが「もらってきて」と頼んだのでしょう。
眼医者さんの帰りに祖母は銀座百店会(銀座の商店の協同組合)に加盟しているお店に寄り、ちょっと買い物をして『銀座百点』を頂いてくる。
それを後日、娘の家に届けて孫の顔も見る。
今思えば祖母から娘のおママへ、そして孫の私達まで、一冊の『銀座百点』は三世代を繋いでいたのですね。
*その後
祖母が鬼籍に入った後も、以前ほどではありませんが、おママは『銀座百点』を読んでいました。たまに銀座に行った時に入手していたようです。銀座百店会に加盟しているお店でお買い物をしたついでに頂くのですが、月の初旬を過ぎると無くなる可能性もあり、いつも手に入るとは限りません。それでも、時々実家で見かけていました。
今でも私達にはお馴染みの『銀座百点』です。
オネコも私も銀座に出かけた時、なるべく手に入れたいと思います。そして読み終えたら、おママに手渡します。
文字が読めなくなってきたおママですが、今も『銀座百点』を開くと心がときめくのでしょう。何度もページを繰って美しい写真を眺め、後日それが貼り絵の材料になったりします。
おママにとってインスピレーションの宝庫❗️
以前からおママは『銀座百点』の表紙や広告写真を貼り絵に使っていました。それはアルツハイマー型認知症を患う前からかも知れません。
今年の10月から11月はバックナンバーを使わせて頂き、何作も綺麗な貼り絵が出来ました。
それをアップする前に、思い出を書いてみようと思いました。
読んでくださり、ありがとうございます。
*本日アップの貼り絵について
中央上部に『夏野』の文字が見えます。これは『銀座百点』に掲載された⬇️のお店の広告写真を使ったようです。私はこの貼り絵の制作途中を見ていないので、判断しかねるのですが、周囲のパーツは同じ広告ページや作業机の上にあった紙を組み合わせたのだと思います。
⬇️『銀座百点』の公式HPです。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。