(2019年9月20日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年7ヶ月)
*やさがし
11月になって、私は時々実家でゴソゴソ家捜しをしています。
チャーコが何か実家でお宝を見つけて、ネコババしようとしてるって?
そう思われるかも知れませんが、実家には一般的なお宝などと言う物はありません。
残念だぁ。
私が探しているのは、おママが貼り絵を始める前の作品です。
ルリユール(ヨーロッパの伝統的で美術的な装丁技術)の箔押し(金箔押し)やモザイク技法の作品は直ぐに取り出せるのですが、それ以前の革工芸のクラフトカービングの作品は残っていないのか…。
それともおママは何処かに仕舞い込んでいるのか?
思うような過去の作品が見つからないので、私は製本の作品を納めているタンスの引き出しを開けて、一つ一つ眺めていました。
すると、⬇︎これが眼に入りました。
恐らくおママが50代の頃に、練習用の白紙の本を製本した物だと思います。
あまり大きな本ではありません。
⬇︎このくらいの大きさです。
皮革ではなく、布で装丁の練習をしたのですね。
私はおママがこの布地を大事にしていた事を覚えております。
そして、おママがこの練習作品に取り組んでいた事も、記憶があります 。
*若い時に習った型絵染
この布地はおママが結婚する前に、自分で染めた物です。
昭和30年代の初頭、ほんの数年間だったと思いますが、おママは結婚するまで染色家である芹沢銈介先生の工房に型絵染を習いに行きました。
昔、おママから聞いた話ですが、女子美術大学で一般の人も参加できる芹沢先生の染色教室があったそうです。勿論これは短期間で、今でいうところのワークショップみたいな物だったのかも知れません。
おママはすっかり染色が面白くなってしまいました。それで、続けたいと思ったそうです。他にも数人希望者がいたらしく、定期的に芹沢先生の御自宅にある工房に通えるようになりました。
勿論、人間国宝の芹沢先生も見てくださったそうですが、主立ったお弟子さんから指導をうけたのではないかと思います。
銀行勤めをしながら、染色の勉強に通う。
そんな、おママの楽しそうな姿が眼に浮かぶようです。(^O^)
型絵染とは…。(ザックリとした説明です。)
①渋紙に下絵を貼り付け、カットして型を作ります。(補強のためでしょうか?裏面に薄い綱を貼っています。)
②型を布の上に置き、もち米を主原料とする防染糊を付ける。
③型を布からはずし、防染糊の付いていないところを染料で染める。
④染め終わったら防染糊を洗い流す。
実は、この装丁に使った染色布は型紙も残っているのです。
六十数年も前の型紙ですが、渋紙は丈夫ですね。全く、痛みや劣化がありません。
そして、私の知る限り、型と実際に染められた現物が残っているのはこれだけです。
(⬇︎これが型紙)
古くて紐も切れてしまったカルトンに、何枚も型紙が残されていました。
⬇︎下の写真の中で、左上の図案は、後におママの箔押しの作品に使われています。
その件については、また別の機会にでもご紹介します。
⬇︎芹沢銈介先生の作品や経歴が詳しく書かれています。
⬇︎丁度、おママが通ったのは昭和30年代でした。
*そして革工芸、ルリユールへ
昭和34年に25歳でおママは結婚しました。当時、ジジの勤務地は小樽でした。
昔のことですから、おママは結婚と同時に銀行を退職しました。
恐らくこの時に、芹沢先生の工房もやめたのでしょう。
後年、下の娘(チャーコ)も小学校高学年になって、子育てが一段落した頃に、おママは革工芸に取り組みました。
何故、革工芸を選んだかというと、
「昔、芹沢先生が私の染色を見て、『あなたは革の染色に向いているのではないか』と仰ったのよ。それで、いつか革工芸をやってみたかったの」
と言っていました。
若い時に尊敬する芹沢銈介先生の工房に通い、先生の作品に接した事は、おママのその後の手仕事に大きな影響を及ぼしてたと思います。⬆︎の「静岡市立芹沢銈介美術館」のサイトを見ますと、芹沢先生は本の装丁もなさっていたのですね。
20代前半に取り組んだ型絵染の布。
50代で始めた製本技術
この装丁の作品は、この2つが融合して生み出されたのですね。(^O^)
*本日アップの貼り絵
千代紙をたくさん使っています。民藝のイメージがあるので、選んでみました。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。