(2019年9月25日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年7ヶ月)
*分からない不安
自分が何者なのか?
今居るところは何処なのか?
目の前にいる人物と自分の関係が何なのか?
私は正直、これが分からないという事が理解できません。
しかし、もし、自分がそういう状況に置かれたら、とても不安だと思います。
まさに認知症歴12年のおママはこんな状況なのでしょう。
ジジに向かって、
「あなたは何なの?」
「私はここに居て良いの?」
と、時々訊ねます。
「私は夫だよ」
「ここはあなたの家だから安心してここに居て良いんですよ」
そうジジや私が説明すれば、おママは大抵納得します。(納得しようとするだけなのかも。)
*これは10月の事でした。
この時は自分の名前も思い出せなかったようです。だからおママの疑問はかなり深刻だったでしょう。
「あなたは何なの?」
「私はどうしてここにいるの?」
ジジと私が二人掛かりで説明しても、全くイメージが湧かないようでした。
「私はああからここに来たの?」
上のおママの会話の中にある「ああ」は「実家」もしくは旧姓の「友久」だと考えられました。
「あなたは私の奥さんで、ここにお嫁に来たのですよ」
しかし、ジジがそう言っても、ピンとこないようでした。
「えー、どうして?」
そんな言われ方したら、ジジも返す言葉に窮します。
「もう、私は何も分からないわ。」
おママは肩を落とすし、こちらもどう対処したら良いか悩みました。
先ほどおママが言った「ああ」は「実家」ではなかったのかも知れません。
*絡んだ記憶の糸を解けるのか…。
おママという人が何処で、誰の子として生まれたか。
そして、誰と暮らして育ったか。
大人になって誰と所帯を持って生きてきたか。
おママの頭の中で混沌としてしまったのですね…。
説明をしても言葉の意味が分からなくなってきた現在では、何か衝撃的なカンフル剤がないと記憶の糸は解けないような気がしました。
それで、私は思い切っておママのお母さんの写真を見てもらおうと思いました。
なぜ、思い切ってなのか…。
そのスナップ写真はいつも戸棚の片隅に飾ってあります。
でも、おママはその存在を忘れているようです。
こんな調子ですから、私は事改めておママにその高齢女性の写真を見てもらいませんでした。
(だって、おママはオネコや私の子供の頃の写真を見ても娘とは分からない。だから、自分の母親の写真を見ても、誰だか分からないかも知れない。)
実の親の顔が分からなくなっているかも知れない。
私はその現実を直視したくなかったからです。
*記憶の手掛かり
しかし、怖いけど、思い切って写真をおママに手渡しました。
「この人は誰か分かる?」
おママはじっと見つめていました。
「これは私の……なの。」
おママは「お母さん」という単語が出てきませんでした。
「これはお母さんを産んだお母さんなのよ。」
おママは少し微笑んで頷きました。
「そうね。それはわかるわ…。
私ははじめはお母さんとお兄ちゃんと暮らしていたの。」
そうです。そうです。おママのお父さんは早くに亡くなっているのですから。
大正解❗️
「それでね。大人になって、私と結婚してこの家に来たんだよ。」
ジジの言葉におママはようやく合点がいったようでした。
「このお母さんのお母さんは、随分前に亡くなったのよ。」
「そうね。それもわかる。で…、お兄ちゃんはどうしているの?」
「もう何年も前に亡くなったのよ。」
おママは一瞬沈黙しました。
「それで、そのおうちは今どうなっているの?」
この時のおママの目の奥に、昔の実家の光景が浮かんでいたのかも知れません。
「あるわよ。お兄ちゃんの奥さんが今もそのお家に住んでいるのよ。」
おママは目を輝かせて笑顔になりました。
「良かったわ。」
お母さんの写真は、この日のおママの混乱をうまく解消してくれました。
いつもこう上手くいくとは限らないでしょう。
でも、ダメ元でも良いから、時々母親の写真をおママに見てもらって、会話をした方がいいのかも知れない。そう思いました。
一緒に思い出して記憶の手がかりにしたら、
写真の中で微笑んでいる祖母も喜ぶような気がしました。
(^O^)
⬇︎家族に写真については、ちょっとした後悔もあります。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。