アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

おママの「お帳面」は五年日記

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(2020年11月15日 アルツハイマー認知症の診断から約13年9ヶ月)

 

 前回記事で久しぶりに「お帳面」を話題にしたので、今回はそれがどんな形態だったか、ご紹介してみようと思います。

 

おママとお帳面

おママは家計簿のことを「おちょうめん」と言っていました。

なぜ、帳面に「お」を付けるのか、家計簿と言わなかったのか。

きっと専業主婦で一家の全てを預かってきたおママは、家計簿を大切に考えてきたのでしょう。

  

私が子供の頃、夕方買い物や外出から帰宅したおママが、レシートを見ながら記入している姿がよく見られました。時には夜になり、私が1日のあれこれを話しかけてたりすると、

「今、お帳面をつけているから、ちょっと黙っていて」

なんて言われました。項目ごとに丁寧に記入して算盤を入れる。その算盤のパチパチいう音と「お帳面」は私の中でセットになっていました。

 

おママは結婚する前は銀行員でした。

「窓口業務ではなく『外為』だったのよ。」

 外国為替課の略です。「ガイタメ」とおママが言う時、少し鼻が高い感じでした。

昭和20年代の後半のことですから、ネットのない時代です。銀行の支店だって、今ほど電話回線が多いわけでもありませんでした。日々の取引先からの輸出入に伴う為替業務は忙しく、日銀の外国為替課に走ったり(文字通り急いで出出掛ける、急を要する時はタクシーを使う)銀行本店の指示を仰いだり、書類作成、帳簿付けなどなど。女学校を出てすぐのおママにとっては、やり甲斐のある仕事をしていたそうです。

もしかしたら、これは私の想像ですが、この頃からおママは帳簿などを「お帳面」と言っていたのかも知れませんね。

そして、6年ほど勤めてから結婚し、専業主婦となったおママ。

しっかりと家計簿を付けて家計を預かる。

おママにとって「お帳面」はとても大切な仕事の一つだったように思います。

 

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五年日記と合体❗️

厳密にしっかりした家計簿だった「お帳面」に変化が現れました。

それは私が結婚してからか?その前だったか?

平成の時代になって割とすぐだったと思います。

前から「お帳面」は分厚いノートでしたが、中身が全く変わってしまったのです。

ページを開くと、7行くらいごとに線を引き、五分割していました。

 

「人に聞いたのよ。1ページに同じ日付で5年分の簡単な支出を書いて、ついでにその日にあった事をちょこっと書いておくんですって。

そうすると毎日ね、過去にその日にあった事を見るでしょう。簡単に夕飯の献立とかも書いておいたりね。見返すと結構それが面白いし良いんですって。」

 

つまり、いわゆる五年日記です。

恐らく、娘たちが出て行って、夫婦二人になると買い物は減ってしまった。それなら、家計簿を簡略化しても良いと思ったのだと思ったのでしょう。

そうして、おママの「お帳面」は、五年日記にちょっとした支出と残高を計算して記入し、余白に日記も書くスタイルになりました。

既成の五年日記帳ではなく分厚い市販のノート使い、上半期と下半期で年2冊づつに分けて使っていました。(5年で2冊使う)

 

 (↓)実物です。日記部分には個人的なことが書かれているので微妙に見えなくしています。現在戸棚のすぐ見えるところにあるのは5冊、私の手元に1冊。

その6冊は、平成12年から16年、平成17年から21年、平成22年から26年の15年分です。もしかしたら平成12年以前の5年分もあるのではないかしら。

 

開いてあるページは平成12年から16年の1月16日と17日です。

1日分の左側が簡易家計簿と献立。右側が日記部分です。

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日記部分にはおママの日常や楽しかった事、嫌だったことが詰まっています。

娘のところに行って孫と遊んだ。可愛かった。

今日は工芸金箔の教室に行った。友人が入院した。そして退院した。

革工芸のお仲間とグループ展をした。友人知人が来てくれた。

そして、確かに家族の言うように、記憶が曖昧なのかもしれない。

不本意ながら病院に行き、どうも私はアルツハイマーらしい…。

薬を飲むことになった。

でも、普通通りの暮らしは続きました。

女学校時代の友達とは月に1度はランチをしていた。

長女と病院に行った。夫は顧客訪問をしている。

 

2007年(平成19年)2月におママはアルツハイマー認知症と診断されましたが、この「お帳面」はジジの協力の元、続けられました。記憶力が曖昧になったので、日記部分は段々に書くのが難しくなり空白となりました。しかし、簡易家計簿の方はジジや娘達のサポートを受けながら2018年2月末まで続けました。

 

おママはアルツハイマー認知症になっても、人生は終わりではなかったし、確かに暮らしてきたのです。

貼り絵をしながら、「お帳面」を付けながら…。(^。^)

 

本日アップの貼り絵

なかなか衝撃的な作品です。私が実家に行かなかった日に制作されました。ジジによると、おママは自然と作業机に向かい、手近にあるもので貼り絵をしたそうです。

台紙はいつもの「越前耳付きはがき」ではなく普通のコピー用紙です。医療費の領収書の裏面を使っていました。(^O^)

 

台所で使う不織布の布巾はずいぶん前からおママの作業机の引き出しにありました。

本当に使ったのね…。

以前、デイサービスでやっていたスクラッチアートは続きをやらないまま、ずっと引き出しに眠っていました。

遂にこんな形で日の目を見るとは…。(^O^)

(↓)このスクラッチアートを使っています。

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 (↓)小津和紙で買った『鬼滅の刃』禰󠄀豆子ちゃんの麻の葉模様もちゃっかり登場しています。

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それでもどことなく調和が取れているのが面白いところ。

おママ、やってくれましたわね。(^O^)v

 

 おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。