アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

コロナ禍の救急搬送(その1 突然の発熱)

(2018年10月18日 アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月)

 

ご報告

実家の父ジジが7月19日火曜日にコロナウイルスに感染して入院いたしました。

さっさと4回目のワクチンを打っていなかったのがいけなかったのでしょうか。

ひどく後悔しております。

今は東京西部の中核病院の感染病棟で治療を受け、容体は安定しております。

実は、入院先が決まるまで、かなりシビアな状況が長時間続きました。

その経過を忘備録的に書き留めておこうと思います。

こんな事情もありますので、読者登録をさせていただいているブログにお伺い出来ませんでした。

申し訳ありません。

 

デイサービスでの異変

この日、デイサービスに着いてしばらくしたら、ジジは体調不良を訴えたそうです。

それで、昼前にデイサービスからオネコに連絡が入りました。概要はこんな感じです。

午前中に3度嘔吐した。

熱は36度9分〜37度2分くらい、現状は落ち着いている。

高齢なので早めにかかりつけ医に見てもらったほうがいいので、

ご家族が迎えに来てください。

オネコさんは在宅ワークで5時まで動けない。それで私が自宅から1時間ほどかかりますが、迎えに行くことになりました。デイサービスからタクシーでかかりつけ医に直行しちゃえ❗️

しかし、自宅を出る前にかかかりつけ医に電話すると、先生は不在。午後の診療時間はワクチン接種を受け付けた日なので、診察はそれが終了してからとの事。

「何時頃なら診ていただけるか、先生がお戻りになったら聞いてください」

私はそう電話で頼んでから家を出ました。

そもそもジジは胃腸が丈夫です。まず,吐くことなんてないのにどうしたことでしょう。

しかも途中でオネコから電話があり、

「熱が37度7分まで上がったんだって❗️」

元々平熱が低いので、これは尋常ならざる事態です。

私が15時にデイサービスに着くと、ジジはベッドで寝ていました。声をかけると微かに目を開けますが、額に触れたら思わず手を引っ込めるくらい熱かったのです。呼吸が苦しそうで、グガァーグガァーと喘ぐようです。

その顔面はまるで2年前に亡くなった義母クレバーの臨終の顔とダブってしまうほど似ていました。

つまり、私の目には、すでに死相が顕れているように見えたのです。

スタッフさんがパルスオキシメーターで血中酸素濃度を測定したら81。体温は38度3分でした。

折よくかかりつけ医から電話があり、相談すると「救急車を呼んでください」との事で、直ぐにスタッフさんにお願いしました。

ふと、デイサービスのフロアを見回すと、おママの姿が目に入りました。ジジが倒れた事も私が来たことも知らず、他の利用者さんと楽しそうに本を見ていました。

 

今は第7波の感染爆発ですから、救急車が逼迫している事はある程度覚悟していました。それでもまさか、

「今現在、東京都に救急車は一台も空いていません。待っても何時間かかるかわからない」

との返事が来るとは思いませんでした。

その時、時刻は15:30。デイサービスが終了するのが17:30。

果たして、2時間で救急車は来るのだろうか?

すでに死にそうなジジが2時間も保つのだろうか?

 

チャーコ覚悟を決める

そもそも,救急車は生きている人間が乗るものですから、死んでしまったら乗れません。

血中酸素濃度が80ほどで、高熱に浮かされているジジは、このままではデイサービスの中で息絶えるだろう。可哀想だけど、最悪の事態も覚悟しなくてはなりません。。

ジジはいつも「最後まで家にいたい」と言っていました。やはり、家で見送ることも考えた方が良いのか…。

 

救急車を待ちながらデイサービスで看取るか。

無理にでもタクシーで帰り自宅で看取るか。(ただ、タクシーの中でこと切れたら,それはそれで後が大変だし,危険がいっぱいだ。)

どちらにしても、かかりつけ医に「死亡診断書」を頼まなければ、警察が入って監察医に「死体検案書」を交付してもらう羽目になります。

 

それで私はかかりつけ医に

「救急車は来ないです、もう父はもたない、ダメだと思います」

と再度相談すれば、

「それでも救急車が1番でしょう」

の一点張りでした。

「家に連れて帰ろうかと思います。」

「家に連れてっても,どうしようもないでしょう。」

「そうです、でも救急車が来なければ助かる見込みはないです。どうしようもないんです。先生、家に連れ帰ったら、夕方でも往診してもらえますか?」

「え…、時間がなくて無理です。」

ここから先、私はなかなか凄まじいことを口にしました。しかし、患者の家族がここまで言う時は、よほど切羽詰まった状況だけです。

「長年、診ていただいた父ですが、先生、最後に死亡診断書は書いていただけますか?」

 

「それこそ,救急車です。」

 

その救急車がないのですよ。

 

まぁね、かかりつけ医の気持ちもわかりますよ。本来、生前最後の診察から24時間以上経過していたら、かかりつけ医が「死亡診断書」を書けるのは、治療中の病気か持病による死亡だけです。今回は訳のわからない急変で,しかもコロナ流行期に高熱を出しているんですから、迂闊に関わったら面倒な案件でしょう。

言った私が馬鹿だった。

私は自宅での看取りは諦めました。

https://www.kokushinkyo.or.jp/Portals/0/Report-houkokusyo/H25/H25%E7%B5%82%E6%9C%AB%E6%9C%9F_%E6%89%8B%E5%BC%95(%E5%9C%A8%E5%AE%85).pdf

 

「このまま,救急車を待ちますが、デイサービスの終業時間まで後2時間ですから、それまでに来てくれるのか分かりません。それに父は危ないと思います。救急車が父の息のあるうちに間に合うのか?疑問ですが…。」

スタッフさんにそう伝えると、彼は再度119番をしてくれました。そしてしばらくすると朗報がありました。

「6キロ先で救急車が1台空いたので、直ぐに来てくれるそうです❗️」

やったー❗️

「お父さん❗️」

呼びかけても、反応が薄れていくジジに私は必死に言い続けました。

「お父さん❗️もうすぐ救急車が来てくれるよ。頑張ろうね❗️」

 

高齢ゆえ、これが今生の別れか

おママは通常より遅い時間のバスで自宅まで送ってもらい、仕事を終えたオネコが迎えることになりました。だから,おママの心配はない。でも、ジジは高齢で予断を許しません。

ここで,私はもう一つ選択をしました。

「救急車に乗り込む前におママをジジに会わせるべきか。」

本来,認知症で家族の存在すら分からなくなっても。私は今生の別はするべきだと思います。

しかし、この場合、もし救急車が出た後に。異変を感じたおママがパニックになったら、施設や他の利用者さんの迷惑になるかもしれない。

私は心を鬼にしておママには悟られないように出発しようと決めました。

ただ、オネコさんはジジが危篤と知りながら、就業後おママの世話を引き受けてくれたのです。そのために最後のお別れを出来ないのは辛いだろう。そう思うと胸が痛みました。

 

救急隊員が来てくれたのは16:00頃。

その時、ジジの体温は40度を超えて、血中酸素濃度は80を切っていました。

それでも直ぐに酸素吸入が始まり、希望の光が見えました。

やはり、ジジは運がいい。なんて幸運なんだろう。

確かに幸運でした。救急車が来てくれたのですから。

しかし、話はとんとん拍子には進まなかったのです。

(次回に続く)

 

ファイルの中からこんにちは❗️

2018年10月18日の作品です。

今から4年前、おママはジジからこの(↓)フォトコンテストのチラシを貰って、この作品を制作しました。

私にとって、とても好きな作品でしたが、なぜかブログにアップしていなかったようです。

ジジが元気で退院できますように。

そんな願いを込めて掲載しました。

 

おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。