アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

崇高なる一礼

(2022年5月9日 アルツハイマー認知症の診断から約15年3ヶ月)

 

母の手を引いて

例えば、夜の就寝前に、またはデイサービスへ行く前に、

私はどうしてもおママにトイレに行って用をたしてもらいたいのです。

それで、おママをトイレに誘います。

まずはソファーから立ち上がってもらうのも一苦労。

「さぁ、芙貴子さん。おトイレに行きましょう。立ってくださいな。」

まず、トイレがわかりません。立つという言葉と動作が噛み合いません。

最近、立ち上がる時は、私がおママの両手を掴んで引っ張って、ようやく立ち上がってもらいます。

「なに?わたしはいいです。いいんです。」

そうはいきません。行ってください。

ようやく廊下に出てトイレに向かいますが、視野の狭まったおママには不安がいっぱいなのでしょう。片方の手は私が繋ぎ、もう片方の手を進行方向と思われる前方に翳して探っています。

「こっち?こっち?」

「ほら、光の見えるところですよ。」

「あぁ、あっちね。」

トイレにたどり着いても、そこが何処だか分かりません。

「え、これ、どうするの?」

私がおママのズボンやらリハパンを下ろして便座に座らせると、

不思議と用をたしてくれます。

でも、トイレットペーパーで拭くのも、それを便器の中に捨てるのも要領を得ない。

リハパンとズボンを漸く履いて、振り向かせても、視野に入らないのでしょうか。

流すレバーが何処だか分かりません。

 

感謝

しかし、水洗トイレのジャーという流れる音を聴くと、おママは一連の動作の終了を感じて、ホッとするのでしょう。

おママは笑顔で流れる水洗トイレを見つめて、

「ありがとうございました。」

そう言いながら、深く一礼をしました。

おママは何に感謝しているのでしょう。

最近頻繁に便座に向かって繰り返された、おママの感謝と一礼。

微笑ましいと言えば微笑ましいです。

しかし、私にはそれが厳かで宗教的な行事を滞りなく済ませた時の、

崇高なる一礼に思えてしまいます。

 

太古の昔から、人は食物や水分を摂って、動いて、眠って、排出します。

その流れが滞りなければ、人は元気で健康なのです。

古人はそんな健康を願い、感謝した事でしょう。

私は今、記憶も言語も視界すら失くしかけたおママに、人の根源的な感謝の姿を見出したのです。

なんと、尊いことか…。(^O^)

本日アップの貼り絵

2022年5月9日の昼過ぎ。

おママはこれらの紙に(↓)興味を持っていました。

傘模様に沿って、早速切り始めました。

youtu.be

<おママの貼り絵制作動画①>

2022年5月9日 15:23〜(41秒)

おママは傘の模様に沿って丁寧に切っていきます。

 

(↓)2ピース目も大きく切ります。

 

(↓)こんな感じに配置するようです。

youtu.be

<おママの貼り絵制作動画②>

2022年5月9日 15:37〜(1分30秒)

白地に茶色の市松模様を丁寧に2枚カットして配置しております。

 

最終的には若干変化していますが、おママは完成することができました。(^O^)

おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。