(2022年5月30日アルツハイマー型認知症の診断から約15年3か月)
*嬉しいお出かけ
小学生の頃(昭和40年代後半から50年代前半)、私にとってデパートといえば小田急百貨店でした。新宿駅は電車一本で行かれる大都会。その西口に直結している小田急百貨店は私にとって新宿の象徴のようなものです。
滅多にないことですが、おママがデパートに買い物に行く時、私はなるべく付いて行きました。
「チャーコのものは買わないわよ。」
「分かってる。」
でも、私にはお目当てがあったのです。折角、デパートに行くのですから、上層階のレストランで食べたいものがありました。
「不二家でスパゲッティナポリタンとペコちゃんサンデーが食べたいなぁ。」
「えー、また?」
おママさん、「また」と言うけど、年に数回のことですよ。
当時、小田急百貨店のレストラン街に不二家のレストランがあったのです。
「私は毎回スパゲッティナポリタンを食べさせられるの嫌だわ。折角お外で食べるなら、違うものが食べたいわよ。」
子供の頭ではおママの言う意味がイマイチ理解できませんでした。
おママだって好きなものを食べりゃぁ良いのに…。
「食べたいなぁ。」
それで,結局は不二家へ行くのです。なぜならおママは超少食の私が食べる気になった物に合わすしかなかったのです。
私の定番はスパケッティナポリタンとペコちゃんサンデーでした。これは凄いご馳走で、子供心に晴れの日のメニューでした。
今は便利なレトルトのパスタソースがありますから、スパゲッティナポリタンは家で簡単にできる料理になりました。しかし当時は、レストランで食べる料理でした。
そして、「ペコちゃんサンデー」はアイスクリームやフルーツが盛られたパフェのようなデザートです。その頂点にペコちゃんの顔を形どった棒付きチョコレートが載せられていたのです。これを食べるのは子供心に至福の時でした。
しかし、胃袋が小さかったせいか、私はペコちゃんサンデーは意地でも全部食べましたが、スパゲッティナポリタンは半分以上残していたのです。
少食の子を持った母親の性でしょう。毎回、おママは私の残したスパゲッティを食べることになるのでした。
おママの子供時代は戦中戦後の食糧難の時代です。
かなり食べ物で苦労したので、おママに料理を残すという選択肢はありませんでした。
それで、おママは自分の分は紅茶やコーヒーだけを注文し、私が残したスパゲッティを平らげていました。
私がその事に気がついたのは小学4年生の頃でした。それまでおママが何を注文しているかなんて気にも留めていませんでした。
「なんでお母さんはお料理を頼まないの?」
「だって、あんたがスパゲッティを残すでしょう。もったいないし、自分の分を頼んだら私は2人前ちかく食べなきゃならないでしょう。」
(えーーー。私がいつも残すから、おママは好きな料理を頼めないのか…。)
それを知って,子供心に驚きました。私はその時から意地でも全部食べるようにしました。
私が完食するのを見て、おママは感嘆しました。
「あら、やだわ。あんた、全部食べられたのね❗️」
そして、おママは再びメニューを開いて自分の分を注文しました。
(こんなにスパゲッティを食べちゃったら、折角の『ペコちゃんサンデー』が食べられなくなったらどうしよう…。)
しかし、私は『ペコちゃんサンデー』も難なく完食しました。
子供なりに「甘い物は別腹」と言う崇高な仮説を実証したのであります。
それ以降、私は食が進むようになって、甘いデザート以外でも、食事を全部食べられるようになりました。
(↓)私のイメージの「ペコちゃんサンデー」はこんな感じです。
アイスクリームとホイップクリーム、そしてバナナとイチゴがたっぷり❗️
あくまで記憶の中のイメージです。当時の実物とは違うとは思います…(^◇^;)
おママとデパートへ行った、子供の頃の思い出です。
もう,一緒に外食は無理だから、余計に懐かしいです。
こんな事を思い出したのは、小田急百貨店新宿本館が2022年10月2日で閉店してしまったからです。
おママと歩いた新宿駅西口界隈と小田急百貨店の風景は消えてしまうのね。
ちょっと寂しいな。(^◇^;)
*これから新宿も変わる
関東ローカルな話で申し訳ありません。
2022年10月2日日曜日。小田急百貨店新宿本館が閉店しました。
ここはJR新宿西口改札からのアクセスは抜群でした。広い新宿駅西口エリアで、丸の内線,大江戸線の地下鉄や西武線からJRや私鉄(小田急線・京王線)へ向かう途中に位置し、まさに西口の顔と言うべきデパートでした。
戦後、それぞれの鉄道会社が開発を繰り返して、まとまりがつかないまま老朽化していく新宿駅。今後、その新宿西口を統一的に大規模再開発することになりました。そのために小田急百貨店本館は取り壊され、周辺とともに超高層ビルに生まれ変わるそうです。
再開発で利便性が上がり災害にも強くなれば結構な事だと思います。
でも、再開発となると長期にわたって延々と工事が続くのでしょう。仕方ない事ですね。
再開発で先行している渋谷駅は10年くらい前からずっと工事中です。2027年完成予定で、現在も工事の進捗によって通路が頻繁に変化して、そのカオスっぷりは相当なものです。私からすると若い頃から使い慣れた渋谷駅は、今や見知らぬ迷宮ですわ。
(嗚呼、ついに新宿駅よ,お前もか。)
私は自宅から実家へ通う時、必ず新宿駅で乗り換えます。これから2029年の完成まで、混沌とした迷宮を歩くのです。
気分は下降しそうですが、なるべく上を向いて元気に闊歩していきたい。
思い出の風景を胸にしまって、新しい未来の新宿駅に期待しようと思います。
(↓)閉店翌日の小田急百貨店地下エレベーター乗り場。
*本日アップの貼り絵
2022年5月30日の貼り絵です。
今から4ヶ月ほど前ですね。動画を見ていると、たった4ヶ月前なのに、おママはなんてしっかりしていたのかと思います。綺麗なシンメトリーを計画している様子を見ながら現状を思うと少し悲しくなります。
(↓)この日もママが興味を持ったのはこの友禅紙です。縦のラインで切りやすそうです。
<おママの貼り絵制作動画①>
2022年5月30日 14:39〜(3分43秒)
おママは細長いテープ状に切ったピースを更に斜めのラインに沿って切り進めました。そして、菱形を作ろうとしています。
菱形が4枚できたところで、おママは構成を考え始めますした。
最終的にシンメトリーを意識すると、菱形が2枚足りないことに気がつきました。
<おママの貼り絵制作動画②>
2022年5月30日 14:47〜(45秒)
ピースが揃ったので、最終的なデザインを決めています。菱形はシンメトリーが作りやすいですね。(^O^)
(↓)糊つけ中です。おママは最終的に更に2ピース加えました。それは写真下部の赤い矢印のところにありました。
(↓)もうすぐ完成です。
前々回2022年9月の「今月のイチ押し」の記事で、ururundo (id:URURUNDO)様から質問をいただきました。ありがとうございます。
「紫の和紙の名前が友禅紙と言うのはなぜ?。気になりました。」
以前はブログの中で「千代紙」や「和紙」と表記していましたが、HPなどを見ると小津和紙では「友禅紙」と称しているようです。それで、ブログでも小津和紙で購入した紋様入りの和紙を「友禅紙」と表記するようにしております。m(_ _)m
おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。