(2020年1月22日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年11ヶ月)
*静かに過ごした
昨年末、特別養護老人ホームの入所日が決まりました。
おママが自宅で過ごす日数も残り少なくなると、私も少々感傷的になっていました。
あれこれ荷物の準備はあるけれど、取り立てて特別な事はしませんでした。
落ち着いた日常の延長線上で送り出してあげたかったのです。
それでも、時期は年末年始なので、日常よりは人の出入りがありました。
まず、ジジの妹の久美子叔母と従姉妹のKちゃんが来訪。
叔母はおママと女学校の同級生で、長い付き合いです。コロナの分類が「5類」になれば、面会はかなり緩和されると思います。でも、叔母も高齢ですし、特養まで面会に行くのは大変です。事実上のお別れに来てくれました。ジジ、久美子叔母、そしておママが笑顔で和やかな時間が過ごせて、私も嬉しかったです。
国民学校(小学校)時代からの幼馴染Oさんは何かと気に掛けてお電話をくださった方です。
お電話で報告とこれまでのお礼をお伝えしました。おママも受話器を取り、話ができて良かったと思います。
コロナが流行中で、孫も全員が会えたわけではありません。彼らは時期を見て面会に行ってもらいましょう。
*あれがウチ
大抵、おママは夕方近くなると、自宅にいても家に帰りたくなりました。そうでなければ買い物に行きたくなります。
そんな時、私はよくおママと近くのコンビニエンスストアに行きました。一本道を二人でのろのろ歩いても5分はかかりません。ちょうど良い運動です。
特養入所前日もいつものように出かけました。
買い物といってもおママにはレジで支払うという行為は全くできません。しかし、お店に入るだけでも、その雰囲気は楽しいようです。私はおママが店の中で商品を落としたり他の人にぶつからないように気を付けながら、レジで支払いを済ませました。そして出入り口に誘導すると、おママは何を思ったのか、店員さんに深々とお辞儀をしたのでした。
「ありがとうございます。」
私はそのおママの姿を見て思わず涙が出ました。マスクは便利ですね。それを隠してくれますから。
(もしかしたら、もう、おママが買い物に行くなんて事はないのかも知れない。)
私は必死で嗚咽を堪えました。
そして、シルバーカーを押しながらゆっくり歩くおママに寄り添いながら家路につきました。実家が見えてくると、おママとの買い物はもうお終いです。
「もうすぐでお家だね。」
するとおママは指差していうのです。
「そう、あれがウチ❗️」
おママ、まだ朧げに半世紀近く住んだ我が家がわかるのね。
*これもウチ
おそらく、特養に入ってしまえば、おママの記憶から自宅のイメージは失われるでしょう。居心地が良くて、親切な人がいて、ご飯が美味しければ、そこがおママの家です。
それで良いと思います。
古い写真を見ても、おママはもう余りよく分からないようですから、手荷物の中には入れませんでした。
それでも、おママはおそらく小さい頃からずっと、綺麗な色や模様のついた紙が大好きでした。その好みは認知症の末期になっても変わらなかった。
だから、おママの好きだった紙類をファイルに入れて持たせてあげよう。
眺めるだけで、きっとおママは心が和むに違いない。
作品もどうしようかと悩んだのですが、ひとまず紙だけでもと思いました。
(↓)私が選んで、オネコさんにファイルに入れてもらいました。
おママが出して遊んでも良いように、大きめの紙は折り畳んで入れています。
「紙屋の娘だったから、紙を持たせてあげるのは名案だよね。」
「でしょう。」(笑)
おママのお父さんは戦時中に亡くなりましたが、生前は紙を扱う実業家だったのです。
(↓)ファイルが完成しました。おママは嬉しそうに何度も眺めていました。
これを見ながら「いいわね、これ」とか言ってくれたら嬉しいです。
わずかに残る最後の語彙が「いいわね」なら、それは人として幸せではないか。
綺麗な紙はおママの心の家のような気がします。
このファイルをよすがに、おママが思い浮かべるとしたら、それはいつのどの家でしょうか。
少女時代まで過ごした赤坂の家か。戦後から結婚まで過ごした代田の家か。
それとも半世紀近く住んだ我が家なのか。
家路は遠く霞んでいるといても、懐かしさとあたたかさを感じてくれたら良いなと思います。
*本日アップの貼り絵
2020年1月22日の作品です。2年前の作品です。
私のいない時におママが制作したので、写真も全く残っていません。
でも、食いしん坊のおママらしいですね。「桔梗信玄餅」のヘラの袋が貼ってあります。(^○^)
この年のお正月に、ユズちゃん一家が実家へ来た時の甲府土産だったのでしょう。
切れ端を集めて配置した作品ですね。
当時のおママとしては、余り悩まずに楽しんで制作したと思います。
おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。