見る角度によって色が変化します。
(2022年10月3日 アルツハイマー型認知症の診断から約15年8ヶ月)
*あの時つらかった
東日本大震災から12年。
大地震とそれに続いた大津波の犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
今年も3月11日前後、テレビの報道は東日本大地震関連が多かったと思います。
映像を見ると、あの時の事が胸に去来しました。
未曾有の災害の後に福島第一原発での爆発があり、絶望感に押し潰れそうになったあの頃。日本中、程度の差はあれど、みんな、辛かったと思います。
被災された東北の方々のことを考えたら、東京もんの私が「つらい」と言ったらいけないと感じていました。
ジジの両親(私の祖父母)は仙台出身です。
仙台には今も親しくしている親戚がいます。あの時…。本当に辛かったよね…。
あの日は親子3人で実家にいました。古い木造家屋ですから揺れも半端なく、「ここで親と死ぬのだ」と覚悟をししたものです。
揺れがおさまると、おママは認知症ですからすぐに状況を忘れてしまいます。
何度も何度も説明して、心身ともに草臥れ果てました。
ジジと私は損賠保険代理店をやっていましたから、翌週14日月曜日から、お客さまへお見舞いの電話をしたり、事故受付を手伝ったり、本当に忙しかった。
それに、全国的に物流がおかしくなっていて、スーパーの棚はどこも空っぽ。普通の食品はおろか菓子から乾物から根こそぎ商品がなくなっていました。特にパンの入荷は少なかったです。
「東京の人が買いだめと買い占めをするから、物がなくなっている。」
そんな話を聞いて、私は不思議でした。
「買い占めるほどの物があるのか…。」
私は普通の食パン一斤を買うためにスーパーの前に開店前から並びました。「お一人様1つまで」と、店舗も必死に少ない入荷を公平に販売しようとしてました。売れてしまっても入荷がなければ棚は空っぽになるのは仕方がなかった。
「放射能の汚染で、関東はもうダメかも。」
そんな不安も囁かれていましたが、行くところがなければ、もう仕方がない。
そんな、不安で不便で多忙な毎日のでも、
当時83歳のジジは頭も体力も今とは比べ物にならないくらいしっかりしていました。おママを支えて、よく頑張っていました。
12年前のあの頃、私はジジが居たから、なんとか乗り越えたと思っています。
*お忘れなんですか?
先週の金曜日(3月10日)の午後、ジジとテレビを見ながらオヤツを食べていると、
いきなりジジが私に質問するではありませんか?
「あなたは3月10日が何の日か知ってますか?」
聞くまでもない。今の今、テレビでその話をやっていたよね。
「東京大空襲のあった日ですね。」
「そう❗️同じ日に仙台でも空襲があってね。私は学校が休みだったから母親と妹が疎開していた仙台に行ったんだよ。そうしたら,焼け出されちゃってね。」
東京大空襲の日は日本の各地で散発的に空襲があったようですから、
「そうなんだ…」
と私は相槌を打ちました。
しかし、テレビに目をやれば、話題はもう東日本大震災関連に移っていました。
(テレビ局も忙しいね。)
私は、ジジと東日本大震災の頃の大変さを慰労しあいたかった。
それで、話題を変えてみました。
「ところで、お父さん、12年前の3月11日は大変だったよね。」
「え? なんだっけ?」
ジジよ,こっちの方がよっぽど…
ですわよ❗️
「父さん❗️東日本大震災よ。」
「え…よく覚えていないな…。」
マジで?
「ひどい揺れでさ。ここ(実家)でおママと3人で家具を押さえながら、なんとか耐えたじゃない。おママは直ぐに地震のことは忘れちゃうから、何度も質問されて困っていたじゃない。ガスコンロが壊れちゃって…。」
「そうだっけ?」
おいおい…。ジジよ。
「『あんなひどい揺れは80年以上生きていても初めてだったし、死ぬかと思った』と言っていたのに、忘れちゃったのぉ❗️」
しかし、ジジの頭は戦時中から離れません。遂に逆ギレ気味に言いました。
「そうか?それより、あなたは空襲で焼け出されたのを覚えていないの?
あの時、一緒に逃げたじゃないの❗️」
(なんだと?私がジジと一緒に空襲に遭っただと?)
私はショックを隠しきれませんでした。
「私は戦後生まれなんですよ。お父さんと空襲に遭ってなんかいませんよ❗️昭和41年生まれですから。」
「じゃあ,あの時一緒に居たのは誰なんだ❗️」
私の、ただでも出目金な目玉が、
落っこちそうになったじゃないの❗️(°_°)
「久美子叔母さんよ。」
「あ、妹か…。」
ジジよ、しっかりしてくれ。
さっき母と妹が疎開していたって言ってたじゃないの。
まさか、戦後生まれの私と空襲にあったと思うなんて…。
78年前と12年前の世界が重なってしまったのか。
どれだけ時空を飛んだやら。
それとも、私が89歳の久美子叔母に見えたのか?
きっと,その両方でしょう。
私はしばらく目をひん剥いて口をパクパクさせていいましたわ。(^◇^;)
記憶って、本当に当てにならない❗️
*本日アップの貼り絵
2022年10月3日の作品です。この日、2作目です。
因みに1枚目は(↓)こちらです。この作品で残った紙片を使っています。
元は友人の江口宝飾さんから頂いたカレンダーでした。
1枚目が完成して、おママは気分が良かったので、勢いでもう一枚に取り掛かりました。
(↓)「こうしようかしら。」
(↓)しかし、大きな三角形を貼るために、他のピースを画面から出してしまうと、
もう元には戻せません。おママの記憶は7秒くらいしか保てないのです。(^◇^;)
<おママの貼り絵制作動画①>
2022年10月3日 10:56〜(40秒)
自分の決めた構成をすっかり忘れたおママは新に構成を考えながら糊付けをしようとしていますが…。
(↓)赤いピースに糊をつけていますが、
私は(多分,おママは動画の最後で決めた場所には貼れないだろう)と不安げに見守っておりました。
<おママの貼り絵制作動画②>
2022年10月3日 10:58〜(1分11秒)
マ「これがどうなる?これがこっちをこうなるのよ。」
チ「白いところに貼ってね。」
おママはチャーコの言っている意味がわからず混乱。
マ「どこ?」
チ「空いている所に貼ってね。」
(↓)もうすぐ完成❗️(^O^)v
今回の作品の中に大きな三角形があります。ちょっと変わった布地なのです。
表面は光反射効果のある生地で、光の当たる角度によって赤系から緑系に色が変化します。シルク風のサテンでしょうか。シワのような凹凸の加工が施されています。生地自体はそれほど厚くありません。この生地は裏面に白い紙が裏打ちされています。
(↓)関連作品です。同じ光反射効果のある布地(裏打ちあり)を使っています
おママの貼り絵を見てくださり,ありがとう御座います。