
(2020年12月25日アルツハイマー型認知症の診断から約13年10ヶ月)
*今年も3月になりました
年が明けたばかりだと思ったら、もう3月です。新年度は目の前です。
私にとって3月は毎年「忘れてはならない、風化させたくない」と強く思います。
実体験した東日本大震災は3月11日。
そして、今から80年前の3月10日は東京大空襲の日であります。
私はこれまで3月10日前後に当ブログで「東京大空襲の跡を訪ねて」という記事をシリーズで書いてきました。
きっかけはダンナの亡くなった祖母が私に体験を語ってくれたからです。
それは私の自宅と近所の小学校での出来事でした。まさに私は80年前の悲劇の上に暮らしているのです。だからこそ風化させたくない。風化させちゃいけないと思うのです。
主にこれまで、台東区に残されている戦災樹木に着目して、それを訪ねて写真を撮り、ブログでご紹介してきました。
それで今年なのですが…、
私、昨年末に腰を痛めまして、まだあまり長時間歩いてはいけないのです。
たまたまテレビの情報番組で、すみだ郷土文化資料館で東京大空襲から80年の節目となる企画展が開催されているのを知りました。
こちらの資料館は4年前に言問橋での被害に取り組んだ時に娘のアズキと訪れました。
「今年はこの展覧会のレビューを書こう。資料館には最寄り駅(本所吾妻橋)まで電車で行けば、そんなに歩かないで済むしね。」
ええ、軽い気持ちだったのです。
2月26日水曜日。
当日は暖かい青空の日で、私は用事があって銀座線浅草駅まで行きました。そこから都営浅草線に乗り換えて、一駅先の本所吾妻橋駅で下車の予定。
ところがあまりにお天気が良かったので、浅草から吾妻橋を渡り、歩いて行こうと思い立ったのが間違っていたのか、資料館の先に欲を出したのがいけなかったのか。
全行程2時間半以上歩き回って1日の総歩数13031歩。ぐったり疲れました。
今日はその前半部分です。
*東京大空襲を知っていますか
第二次大戦中の1944年秋から1945年に終戦まで、日本の主要都市は殆アメリカ軍の空襲を受けました。だから、東京だけが特別ではありません。広島,長崎に投下された原爆の被害の方が大きいかもしれません。
その東京だって3月10日の大空襲だけではなかったのです。東部西部いづれも終戦まで繰り返し空襲を受けてきました。
しかし、核爆弾を使わずして、一晩で10万人という民間人が焼死する羽目になったのです。この東京大空襲が尋常ならざる空襲だったと言えるでしょう。
東京大空襲の概要としては、下記の総務省のサイトが簡潔で良いと思います。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_12.html
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_25.html
昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有(みぞう)の大被害を被った。東京大空襲と呼ばれるこの空襲は、夜間に住宅の密集地を目標にして、約1700トンもの焼夷弾を投下し、根こそぎ焼き尽くすというものであった。
6年前、私は木造家屋を効率よく的確に焼き尽くすために開発された「焼夷弾」という油脂爆弾について考えてみました。(↓)
*隅田川を渡る
12:50に浅草側から吾妻橋を渡り始めました。春のような陽気で気持ちが良い。
渡り終えて左へ曲がると関東大震災と戦災犠牲者を慰霊する「あづま地蔵尊」が祀られています。

そして隅田川沿いを歩きました.

まだ桜の季節ではありませんが、ここは江戸時代から花見の名所で「墨堤の花見」と言われていました。写真の橋は言問橋です。
*「東京大空襲80年ー新たな記録を探し続けてー」
現在の私は普段より歩くのが遅くなっています。それで「あづま地蔵尊」からすみだ郷土文化資料館まで25分ほどかかりました。
企画展は3階フロアです。
戦後80年も経過すると、新たな資料を見つけるのは難しくなるでしょう。資料館の取り組みには頭が下がります。
今回は両国にある工藤写真館の工藤哲朗氏が撮影された東京大空襲直後の被害写真が印象的でした。数枚をつなげてパノラマに組み合わせたものは、実際その場に立った時の目に映った風景に近いと思われます。
下記のURLをクリックしていただけるとPDFデータが開きますので、ページをスクロールしてご覧くださいませ。
(↓)すみだ郷土文化資料館だより「みやこどり」70号のPDF
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/kushu06.files/miyako70.pdf
私が展示で一番興味深かったのは、一見地味な古い青焼の図面でした。
何かというと、東京都公文書館で今回見つかった扇橋国民学校に作られた地下倉庫の図面なのです。上記のPDFでも見られます。
空襲経験者の証言で「空襲時には最寄りの学校に避難する事になっていた」という話があります。実際に台東区側でも私の義祖母は鉄筋コンクリート造の最寄り国民学校の校舎に避難していました。
(チャーコの義祖母の証言)
昭和20年3月10日、日付が変わった直後に空襲は始まったそうです。夜中だったのです。まだ若い祖父母は大空襲の最中、地域の人と鉄筋コンクリートの小学校に逃げ込みました。幼い子供を連れての事です。男の人たちは、熱風を避けようと窓や戸に目張りをしながら、必死に飛んで来た火の粉を消していたそうです。幸い校庭には十分な広さがあり樹木に囲まれていたので、直接焔は届きませんでした。一家は九死に一生を得たそうです。しかしながら、降り注ぐ焼夷弾で、外は地獄絵図だったとか。
墨田区側の国民学校(関東大震災以降に復興された小学校)には地下に共同防空壕があって、そこに多くの人が避難したという証言はありました。しかし、実際にそんな防空壕に出来る地下室が学校にあったことを裏付ける資料は今まで見つかっていなかったそうです。
それで今回、具体的な証言がある扇橋国民学校の地下倉庫の図面が発見された。
これは関東大震災からの復興時期から「市民防護」を目的とした施設を国民学校に作っていた具体例ともいえます。
しかし乍、図面を見ればただの地下室。防火や耐熱を考えた施設とはいえません。
この防空壕を兼ねた地下室が、果たして安全だったのか…。
まぁ,一定の役割は果たせたかも知れない…。
子供の頃、おママから戦時中の空襲について聞いていた時、一般家庭でもよく地下に防空壕を掘っていたという話がありました。
「地下なら安全だね。」
「そうでもなくてね。
地下の防空棒で蒸し焼きになって死んだ人が多いのよ」
大勢の人が入った防空壕は酸欠になりやすい。地上を舐め回すような激しい火焔の熱で地下の温度も上昇していったら、まさに蒸し焼きでしょう。
外に出れば劫火に焼かれ、地下壕では蒸し焼き。一体どうすれば生き残れるのか。
関東大震災と静岡の空襲を生き抜いた祖母の言葉が蘇ってきました。
「髪の毛はすぐ火の粉が着くのよ。だから火の中を逃げる時は濡らした手拭いかタオルで頭を包むといいのよ。それと大勢が逃げる方には行かずに、なるべく人のいない方に逃げないとダメなのよ。」
それだけで生き残れるとは限らないけど、ヒントにはなるかも。
長くなったので,次回に続きます。今年は墨田区に残る戦災樹木をご紹介します。

*本日アップの貼り絵
2020年12月25日の作品です。
赤い和紙の色が記事にテーマに合うかなと思って選びました。
今から4年以上前のおママは同じ日に同じ赤い因州板締め染め和紙をメインピースに使って、(↓)こちらの貼り絵も制作しました。
(↓)この日は、私も「お題パック」を準備していなかったので、以前おママがペーパーナイフで切って遊んだ赤い因州板締め染め和紙を使うことにしました。

(↓)おママは迷いもなく、それを菱形に切って、画面に貼り始めました。

さて、その後はどうしましょうか?
おママはマーブル紙を手に取りました。これは20年以上前に、おママがルリユール(ヨーロッパの伝統的な製本技法)を習っていた時に、自ら染めた紙です。

(↓)この部分が気に入ったようです。大きなマーブル紙から長方形を切り出しました。

<おママの貼り絵制作動画①>
2020年12月25日 15:22〜(2分17秒)
おママはまず長方形のマーブル紙を2等分して細長い長方形を2枚拵えました。そして、それからほぼ同じ大きさの菱形を何枚か切り出そうと考えたようです。
「これをここで2つに…。」
頭の中でどうやったら菱形を作れるか推測しながら折り目をつけています。
「そうすると…、いち、にい、さん…。」
3枚作れるように折り目が出来上がりました。
<おママの貼り絵制作動画②>
2020年12月25日 15:25〜(2分18秒)
おママは折り目を付けたマーブル紙にもう一枚を重ねました。一緒に切って、菱形遠6枚作ろうと画策しています。
「それで、ちょっとこれをね…。」
「頭いい❗️」
この当時すでに認知症歴13年ですから記憶力などは数分しかないのですが、図形や数への感覚は優れていたと思います。
「チョン,チョン,チョン。」
見事に切りおおせました。
「なんだかわからないけど…。」
と言いつつも切った成果を机の上に広げているうちに、おママさんったら、1枚落としてしまいましわよ。(๑˃̵ᴗ˂̵)

おママの貼り絵を見て下さりありがとうございます。