
(2008年11月1日 アルツハイマー型認知症の診断から約1年9ヶ月)
*展覧会の感想です
今年は戦後80年。
それに因んだ展覧会を「X」で見つけたので行って来ました。
それは東京の竹橋にある東京国立近代美術館で現在開催中(2025年10月26日迄)の
「コレクションを中心とした特集 記憶をひらく記憶をつむぐ」展覧会です。
8月26日火曜日。外は炎天下で35度くらいの気温でした。地下鉄東西線の竹橋駅からほんの少しの距離なのに、炎熱地獄で眩暈がしました。
平日でしたが、展覧会場は程よく人が入っていて盛況。私と同年代からその上の世代だけでなく、明らかに20代と思しき学生さんのような若者も多かったです。
(ひっそりと開催しているのにね。ポスターもチラシも何もなくて、ろくに宣伝もしていないのにね。)
しかも、酷暑真っ盛りだったのにね。まぁ、私が行くくらいですから。(^◇^;)
この展覧会は、先の大戦で絵画などの視覚芸術が何を描き、何を伝えてきたのか、そして、それらをどう後世に残していくのか、それがテーマになっています。
目玉は東京国立近代美術館が所有している「戦争記録画」「作戦記録画」153点のうち24枚がまとまって展示されている事でしょう。
ただ、戦後に戦争の記憶を描いた絵画も出品されているので、これまでいかに戦争は描かれ記録されてきたのか考えるには、とてもバランスの取れた良い展示だったと思います。
まさに「記録をひらく,記憶をつむぐ」展覧会でした。
かなり長くなりますが、この展覧会について、自分なりにまとめてみようと思いました。
(↓)此方のサイトのレビューがとても良いので、ご興味のある方は是非お読みくださいませ。
*「戦争記録画」「作戦記録画」
(↓)展覧会場 「3章 戦場のスペクタクル」のキャプションより引用。
日中戦争から太平洋戦争にかけて、陸海軍は当時の中堅画家に対して、前線における兵士たちの活躍を銃後に伝え、後世に永く残すことを目的とする作戦記録画の制作を依頼しました。大画面に構成された戦争を「記録」する絵画は、聖戦美術展、大東亜戦争美術展、陸軍美術展、海洋美術展など、全国を巡回した展覧会で公開され大勢の観客を集めました。これらの展覧会には、軍の委嘱による記録画のみならず、公募による作品も含まれていました。
(↓)東京国立近代美術館のサイトより「8章 記録をひらく」から引用。
「戦争記録画」は、戦後米軍に接収されたのち長らく米国で保管されていましたが、交渉の末1970年に「無期限貸与」という形で日本に「返還」されました。
私は大学で日本美術史の講義も受けましたから、東京国立近代美術館に「戦争記録画」が所蔵されているのは知っていました。実際に私はこれまでも企画展の後に常設展の会場でそれらを何枚か観た記憶はあります。でも意識的に観ていなかった。
「ああ、戦時中に軍部の依頼で描いた絵ね、戦争のプロパガンダだね」
若い時分の私は、芸術は抵抗と葛藤こそが原動力というような感覚があって、結構尖っていました。
(お上の言いなりに絵具をふんだんに配給されて、軍部が喜ぶような戦意高揚画を描くなんて❗️)
戦後、「戦争記録画」を描いたことに対する批判の矢面に立たされて、結局日本を去ったレオナール・ツグハル・フジタ(藤田嗣治)の事もあり、これら戦争画はしっかり観たり評価するものではなく、日本美術史の黒歴史か?とさえ思っていました。
しかし、戦後80年、戦後生まれの私も歳をとり、来年60歳になります。
体型だけでなく、中身も少し丸くなりました。
絵を描いて生きていくのは、いつの時代も容易ではありません。ましてや戦時中は尚更でしょう。しかも当時は食料や物資だけでなく言論や思想も統制下です。「戦争画」というテーマでもあっても画業を続けられて、お国のためになるのなら…。積極的にこれに取り組むか、不本意だけど描くか。それは個々の画家によって気持ちは違うと思います。軍から依頼があってもなくても、まぁ、描くのも責められんかな…。
私は、若い頃は日本の戦争責任について重く受け止めていました。それは今でも基本的には変わらないけど、次世代以降の人達がずっと反省と謝罪を強いられるのはどうかと思います。歴史を正しく認識し伝える事は大事です。しかし、当時の人達の暮らしや社会情勢を体感していない以上、現在の常識や価値観でそれを断罪するのは些か傲慢かも。最近はそんな風に思うようになりました。
イデオロギーなどを考えずに、私自身が「戦争記録画」を単純に絵として観られるようになったのではないか。そう思って会場に入りました。
*圧倒された
そうは言っても、感想文に入る前にここまで文字を費やすのだから、やはり私にとっても「戦争記録画」はいまだにデリケートな問題なのだと思います。メディアとの共催はなく宣伝もせず図録も作らなかった東京国立近代美術館の「センセーショナルなものにすることは美術館の本意ではない」という意図もわかなくはないです。
それで、実際に作品の前に立ってどうだったか。
その画力の高さに圧倒されました。高名な洋画家の作品が多いです。153枚から24枚を選ぶのも大変だったと思いますが、展示作品はおそらく代表的な作品だったり最も優れた作品だったのではないかと思います。
そして「作戦記録画」というテーマの中で、いかに表現して描いていくか。画面からは全く妥協のない画家のプロとしての矜持を感じました。今回展示された作品は絵画として素晴らしかったです。
撮影OKの作品が多かったので、印象深い作品はほぼ撮影しました。でも写真だと実際実物を目の前で見た迫力はないですね…。

本間、ウエンライト見図
1944 作戦記録画 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館(無期限貸与)
本作の創意は、見図そのものというよりは、それを後方から撮影する報道班員を中心に据えた構図にあり、「戦争」を伝達するメディアの舞台裏に注目するメタ戦争画となっている点が特徴的です。(展示キャプションよりその一部分)

娘子関を征く
1941 作戦記録画 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館(無期限貸与)
1937年10月の中国山西省の要、娘子関での日本軍の進軍を描いた作品です。小磯は、激しい戦闘場面ではなく、進軍する兵士の群像として本作を描きました。(中略)一見、何気ない軍隊の日常を、あたかもモニュメンタルな歴史画のように描きだしています。
(展示キャプションよりより)
宗教画かと思うような崇高な雰囲気が漂う作品もありました。

田村孝之介
佐野部隊長らざる大野挺身隊と訣別す
1944 作戦記録画 油彩・キャンバス
東京国立近代美術館(無期限貸与)
戦争画ではあるけど、西洋の歴史的な事件などを題材にした絵画のような雰囲気を感じました。(↓)

シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)
1942 油彩・キャンバス
東京国立近代美術館(無期限貸与)
(↓)藤田嗣治の有名な『アッツ島玉砕』。家族がアッツ島で戦死した人には辛い絵だと思います。追悼の意味も含めて制作されたのでしょうか。
『サイパン島同胞臣節を全うす』は軍人だけでなく民間人も自決した悲劇の様子を宗教画の受難図のようにドラマチックに描いています。しかし、これらの悲惨な玉砕を描いた絵を観て、当時の人々は復讐心を抱いたり戦意高揚したのでしょうか。現代人の私の感覚からすると信じられません。むしろ悲しみに打ちひしがれて戦意喪失しそうです。

アッツ島玉砕
1943 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館(無期限貸与)

サイパン島同胞臣節を全うす
1945 作税記録画 治彩・キャンバス 東京国立近代美術館(無期限貸与)
私としては、今回まとまって「戦争記録画」を観ることが出来て良かったです。
当時の画家がそれぞれのテーマに真摯に向き合い描いた事は芸術として尊いと思います。元は戦意高揚のためだったとしても、今の眼で見ると一概にそうとも思えない。それは戦後の「戦争記録画」に対する一種の都合の良い「読み換え」なのかも知れません。それでも、戦争中の作戦や大きな出来事を題材としたモニュメンタルな絵画としての役割は今後も果たしていけるのではないかと感じました。
ただ、これらの「戦争記録画」は卓越した画家の技量をもって後日に描かれた記念碑的な芸術作品です。本当の戦争の実相とは違うと感じました。
その中で、特に印象的だったのが(↓)の作品です。戦後,日本各地に残る民家を描き続けた向井潤吉の『四月九日の記録(バタアン半島総攻撃)』。私は向井潤吉が「戦争記録画」を描いていたのは知っていたけど、観たのは初めてでした。
深く奥行きのある風景の中に三層の人の波が描かれています。手前は捕虜となったアメリカ兵の列。中央は日本兵の隊列ですが、勝者という感じもなく、重い荷を負い草臥れた様子にも見えます。そしてそれを遠巻きに見つめる現地人達。砂塵と南国の日差しの中に人の波はまさに「濁流」で、向井潤吉が実際目に焼き付けたリアリズムを感じました。

向井潤吉
四月九日の記録(バタアン半島総攻撃)
1942 作戦記録画(Operation Record Painting) 油彩・キャンバス
東京国立近代美術館(無期限貸与)
1942年4月9日、日本はフィリピンのルソン島にあるバターン半島を占領しました。左右に画面を横切る人々は、前景がアメリカ兵とフィリピン兵の捕虜、中景が日本兵であり、後景にはフィリピンの避難民が立ち尽くしています。日本陸軍の報道班員として現地に赴いた向井はこの光景を「濁流」と形容し、人々がひしめき合う混沌とした様子で描き残しています。マラリアなどで多くの死者を出したこの移動は、のちに「バターン死の行進」と呼ばれることになります。(展示キャプションより)
戦争体験のリアルな記録として考えると、展示7章「よみがえる過去との対話」に出品されている広島の原爆体験者が描いた絵があります。私は今までに東京大空襲の体験者の絵も観ていますが、不思議な事に、むしろこれら素人さんの描いた絵の方が、被害の実態や戦禍が胸に迫るほど伝わってくるのです。デッサンもパースも取れていないけど、画用紙に実体験の一番記憶に残っている情景を訥々と物語る絵も貴重な記録画だと思いました。
(↓)向井潤吉『マユ山壁を衝く』は戦況が悪化してからの作品だそうです。キャプションには「もはや兵士が主役ではなく、それを飲み込む熱帯の植物群に焦点が当たっています、この克明な自然描写と、向井が戦後に開始した民家のシリーズのリアリズムには共通する眼を感じることができるでしょう」と書かれていました。私にはもうこれは「戦争画」には見えません。

向井潤吉
マユ山壁を衝く
1944 作戦記録画 油彩・キャンバス
東京国立近代美術館(無期限貸与)

向井潤吉
飛騨立秋
1962 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館
会期は10月26日までです。ご興味のある方は足を運ばれるのも良いかも知れません。
*本日アップの貼り絵
2008年11月1日の作品です。
おママが貼り絵を始めたのは2006年頃からですから、初期の貼り絵です。材料は広告写真のようです。もしかしたら『銀座百点』から切り抜いたのかも知れませんね。
実はおママは11月1日生まれです。ちょうどこの日は75歳の誕生日でした。とはいえ,おママ自身はすでに認知症になっていましたから、そんな事は意識にも上らなかったかも知れませんね。(๑˃̵ᴗ˂̵)
記憶をつむぐおママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。