
(制作年月不明 2007年以前 アルツハイマー型認知症の診断前)
今回から今月初旬に起きたジジの体調不良について、数回に亘って書こうと思います。ほぼ、私自身の忘備録です。因みに、現在のジジは順調に回復しています。
*何かがおかしい
これは3月2日月曜日のことでした。
13時頃、私は実家に着きました。
この日は実家泊まりで、翌日火曜の朝に時事をデイサービスに送るまでが私の勤めです。予定ではその後、オネコさんとおママの施設に面会に行くはずでした。
いつもこの時間帯、ジジはソファに座ってテレビを見ているのですが、何故かベッドで寝ていて、
「足が痛いから寝ている」
と言うではありませんか。それでも昼ご飯は食べる気満々でした。自ら起き上がり歩行器を使ってダイニングテーブルまで3メートルほどの距離を移動することができました。
この日の昼食はファミリーマートで買ったミートソースパスタ弁当です。大盛りなのでいつもジジと私で半分こしていました。一緒に買った焼き鳥を串から外して、持参した野菜と一緒に盛り付けてジジに食べてもらう計画でした。
いつもはペロリと完食するのに、この日のジジはなぜか半分も食べなかった。顔色も良いし、少し鼻水が出ているようですが機嫌も良かったのです。
私はポータブルトイレの洗浄や台所周りを片付けて、ふとジジの様子を見に行くと、ジジはダイニングの椅子からソファまでの50センチくらいの移動も叶わずに床に尻餅をついていました。
「お父さん、大丈夫?」
「足が痛くて力が入らない。」
私も腰に爆弾を抱えているのでエイヤっとジジの身体を持ち上げる事もできません。小柄で痩せた98歳ですが、完全に脱力してしまうと、私はジジの身体をどうする事も出来なかったのです。
それで、私は床に転がっているジジの身体を、可哀想だけど、床の上でズリズリと滑らしてベッドまで誘導しました。そして、介護ベッドを1番低い高さ30センチにして、ジジの上半身ををベッドマットにしがみつかせました。そして騙し騙し足をベッドに載せて寝かせました。
この間、試行錯誤と移動に45分もかかり、私が昼ご飯のパスタ弁当半分にありついたのは14時を回っていました。2階で独り食事をしながら、先程の事を反芻しながら、
「ジジの様子がいつもと違う、なんか変だな」
と思いました。
*また転んだ
15時過ぎにオネコさんが実家に来た時、ジジはベッドに腰掛けて(ベッドマットから足を床に下ろして)いたそうです。先ほどの転倒の時、足が滑るからと靴下を脱いでいたので冷たかったのでしょう。「履かせて欲しい」と言われたので、オネコさんは言う通りにしてあげたそうです。
17時過ぎ、オネコさんが帰宅後,1階のジジの様子を見るとガーガーと大いびきをかいていました。
18時、私は夕食の支度をしよう思いました。1階冷蔵庫から食材を取りに行くついでにジジの様子を見ると、暗い中でベッドに腰掛けているではありませんか。
「どうしたの?」
「おしっこしたい」
ベッドの高さを上げて歩行器を使ったら一応立てました。しかし、お尻周りがなんとなく臭いますね。
「もう出ちゃっているみたいだから紙パンツ変えてあげるね」
私がズボンやスパッツを下ろすと紙パンツがずっしり重そうです。既に便も出ていましたが、下痢という感じではなく、さほどお尻は汚れていませんでした。
「スッキリして気持ちいいね」
ジジは機嫌もいいので、
「もうすぐご飯だし、テーブルの方に行こうか」
と勧めるとジジは頷きました。歩行器に捉まり,私が背中を支えた状態でも、足が前に進まない。
「足がうまく動かない」
と本人も言うのです。私がこの移動が失敗だったと気が付いた時には、ジジはバランスを崩して床に転倒してしまいました。
幸いジジは頭は打たなかったけど、床に仰向けに倒れたジジは顔面蒼白でした。声をかけると一瞬白目になって、「あ、ああああ」と意識は戻るけど。すぐに気を失いました。

必死にジジを抱き抱えて声掛けしていると、蒼白のジジはオエっと吐きそうになるではありませんか❗️私は慌てて金盥を取ってきて、ジジを横向きに抱き抱えて
「吐いても大丈夫だから、苦しかったら吐いて❗️」
と声をかけるがジジは嘔吐はできなかった。
顔色は生気のない青い(実際は薄緑)蝋人形のようになり、私は本当に焦りました。
(救急車を呼ぼうか?)
18:34に私は取り敢えずオネコさんに電話をして緊急を告げました。
*どうしたものか?
18:45頃、オネコが到着。その頃には少しジジの意識が少し前よりしっかりしてきました。
吐き気は治ったようです。意識はある。
とりたてて苦痛は訴えていない。
ただ転んで起こせないだけなら救急車案件ではない。
オネコさんの主張も尤もです。
私は本心を言えば、ジジに自宅で死んで欲しくなかったのです。かかりつけ医にかかったのは1ヶ月ほど前です。おそらく死亡診断書は書いてもらえないでしょう。そうすると監察医のお世話にならなきゃなりません。祖母(ジジの母)が自宅で亡くなった時の辛く嫌だった記憶が蘇りました。
「でも、やはり、これは救急車案件ではないと思う。」
私も諦めてオネコさんの意見を容れました。
しかし、2人がかりでもジジをベッドに戻すことも出来ないので、オネコ夫にも来てもらい、3人でようやくジジはベッドに寝かせることができました。
ジジは横になると直ぐにガーガーとイビキをかいて眠ってしまいます。「お父さん」と声をかけると一瞬目覚めて反応するが、直ぐにまたイビキをかいている。
「やはり,意識の状態がおかしいね」
しかし、本人は比較的穏やかに寝ているので,今夜はこのまま様子を見ることにしました。
「介護も今までの状態では済まなくなるかも…。」
ジジが在宅のまま、私達の通い介護では難しくなるのではないか。介護の状況も次のフェーズに入るのだと、2人で覚悟を決めました。今現在のジジは要介護3です。やはり早急に介護保険の区分変更を申請して要介護4(要介護3より要介護4の方が緊急性が高いと判断される)になってから特別養護老人ホームを申し込もうと、2人で相談しあいました。
今回はチャーコの泊まりの日でオネコ夫婦が徒歩圏内の自宅にいたから何とかジジを動かせたけど、一人では到底無理だったと思います。
「明日の朝,ジジが息をしていなくても、それは寿命だから、チャーコさんもちゃんと2階の自分のベッドで寝なさいね」
翌朝は9時までにデイサービスに休みの連絡を入れる。
おママの特養に面会をキャンセルする。
ケアマネさんに連絡をして、介護保険の介護度変更を申請するにあたり、今後のことなど相談する。
必要事項を確認し合って、オネコさんは帰宅しました。
その晩、結局私は3月3日午前4時まで、ジジが寝ている一階で起きていました。
その間、22時と午前2時にジジは「オシッコ」と言って目覚めました。介護ベッドの高さを調節しながら歩行器を使い。私が支えながら、なんとかポータブルトイレまで1m移動することはできましたが、ジジは自分ではズボンもおろせず、私が全て介助しました。
ベッドに就くと、ジジはまた直ぐにガーガーと大きなイビキをかいて眠ってしまいます。私はいささか疲れて身体を伸ばしたかったので、2階の自分のベッドで仮眠をとることにしました。
「2時間だけ寝よう。ジジが生きていますように。」
結局私が起きられたのは3時間後の7時でした。(次回に続く)
*本日アップの貼り絵
制作年月日は不明です。まだおママが台紙に使っているハガキの裏側に日付を書き入れる習慣がなかった頃の、極々初期の作品です。2005年〜2006年ごろの作品だと思います。
使用した紙は広告写真を切り抜いたり、星型のクラフトパンチで打ち抜いたりしています。作品中にある四葉のようなクラフトパンチは現在見つかりませんでした。
(↓)おママが愛用したクラフトパンチ

おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。