アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

ジジの入院経過報告

(制作年月日不明 2007年以前アルツハイマー型認知症の診断前)

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入院と今後について

3月3日に救急搬送されたジジは肺炎でした。

治療は1週間くらいかなと思っていたのですが、その最初の1週間は完全に点滴だけでした。かなり痰が多く、熱もあり、口からの飲食は喉がかなり弱っているので嚥下の専門の先生と慎重に進めていたようです。

ジジは98歳という高齢で、娘達は同居出来ないので、夜間は一人のことが多いです。最近はよく転び、ベッドの近くに設置しているポータブルへ歩行器で移動もかなり不安定になっていて、介助なしでズボンや紙パンツの上げ下ろしは難しい。そして食事の用意は自分では出来ず、電子レンジも使えない…等等。

入院時の医師との話し合いの中で、このようなジジの状況を伝えたところ、

「ご年齢やご自宅の状況を考えると、退院時にご自宅に戻るというより、施設を考えていかれる方が現実的なのかもしれません」

というお話がありました。

病院が想定する退院先としては、ジジの回復の状況にもよります。

食事を摂れなくなり、ベッドからあまり動けないなら療養型の病院。

そこそこ食べられるようになったら、いわゆる老健(介護老人保健施設)でしょう。

確かに今までの状態でジジが自宅で暮らすのは限界がきていました。もし自宅に戻るとしたら、オネコさんと私が交代で泊まり込まないと無理です。2人とも家庭の状況から同居は難しいです。

そして築95年くらいのオンボロ木造家屋がいつまで住めるのかも疑わしい。実際に2月にまた水道管が破裂して修理しましたが、水道も電気もガスもライフラインの基礎部分は昭和30年代頃のものです。

「完全に住めなくなる前に、ジジを移動させた方がいいのではないか?」

今年に入って,そう思い始めていました。そして3月2日の転倒から始まった今回の状況を考えると、オネコさんも私も一人で対処は難しかったと思います。

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実は昨年あたりから、ジジは自宅に居ても

「家はどうなっているの?時々様子を見に帰りたいんだけど」

と言うようになりました。

ジジの頭の中の「自分の家」とは50年以上親や家族と暮らした自宅ではなく、戦前から戦中まで暮らした借家の事なのです。そんな家屋はもう存在しません。ジジが自宅に居ても「自分の家」と認識できないなら、娘の私達としては在宅介護のサポートに固執することもないのではないか…。

それらを勘案すると、自分たちの限界とジジの安全のためには、今回の入院から施設入所への流れに乗った方が良いように思いました。

しかし、病院を退院して老健に入所できたとしても、そこはずっと居られる施設ではありません。やはり老健から特別養護老人ホームへ移るのがベストです。

しかしジジは現在要介護3。特養の申込みは出来ますが,特養はどうしても待機期間があります。できれば要介護4になってからの方が早く入れるかも。そこで、入院中に区分変更にトライしてみました。

まだその結果は出ていないけど、ジジの安全と環境を考えていきたいです。

入院中の忘備録

3月4日

 酸素外れた。「死ぬのを待っている。点滴は毒薬を入れられている」「朝から何も食べさせてもらえない。死なせる人を入れる所」などと妄想が激しい。まだ熱が高いらしい。呂律が回らず、点滴の袋を人の顔だと思って話しかけている。

3月5日

 個室から4人部屋に移動。ふいに起きあがろうとするようで、ベッドにゆるくベルトを付けられていた。リハビリ(ベッドから身体を起こして、支えられながら歩行器で横歩き)を行ったらしい。

3月6日

 排泄は完全オムツですっかり慣れたのか,なんの抵抗もなく取り替えてもらっている。入院中に区分変更の認定調査を申し込む。

3月7日

 まだ食事はない。痰が多くて頻繁に痰を吸引しているとのこと。目は覚めているけどハーハーと息苦しそう。チャーコのことはわからず、「工場で働いているの?工場であった人ですか?」私が娘だと言うと「ウチの娘は少しは工場でお役に立っていますか?」などと言っていた。無意識に点滴を抜いたり、胸のモニターを外したりしている。

3月8日

 孫夫婦(オネコさんの息子夫婦)がきた時には元気で麻雀に話をしていた。看護師さんが明日あたり車椅子に乗せてみるかもとのこと。

3月9日

 病室の天井に異世界が展開しているようだ。ジジはまるで映画のスクリーンを見るように、人々や自動車が行き交う街が見えるらしい。「猫がちょこんと座ってるよ」

看護師さんによると「喉がかなり弱っているので、嚥下の先生と相談しながら進めます。」

3月10日

 ペースト食が始まった。朝はゼリー,昼はペースト粥。やはり眠っていても時々痰が出るのか咳き込むことがある。

3月11日

 リハビリを兼ねてトイレには車椅子で行った。

3月13日

 リハビリの先生に支えられながら歩行器でトイレまで往復した。流石に便座で紙オムツ(テープで止めている時は伸縮性があるのでパンツのように下ろせる)を下ろしたりあげたりするのは私がやった。

3月14日

 ドクターによると、「当初30以上あった感染の数値が3.0に下がり,週明けにはおそらく治療は終わって,退院準備に入るとのこと」

その感染の数値はCRPのことでしょう。

www.hc.u-tokyo.ac.jp

3月16日

 入院中に介護保険の区分変更を申請したので、院内で認定調査を行った。

3月18日

 オネコさんがドクターと話した。「食事も十分取れているので、あとは退院先の調整だけ」とのこと。トイレの時はナースコールができているようで高速ベルトが取れた。トイレや食事の心配がないから、家にいる時より精神的には安定しているようだ。

3月23日

 夕食時に行ったら、まだ完全にペースト食。お粥も米の粒が全くない。オネコさんによると「ドクターは年齢から考えて、もうペーストのままで良いのじゃないかと思っている」らしい。

3月27日

 トイレで自分で車椅子に写ろうとして転倒。

3月28日

 転倒の件でオネコさんに病院から電話があった。オネコさんが午後病院に行ったら車椅子に座っていて、ナースコールをポケットに入れられていたが、ナースコールの意図はわからず「これは時間を見るものなのかな?」「ここは小田原、高等農林の友達が今もいる」それは夢を見たのか?妄想か?

3月31日

 内科での治療は終了し、8階(地域包括ケアでの退院支援)の病室に移動するらしい。

本日アップの貼り絵

制作年月日は不明です。2007年の認知症診断前の作品です。

貼ってあるピースは全て薄く削いだ革です。おママがルリユール(ヨーロッパの伝統的な製本技法)を習っている時に、使っていた物です。キラキラとした箔が付いていますが、これが色革に最初から加工されていたのか?おママが付けたのかは不明です。小さな星型以外はおママがハサミかカッターで切り抜いたのだと思います。

(↓)星型はこのパンチで型抜いたのでしょう。

今魔の貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。