
(制作年月日不明アルツハイマー型認知症の診断前2005年頃)
2020年6月4日に義母のクレバァが癌の闘病の末に亡くなりました。
早いもので、もう6年。
5月下旬にダンナと私、アズキ夫婦の4人で七回忌を執り行いました。お墓のあるお寺さんに行って、お経を読んで頂き、お墓参りをしました。
その後、アズキの夫君の車で私達の自宅へ戻り、ささやかな食事をして、和菓子などを頂きながら歓談をしました。
因みに義母はとても頭の回転が速くて賢い人だったので、まさに「クレバー」な「おばあちゃん」でした。
七回忌に臨んで、ふと思い出すのは、クレバァが亡くなる5日前に、当時アズキの彼氏だった夫君がお見舞いに来てくれたこと。
「あの時、会ってくれて良かったわ。」
「本当に、ご挨拶できて良かったです。」
そう夫君が言ってくれて、きっとクレバァも嬉しいでしょう。
この彼氏の来訪は2020年5月30日土曜日でした。この予定はその週の火曜日ごろに決まったので、私はすぐにクレバァに伝えました。楽しみが先にあると思うと、心の張りになると思ったからです。
「土曜日にね、アズキの彼氏がお見舞いに来てくれるのよ」
クレバァはとても喜んでくれました。
しかし、その翌日から毎日、クレバァは私やダンナに言うのです。
「今日,何時ごろにアズキの彼氏が来てくれるの?」
「土曜日ですよ、彼氏も仕事がありますから、土曜日でないと来られないから。」
「だって、今日来てくれるって!
あなた、言ったじゃないの❗️」
いやいや…そんな事は言ってないってば…。土曜日なんですよ。
そして毎回クレバァは「そんな先だなんて…」と落胆してました。
この会話を水、木、金と繰り返していたのだから、よほどクレバァは彼氏に会ってみたかったのでしょう。アズキは赤ちゃんの頃からアトピー性皮膚炎だったし、クレバァはアズキのことが心配でならなかったのだと思います。
実際、彼氏が来てくれた時は、もうご機嫌で、喜んでいましたわ。
「いい感じの人で良かったわぁ。」
ご満悦でした。(๑˃̵ᴗ˂̵)
クレバァ、あの時の、アズキの彼氏は夫君になりましたよ。
きっと喜んでくれていますね。(^。^)

*コロナ禍での闘病
2020年と言えば、コロナ禍が始まった頃です。
2019年の夏頃にクレバァが胃癌と診断されました。すでにステージ4でした。
当時84歳だったクレバァは肺にも転移が見つかり、手術はあまり効果はなく、抗がん剤治療を勧められたのですが,本人はそれを拒否しました。残る道は緩和ケアです。
幸い地域中核病院に緩和ケア病棟があり、最終的にそこへ入院する手筈になっていました。
しかし、コロナのクラスターが発生し、その地域中核病院は敢えなくロックダウン。当面、新たな診察も入院もできなくなってしまいました。
そして、私達家族は,在宅での闘病から看取りまで行うこととなりました。
私は当時の様子をブログに書いていました。
今回,それを読み直すと感慨深かったです。
本当に大変だったのは、4月中旬から亡くなるまでに約1ヶ月半でした。
本当に短かった。
その短い期間にクレバァは急速に悪化し衰えていきました。私はその容体の変化に対応するのに精一杯でした。今思えば、その短く凝縮した介護は、私にとってはとても大事な経験になったと思います。
(↓)亡くなってから、その振り返りの記事。
私は丸山ワクチンで余命宣告された癌が治るとは全く思っていません。ただ体調を少しでも保つために、抗がん剤治療を拒否したクレバァが何か治療のような事をしながら前向きになれれば良いなと思って勧めました。この点ではやって良かったと思います。
最初は全く在宅で看取るなんて、私はできるとは思いませんでした。しかし,本人の「入院したくない」という意思を尊重して良かったと思います。訪問診療、訪問介護、相談にのってくれて直ぐに対応してくれたケアマネジャーさん。それら全てがうまく連携してサポートを受けられた。それは幸運だったと思います。今でも感謝しております。
*本日アップの貼り絵
制作年月日不明です。収納されていたファイルの年代から、おそらく2005年頃の作品だと思われます。おママがアルツハイマー型認知症の診断を受ける前でした。それでもこの頃から記憶力は衰えを見せ始めていて、私達家族は心配でした。
使用したのは紙ではなく薄い布です。
おママが革工芸を習っている時に購入した抜き型のパンチを使用したのだと思います。
(↓)この写真のパンチは星型ですが、おママは円形のパンチも大小取り揃えていたので、それを使ったのでしょう。大きい円形のパンチで4色の布を型抜き、それを2分割や4分割して組み合わせています。

おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。