アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

東日本大震災 No.2

   あの震災から6年です。

大きな被害の無かった東京にいて、私が語れることなんて無いです。

被災した地域に暮らしていた方々、認知症の方々とそのご家族を思うと、

私があの日について書く事にためらいもあります。

でも、せっかくブログを始めたのですから、書いてみようと思いました…。

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          (2011年3月12日  診断から約4年1か月)

 

   キーボードを打つ音がしている…。

その軽い音に集中しながら文書作成をしていた私。しかし、地鳴りのようなゴーッという音が聞こえて、ふと手を止めました。
(あれっ?)
その瞬間、激しい揺れが襲ってきたのです。パソコンのモニターが音を立てながら震えました。私は左手で机にしがみ付き、マグカップのコーヒーを慌てて飲み干し、何とか文書を保存しました。そしてパソコンを閉じた時に地震は治まりかけたのです。

 

   しかし、ホッとしたのも束の間でした。更なる激震が始まったのです。
(アズキはどうしているんだろう…。)
私がまず思ったのは高校生で電車通学をしている娘の事です。期末試験で早帰りしているはず…。
2階にいる親の事は、全く考えなかった私です。
そうこうしているうちに、1階のパソコン部屋はバキバキ!メキメキ!という不気味な音をたて始めました。私が身の危険を感じ始めた時、2階からジジの叫び声が聞こえたのです。
「チャーコさん❗️上がってきて❗️1階は潰れるー。」
あ、そうだわ。
高齢のジジ、アルツハイマーのおママがいるのだ。

あまりの揺れに私は自分の事だけだった…。
我に返った私は四つん這いで階段を上がりました。

 

   ますます揺れが強くなるなか、ジジは身を呈して戸棚とテレビを押さえ、落ちてくる置時計を避けていました。おママは「助けて〜。早く終わって〜」
とわめきながら、食器棚にしがみ付いていました。
私は急いでおママと一緒に食器棚を押さえましたが、

何と言っても築80年近い木造家屋。

バサバサと激しい横揺に、もうダメだと思いました。家が崩れる!
(ここで親と一緒に死ぬんだ)
初めて生死の境を意識した瞬間でした。

 

   東京23区の震度は5強と5弱です。実家の地域は5弱でした。しかし、建物の構造や階層によって体感震度は異なります。私が感じた揺れは5強だったと思います。
「あと少し長かったら、潰れていたね。」
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、九死に一生を得た。

ジジもそう思ったそうです。

 

   あれだけの揺れを体験したのに、

3時過ぎには、おママの記憶から地震の事が消えていました。

「どうして時計が壊れたの?」
置時計を見て言うのです。たった15分前の事ですよ。


「さっき強い地震があったでしょ〜。」


おママは分かってない事を取り繕う時の決まり文句で返してきました…。
「そうよね〜?」
ジジも私も、まだ身体にあの揺れが残っているというのに…。

信じられない…。

(つづく)

 

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