アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

診断に至るまで

コロナ禍の救急搬送(その2 どこも受け入れてくれない)

(2019年11月11日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年9ヶ月) 全記事の続きです。 harienikki.hatenablog.com *「東京ルール」でもダメ 救急車に乗れたとホッとしていましたが、これから思わぬ展開が待ち受けていたのです。 <16:00>…

お年玉年賀ハガキ 今年はダブルチャンス‼️

(2018年12月29日 アルツハイマー型認知症の診断から約11年10ヶ月) *今更ですが…。 4月に入って新年度になったと言うのに、お年玉年賀ハガキの抽選結果を見ていない人がおりましたとさ…。(^O^) それはジジ。 そして実は私もでしたーー。親子…

10年後の今

それから約10年経ちました。 現在、おママは自分の家で暮らしています。 この10年、貼り絵は精力的に取り組みました。いつも自ら机に向う姿がありました。2016年12月から急激に枚数が減ってしまいました。 しかし、2017年になってから今日までに…

おママの思いは…。

私は今でも、この当時のおママはアルツハイマーの初期だったと考えています。 なぜなら、この時期のおママは自分のすべての行動を忘れたわけではありませんでした。 この日、おママはどう感じたのでしょうか?どう受け入れたのでしょうか? 最近、私はこの事…

診断の日 2

この後、先生は幾つかお話をされました。 アリセプトが処方される事とその説明。進行の度合いは個人差がある事。家族がこの病気の知識を持って接する方が、暮らしの質は良くなるなどをお話されました。 「母は手先を使う仕事が好きです。雑誌の写真や包装紙…

診断の日 1

2007年1月下旬、私達4人は再び「物忘れ外来」の診察室に居ました。まな板の鯉みたいに、オネコと私は冷静でした。ただ、おママがどこまで自分の事として認識していたかは分かりません。 そして、ジジはというと…。恐らく認知症とは思いながらも、そう…

診断まで おママの場合 12

2007年1月10日、私達は東京医大の物忘れ外来に行きました。 私としてはようやくたどり着いた!という思いもありますが...。 ジジもオネコも私も極力呑気な顔をしていました。 だって、納得したとはいえ、一番不安なのはおママですもの。 (2006年…

診断まで おママの場合 その11

話して説得しても、おママはじきに忘れてしまいます。 それを繰り返しても堂々巡りです。おママはその都度機嫌を損ね、私達は心身ともに疲労して行くだけです。 「何度も読み返せるように手紙を書こう!」 この年2006年の暮、オネコは東京医大の「物忘れ外来…

診断まで おママの場合 その10

(2006年後半から2007年初め頃 ) さて、おママをどうやって受診させたら良いかしら? オネコは調べ物が得意です。認知症についての本を読み、私にも薦めてくれました。基礎知識は大切ですから。 受診先は肺ガンの手術をした東京医大にしました。「物…

診断まで おママの場合 その9

袋田の滝の事は結構こたえました。 オネコやわたしだけでなく、ジジも認識を改めました。 この頃、おママは2ヶ月に1度のペースで女学校時代のお友達と集まり、お食事会をしていました。 場所は私達の叔母の家です。 実は、おママはお友達のお兄さんと結婚し…

診断まで おママの場合 その8

お正月でちょっとお休みしておりましたが、 おママが「物忘れ外来」の診察室の扉をたたくまでのお話を再開しますね。 (2007年 1月 診断の頃) しかし、ジジの認識を変える事件が起きてしまいました。 この年、2006年11月にジジとおママは茨城県の袋田の…

診断まで おママの場合 その7

深刻な状況になる前に、老年科や物忘れ外来に連れて行った方が良いのではないか? 「進行を遅らす薬を飲ませたい」 まだ70代の初めなのだ。先があるのだから。 私は強くそう思いました。しかし、おママの認知症を確信しながら、あれこれ調べているオネコに…

診断まで おママの場合 その6

オネコの話を聞いて、私も胸がざわつきました。 折しも夏休み。小学生だった娘のアズキが実家にお泊りに行きます。 私は因果を含めて送り出しました。 「おばあちゃんが自分のやった事を忘れたらね、後で教えてね。」 アズキは目端の利く子なので、ちゃんと…

診断まで おママの場合 その5

(2006年頃 診断前) オネコ夫婦がハワイ旅行をして、実家にお土産を持って行った時の事です。 楽しいハワイの話で盛り上がり、おママはとても嬉しかったようです。そして、自分がハワイに行った時に買った大きくてキレイなキャンドルを出してきて、 「…

おママの場合 その4

2005年は懐疑的になりながらも、平穏に過ぎて行きました。 娘達としては、離れて暮らす親の状態を良いように考えたいものです。 夫としては、なかなか認めたくないものです。 わりと人は自分の都合の良いように認識してしまいがちです。 私は認知症関連のテ…

診断まで おママの場合 その3

バスタオルの攻防戦は3週間ほど続きましたが、これもあっさり終わりました。恐らく、ジジがバスタオルを使い始めたからだと思います。 これらは2005年、肺ガンの手術から1年後の事ですが、それ以前も兆候はありました。 (2006年頃の作品 診断前) 例…

診断まで おママの場合 その2

このクラフトパンチの件は1ヶ月ほどで沙汰止みとなりました。 おママからの電話が無くなったのです。 ようやく分かってくれたんだ。そう胸を撫で下ろしました。 しかし今思えば、おママは納得したというより、この件では憑き物が落ちたような感じだったので…

診断まで おママの場合 その1

おママは2004年の秋に初期の肺ガンが見つかり、手術しました。 それ以前から物忘れはあったのですが、これを機にどんどん酷くなっていきました。因果関係は分かりません。 (2006年頃 診断前) この頃、おママは可愛らしい図形が型抜けるクラフトパンチに…