アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

ジジを見送りました

(アルツハイマー型認知症の診断前 2005年頃)

*最後の日々

前記事でご報告をしてから、あっという間に10日も過ぎてしまいました。

おママの時はまだジジが入院中だったので気が張っていましたが、なんだか疲労感や倦怠感が抜けません。ジジを火葬してから早1週間。私はまだ気持ちを上向きにできていません…(^◇^;)

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9月15日にジジは療養病院に転院しました。その日から末梢点滴は終了し、皮下点滴1本のみになりました。それでも結構意識はしっかりしていたのですが、やはりおママが亡くなった頃から、衰えが顕著になってきました。

何か言おうとはしているのですが、声を発する力がないので聞き取る事は難しくなっていました。

それでも、おママが亡くなった9月20日頃から、親戚が積極的に面会に来てくれたのは、とてもありがたかったし、ジジにも良い刺激になったと思います。

9月23日、ジジの母方の親戚のYちゃん(私と同世代)が娘さんと所用があって上京しました。その時、私に連絡がありました。

「出来たら、伯父さんに会いたいな…。」

私もね…、お葬式で会うより生きているうちに会ってもらいたいかな…。

ジジは10年以上会っていなかったYちゃんを見て、目を見開いて微かな声で

「ありがとう」

と言っていましたし、娘さん(20代)の手を握りしめていました。よほど嬉しかったののね。(^◇^;)

10月に入ると、ジジの妹である久美子叔母さん(93歳)とそのご家族の皆さんが来て下さいました。ジジはかなり弱ってきて、おそらく月末まではもたないと思われます。

仲の良い兄妹でしたから、

「久美子叔母さんが会いたいと思ってくれるなら、悔いのないように何度でも来てくださって構いません。」

ただ叔母さんも御高齢ですし、ご自宅から病院までは結構遠いです。ご家族に自動車で送迎してもらわないと面会は不可能です。それでも、2週間で3回来てくださったので、ご家族の協力にも感謝しました。やはり、久美子叔母さんが

「お兄ちゃん❗️」

と声をかけて,昔の話をすると、声は出ずとも反応は良かったです。

10月上旬、皮下点滴で2週間以上経過しても、ジジは手を握ればかなり握力もありましたし、看護師さんによるとお小水も出ていて、血圧は少し高めくらい。状態は安定していました。ジジは本当に身体は丈夫だったのでしょう。

私の娘のアズキですが…9月初旬に夫君の転勤に帯同して、東北暮らしとなりました。

引っ越し前の8月にジジとおママの病院にそれぞれ面会をしてくれていましたが、10月に入って、ジジの事も気になっていたようです。10月10日から12日は婚家の法事で関東に来ていましたから、私が声をかけたら12日に面会をすることになりました。

しかし、この日の昼頃から山手線の事故の影響で、JRは運休やダイヤ乱れとなり、埼玉から都内西部に来るのは時間的に難しくなり断念しました。結局、8月が最後となってしまったので、それはアズキにとっては悔いが残ってしまったようです。

オネコさんは、ほぼ毎日ジジに会いに行っていました。私は駅からの徒歩も入れたら片道1時間半ほどかかるので、週2回くらいでした。どんどん痩せ細り衰えていくジジを見るのが、私は本当に辛かったです。

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*毘沙門天信仰

ジジは50代の頃から、関西に出張に行く度に寺社仏閣を訪れるようになったそうです。中年期は仕事も難しい問題に直面する事もあり,きっと心の拠り所を求めていたのでしょう。

その中で、京都の鞍馬寺の国宝毘沙門天像(三尊像)に心打たれてからは、毘沙門天を拝んで一人で信仰していました。

(↓)鞍馬寺 霊宝殿<3階、仏像奉安室>に安置されている国宝の毘沙門天三尊像

kuramadera.or.jp

毘沙門天は仏道を守護する天部の神です。四天王の多聞天です。福の神でもありますが武神です。鞍馬山から京の都を見渡しながら守護していらっしゃる。(๑˃̵ᴗ˂̵)v

「毘沙門天は強いよ、戦いの神でもあるんだよ、鞍馬寺の毘沙門天は厳しさと優しさを兼ね備えたような力強さを感じる」

ジジはよくそう言っていました。鞍馬寺の像様とは異なるけれど、小さな木像と金銅像を2体を持っていて、毎日拝んでいました。

10月13日、オネコさんが面会に行く時に、木像の毘沙門天様を持参したら、ジジは目をしっかり見開いて,ぎゅっと両手で握りしめたそうです。

その翌日10月14日の夕方にジジは亡くなったので、

「私が毘沙門天像を持っていったから,ジジは死んじゃったのかしら…」

オネコさんはそう気にしていました。

でも、私からすると、あれほど信仰していた毘沙門天に導かれたなら、ジジは本望だったでしょうし、幸せな最後だったのではないかと思います。

きっと、毘沙門天様は

「よく頑張って、ここまで生きた❗️」

と褒めてくれたでしょう。(๑˃̵ᴗ˂̵)v

ジジもおママと同じように、火葬のみの直葬にしました。納炉前の控室で近親者のみのお別れ会をして、皆で思い出話に花を咲かせました。

棺には2022年3月に私とアズキが鞍馬寺へ参拝した際に頂いた御朱印やお守り、件の木像もしっかり納めました。

そして、私が2023年春から鞍馬寺の国宝毘沙門天像の写真を元に下絵を制作して、同年秋に描いた仏画も、ジジのお供に加えてもらいました。これは、ジジの依頼で制作し、納棺する約束でした。

<M10号(530×333mm)、紺色の鳥の子紙に耐変色性準金泥で線描き。>

鞍馬寺ではムカデは神様からの御使いとされていたとの事なので一緒に描きました。

これは忘備録ですが…。

会葬御礼はモンロワールの「リーフメモリー」にしました。一包みに小さな葉っぱ型のチョコレートが7つ入っていて、とても可愛らしくて美味しいです。

ジジはチョコレートが大好きでした。高級な物でなくてもOKな人でしたから,スーパーで売っている板チョコをバキバキ割って食べていました。

生前、ジジがこの「リーフメモリー」を食べた時

「美味しいけど、小さいのが包んであってお体裁はいいが…」

と、全く食べ足りない顔をしていましたっけ(^◇^;)

まさか会葬御礼にスーパーの板チョコではどうかと思いましたから、贈答にも使える「リーフメモリー」にしましたわ。(°_°)

www.monloire.co.jp

(↓)2022年に私とアズキが京都を旅行した記事

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*本日アップの貼り絵

制作年月日不明ですが,収納してあるファイルに状況から考えると2005年ごろの作品だと思います。

前記事でご紹介した作品とは,連作だったのではないかと思います。

 

おママの貼り絵を見て下さり,有難うございます。

ご報告(ジジ)

<制作年月日不明アルツハイマー型認知症の診断前2005年ごろ>

*覚悟はしていたが…

ジジが10月14日の夕方に永眠いたしました。

7月下旬、今年3度目の肺炎での入院の時から、ジジは一気に弱ってしまいました。もう口から栄養を取ることができなくなり、ジジの年齢(98歳)と体力を鑑み、私達姉妹は延命治療(胃瘻・中心静脈栄養・経鼻経管栄養)はしないと覚悟を決めました。末梢点滴のみとなりました。

それが8月上旬でした。

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ジジは少しずつ弱ってはいましたが、会話もできていましたし、呼びかければ意識もありました。ただ、前回入院したときのように食欲があるというわけでもなく、時々「2日くらい何も食べてないんだ…」などとと言う程度で、飢餓感もないようで、穏やかに老衰していく感じでした。

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(9月か10月か…、晩秋を迎える前に、ジジはきっと旅立ってしまうのだ)

そう、覚悟はしていました。

ところが、まさかのおママが先に逝ってしまうなんて…。

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前記事『ジジの容体について(8月末から9月末)』を書いた頃には、声は出なくなるし、反応も弱くはなっていましたが、さほど切迫した状況ではありませんでした。

看護師さんからは

「お小水も出ていますし、手を動かしたりベッドの柵に捕まったりしていますし、血圧も割と高めなので、大きな変化はありません」

と言われていましたから。

ところが10月14日の15時過ぎに、病院からオネコさんに連絡が入りました。

血圧が下がってきていて、呼吸も浅くなっているとの事。

オネコさんが駆けつけた時には、既に呼吸をしている感じはなく、しばらくして医師の死亡診断となりました。私は最後には間に合わなかったです。

穏やかな、そして人生やり切ったようなスッキリした顔で、ジジは眠っておりました。

おママの死から24日目。やっぱり2人は仲が良かったのね…。

ただ、おママの直葬から約3週間で、またジジを見送るのです…。

覚悟はしていましたが、私は少々…心身ともにキツイです。

オネコさんは気丈にテキパキとこなしてくれているので、私もなんとか頑張ろうと思います。

そんなこんななので、また暫く読者登録をさせて頂いたているブログを訪問する事もできないと思います。申し訳ありません。

そして、おママの件以降、頂いたブックマークのコメントに星すら付けていない

不義理をどうぞお許しくださいませ。m(_ _)m

*本日アップの貼り絵

制作年月日不明です。収納しているファイルの状態からアルツハイマー型認知症の診断前の2005年ごろの作品だと思います。

広告写真でしょうか?何か絵画の写真をクラフトパンチで抜いて貼ったのだと思います。

おママは『銀座百点』の綺麗な写真を使ったのかもしれませんね。

おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。

ジジの容体について(8月末〜9月末)

(制作年月日不明 アルツハイマー型認知症の診断前2005年頃)

ジジの容体などについて,忘備録的にまとめておきます。

長文になりますので、ご興味のない方は下の方の「*本日アップの貼り絵」までスクロールしてくださいませ。(^◇^;)

*地域包括支援センター病棟へ移動

7月下旬に肺炎で今年3度目の入院をしたジジは,嚥下能力を弱らせて口から栄養を取れなくなってしまいました。

私たちは医師と相談の上、胃瘻や経鼻経管栄養、中心静脈栄養などの延命措置は行わず、末梢点滴のみ続けることにしました。

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<8月25日>

肺炎の治療が終わっていたジジはこれまでの内科から同病院の地域包括支援センター病棟に移動しました。今後は転院先の療養型病院の空きを待つことになりました。

実はこの同じ日に、午前中は骨折で別の病院に入院していたおママが退院して特別養護老人ホームへ戻り(3日後に再入院、その後肺炎で死去)、午後はジジの転院先となる療養型病院で面談と申込をしました。

ジジは1日に2本の点滴(500ml200Kcalの点滴2本)と、炎症反応がある時は抗生物質も投与されていました。日に400Kcalですから、やはり少ないですね。

とは言え,結構意識はしっかりしていていました。娘達のことは分かるし、夢か妄想かは分かりませんが、明瞭に話をしていました。ただ、眠っていることも多くて、ジジの話すことの大半は夢のつっ付きのような気もしました。

<8月27日>

9月15日に療養型病院への転院が決定しました。

<8月28日>

私がジジの面会へ行く電車の中でオネコさんからLINEがあり、おママが救急で再入院と再手術をするとの事。そのため、私はジジの面会を終えたらおママの方へ向かうことにしました。

ジジが珍しく「今何時?」と訊ねるので、私は「今は四時よ」と答えました。するとジジは指を四本立てて頷いていました。まだまだジジはしっかりしてますね。

「これから芙貴子さんのとこ行くわ」と言ったら首を傾げるので、「芙貴子さんはあなたの奥さんですよ」と答えたら、更に首を傾げて分からない風だでした。

「もう2日くらいご飯食べてないな」と言うけど、そんなもんじゃないから,私はお茶を濁していました。でも食べたいわけではないようで、「疲れた…」と。そりゃぁ体力も落ちてますものね。

<8月31日>

私が面会をした時に、ちょうどリハビリの時間に当たりました。リハビリの先生は若い綺麗な女性で、以前の病棟でも担当してくれていました。足が拘縮しないように「はーい,ゆっくり伸ばしましょう」と言って摩りながら伸ばそうとしているのですが、

ジジは面倒なのか?本人、脚を伸ばす気は全くないようで、寝たふりしていました。

褥瘡は見られないようなので安心しました。帰り際、私を見て「あまり無理するなよ」と言ってました。そういう気遣いは本当に良くできる人です。

ジジは腕の点滴が気になるようで、時折り引き抜いていました。それで足からする事もありましたが、段々に皮膚は弱くなって、なかなか針を入れられなくなってきました。

<9月3日>

オネコさんが面会に行くと、看護師さんから言われたそうです。

「昨日、点滴の液が血管から漏れてしまって皮膚が腫れてしまいました。皮膚科でステロイド軟膏が処方されアイスノンで冷やしています。これまでの点滴は栄養価はあるが血管から漏れるとリスクが大きいので栄養の少ない点滴(ほぼ水)に変えました。」

つまり血管が脆くなるという時期に入り、末梢点滴もだんだん難しくなっているのでしょう。

1日500ml(100Kcal)の点滴2本になりました。オネコさんは帰りに看護師さんに改めて聞いてみたら、水のような点滴だけれど1日に1リットル血管に入っていて意識もあるから、まだ大丈夫ではないかとのこと。

<9月5日>

オネコさんの娘家族がお見舞いに来てくれました。ジジはとても嬉しかったようです。

オネコさんの娘には「まだ死なないから大丈夫」とか「一杯やろう」。

曽孫小6女子には「頑張って」とか「気をつけて」

曽孫小4男子には「あの世で会いましょう」←ジジったら何を言っているんだ?

旦那様には「ありがとう」とか「頑張って」

などと、それぞれに話をしていたようです。2人のお子達に目にはやはりジジがとても弱って見えたのでしょう。病院から出たら涙ぐんでいたとの事でした。

翌日、オネコさんが面会に行ったら、彼らが来たことは忘れてしまっていたそうです。それは仕方ないです。98歳だもの…(^◇^;)でも珍しく「朝ごはんは?パンが食べたい」と言っていたそうです。

<9月7日>

ジジは「満州国が日本に併合された❗️」という夢を見たと語っていたらしい。

ジジ、満州国はね。1932年(昭和7年)に独立国として建国されたのよ。日本の傀儡国家だったけど、併合されてはいなかったんですよ。ジジったら,夢で歴史を改変したのね。(^◇^;)

<9月12日>

オネコさんの息子が一人でジジとおママを見舞ってくれました。

ジジは彼を見るととても喜んで、しっかりとした声でたくさん喋っていたそうです。内容は仕事のことも多く、ジジの頭脳も一番年上の孫が来てくれてスイッチが入ったのでしょう。翌日、彼は家族を連れてまた来てくれたのですが、この時のジジは何度呼びかけても目を覚まさなかったらしい。もしかしたら、前日に話しすぎて疲れてしまったのかも。

<9月14日>

翌日9月15日はジジが療養型病院へ転院する日です。そのため,退院時に着せる服装をオネコさんが実家で探してくれました。前開きの浴衣にしました。これは大人用ではなく140サイズ。子供用なのですが、ジジは体が小さくなってしまったので、当日看護師さんが着替えさせたらぴったりでした。

*療養病院に転院

療養型病院への転院日。オネコさんと私が付き添って、ストレッチャーを備えた介護タクシーで移動しまし。その手配は送り出す病院側のソーシャルワーカーが行ってくれました。

ストレッチャーに移り病室を出る時、

ジジはこれまでお世話になった看護師さんに「ありがとう」と言っていました。看護師さんもその言葉を聞いて嬉しそうでした。この状況になっても、感謝の言葉を言えるジジは本当に偉いと思います。

療養型病院に到着すると直ぐに担当医の診察がありました。その後、私達は担当医から以下の説明を受けました。

*只今,診察したら、末梢点滴は血管も皮膚も弱くなっているから、今後は難しくなる。近日中にお腹の皮下に針を入れる皮下点滴になる。

*皮下点滴は1日1本しかできない。500ml 100Kcalだけになるから、どうしても体力は衰えて、老衰で亡くなる。個人差はあるけど、長くて1ヶ月くらいか?

*これまでの病院でも唾液だけでも肺炎を繰り返していたようなので、肺炎が急激に進行したら、容体は急変する可能性はある。

*肺炎を防ぐためにも,こまめに痰の吸引は行う。

帰りがけに看護師さんから、

「やはり、もう血管に点滴は無理なので、今日から皮下点滴にします」

と言われて、オネコさんも私も、あとは時間の問題なのかと、気持ちが塞ぎました。

前の病院で担当医とも話し合い、ジジの年齢状況では延命治療はかえって本人の負担になって苦しめるだけと判断したのですが、ジジの最後が近いと思うと胸が苦しい。

<9月16日〜9月17日頃>

まだジジの意識ははっきりしていました。オネコさんが面会に行くと「チャーコは?」と言い、私が行くと「オネコさんは?」と聞くから、娘が2人いることは分かっているようでした。

やはり皮下点滴で、お腹に浅く針が刺さっいました。1日にこれ(500ml 100Kcal)を1つと抗生剤(肺炎用)をいれてるとのこと。

オネコさんが「何か食べたい?」と聞いたら「なんでもいいや」と。実際に食べたいというより,イメージの問題なのかも…。

私達はジジの死期が近い事を憂いていましたが、骨折で入院していたおママがまさかの肺炎で死去。予想外の事態に2人とも呆然としてしまいました。

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<9月21日>

オネコさんがジジの面会に行くと、ジジは元気でほっとしたそうです。理解できないかもしれないけど、一応おママのことは知らせておこうと思いました。

「奥さんのふきこさん覚えてる?」→ジジ頷く。

「昨日亡くなったのよ」→「ええっ?」目を丸く見開いて驚き、「なんで?」

「肺炎で急に亡くなったのよ」→「可哀想に。葬式は?」

「お葬式はしないで火葬するの」→ジジは「いつ?」と訊ねました。

「こんどの土曜日、5日後よ」→「どこで?」

「〇〇斎場よ」→ジジは「??」どうも理解できなくなってきたようです。

よく理解しているかのように思われたけど、ジジはこの辺りから迷走。

「亡くなったのはふきこさん、あなたの奥さんよ」→「うちの家内じゃない」

誰かが亡くなったことは分かったが、やはり、もともと記憶があやふやだから、自分の奥さんが亡くなったと理解するのは難し買ったようです。でも、最後には

「来週月曜あたりには退院しようか」

「おれは死なないようにしないと」

とまだまだ生きる気満々ででした。

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今日現在もジジは生きているし、親類が声をかけると,言葉は出なくても反応もあります。もう少し,がんばれるのではないかと思います。

*本日アップの貼り絵

制作年月日不明ですが、2005年頃のファイルに収納されていたので、その頃だと思います。(↓)おママがよく好んで使ったマーブルペーパー(購入品)です。

(↓)同じ紙を使っています。

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小さな円形は(↓)このホログラムシートを使っています。キラキラ光って色が変化するのが印象的な紙です。

(↓)この紙のキラキラ動画です。(๑˃̵ᴗ˂̵)v

youtube.com

(↓)関連作品も多いです。(^。^)

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おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。

おママを見送りました

(19年10月29日 アルツハイマー型認知症の診断から約8ヶ月後)

*急変

前記事の「ご報告」にコメントやブックマーク、そして「X」にて、たくさんのお悔やみの言葉を頂きました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

9月26日におママを見送り、火葬をいたしました。

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思えば9月16日に(↓)の「おママの近況」の記事を書いていた頃は、全くこのような事になるとは思いませんでした。私はおママの原因不明の発熱を「知恵熱⁉️」などと言っていたので、本当に危機感がなかった思います。

その前日の9月15日にはオネコさんと一緒に夕食の時間帯に面会をし、オネコさんがおママに優しく食事の介助をする様子を写真に撮り、

(おママが退院した時の記事に、親孝行娘と母親の様子を描こう❗️)

なんて考えていました。

今となってはおママを絵に描く気力もありません。

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私の忘備録的に最後の数日をまとめてみました。

おママの容体が急変してきたのは9月18日金曜日でした。

誤嚥性肺炎が見つかっていたので、16日にはすでに酸素吸入も始まっていたけど、1ℓ/分くらいでした。17日に夜あたりから呼吸状態が悪くなり、血中酸素濃度(血中酸素飽和度(SpO2))も下がり気味、発熱も解熱剤が効いているうちは36度台だけど、切れると38度台になっていました。

18日朝の主治医からの電話では、肺炎が進行してしまった可能性があるので又レントゲンを撮るとのこと。夕方に今の容体と今後について家族と医師の面談を行う事になりました。

この日は昼にもオネコさんのスマホに主治医からの着信があり、15時過ぎにオネコさんと私がおママの病院に向かっているバスの中でも連絡がありました。

「もし会いたいと思う方がいらっしゃったら、なるべく速く知らせた方がいい」

との話もあって、私もオネコさんもバスの中で仰天しました。

「それって、もう危ないって事⁉️」

どうやら酸素吸入10ℓ/分でも酸素飽和度90を切っているようでした。

オネコさんと私が病棟に到着したら、すぐに主治医との面談になりました。

<直近の経過>

9/15(火)CTを撮った。肺炎の疑いがあるが、食欲があるので体力温存のために食事は続ける。これは年齢や認知症を考えると、一度食事をやめると2度と食べられなくなる可能性があるため。発熱続く。

9/16(水)酸素吸入を始めた。1〜2ℓ/分発熱続く。

9/17(木)夜に肺炎の悪化。酸素吸入を5〜6ℓ/分にし、抗生剤を強くした。それが効いているうちは平熱に下がるが、時間が経つと38度台に上がってしまう。

9/18(金)レントゲンの結果、肺全体に白い炎症が広がっている。呼吸の状態も悪く,酸素吸入は12ℓ/分でようやく血中酸素飽和度(SpO2)が90前後を保っている。酸素吸入は一般病棟では15ℓ/分が限度でそれ以上は人工呼吸か。抗生剤は一番強いメロペンを使用。今のところ血圧や心拍数は保たれている状態。

<今後について>

私たち家族の意向の確認。*心肺蘇生は行わない。*抗生物質の投与と点滴による栄養は続ける。数日で看取りになる可能性がある。

病室に入ると、おママは酸素マスクをして一生懸命に呼吸をしていました。それが苦しそうで、時折自分で酸素マスクを外そうとしていました。そうなると血中酸素飽和度(SpO2)は一気に75くらいまで下がってしまうので、私達はおママがマスクに手を伸ばさないように見守っていました。

例えば私が走った後になるような荒いゼーゼーハァーハァいう感じの呼吸で、心拍数は117くらい。かなり辛そうでした。

この日は私達は家に帰るつもりでしたが、病院側から病棟内で家族が宿泊できる控室を用意するとの話がありました。それでオネコさんも私も夜間も病院内に留まる事になりました。それだけおママの容体は悪かったから、病院側としては臨終に間に合うように家族には近くにいて欲しかったのかも知れません。

19日土曜日,私は用事があり、その後に自宅に戻って3日宿泊できる用意をしてから、夕方病棟に戻りました。その間、オネコさんはずっとおママに付き添ってくれていました。

その晩、急に心拍数が170前後まで上がり、1時間ほどそれが続きました。おママは大変苦しそうで、酸素吸入15ℓ/分でも血中酸素飽和度(SpO2)は80を切り始めました。これは脱水状態のためだったらしく,点滴をを追加して心拍数が100位になると、おママの呼吸もだいぶ落ち着きました。この夜も私達は控え室で仮眠をとりました。

20日日曜日、朝方は落ち着いていたのですが、モニターを見ていると段々に血圧も下がり、心拍数や呼吸数も下降していきました。呼吸は落ちついたかのように見えるのですが、それが臨終の時が近づくサインだったのでしょう。もうおママは力尽きたように、静かに永眠しました。

入院中、そして看取りの時も主治医や看護師さん達にはとても良くしていただいたと思います。若い看護師さんが「田中さんは本当に優しくて,私は大好きでした」と涙ぐんで下さり、これがおママにとって恵まれた環境での幸せな最後だったのだと思いました。

*直葬

どのようにおママを見送るか。

オネコさんと相談の上、お通夜も告別式もせず、ごくごく近親者のみで直葬にしました。代々檀家になっているお寺もなく、祖父母の時に来て頂いたお坊さんとも縁が途切れているので、あまりお願いする気になれませんでした。

斎場で納炉の前に、おママの棺を囲んで親類がお別れをする部屋をとりました。おママの作品を見て頂きながら1時間ほど過ごしました。

近親者のみとはいえ、会葬者はオネコと私を含めて20名。なかなか賑やかで、おママも喜んでいたのではないかなと思います。(^。^)

(↓)祭壇もなかったので、せめて場が華やぐようにおママの作品を並べました。

おママを偲んで皆さんがカードや栞を持ち帰ってくださいました。おママも嬉しかったかたでしょう。(๑˃̵ᴗ˂̵)v

私は仏画を習っているので、おママの棺に納めるために観音様を描きました。

おママが亡くなった晩から下絵を作成して、顔彩で彩色し、純金泥,水金泥、そして截金も施しました。

本当は白い紙に墨の線画だけでも良かったのですが、おママなら彩色されたものの方が喜びそうでしたから…。

昼間は用事で外出することも多く,夜間の数時間のみで6日間の作業ですから、本当に突貫工事の状態でした。反省点も多いのですが、今の私にはこれが精一杯です。

仕上がってから12時間で、おママとともに旅立ちました。

(↓)截金は光背の縁取り、宝冠の装飾、瓔珞(胸飾り)とその他の装飾,朱色の裳の麻の葉模様です。

作図の参考にしたのは(↓)こちらの写真です。8月に奈良国立博物館で購入した図録『なら仏像館 名品図録』収録 198番 観音菩薩立像より

会葬御礼は銀座ウエストのヴィクトリアにしました。三越銀座店で購入、「会葬御礼」ののし紙を付けてもらいました。

おママはウエストのお菓子が好きでしたからね。

でもヴィクトリアって綺麗な赤いジャムが載ったドライケーキなんですよ。

「見た目がなんか目出度い感じだけど…。」

購入する時に少し迷いました。リーフパイの方が無難かなと…。

まぁ、良いですね。

美味しいし、おママだったら華やかな方が嬉しいと思う…。(^◇^;)

www.ginza-west.com

*本日アップの貼り絵

19年(平成、西暦では2007年)10月29日の作品です。

おママがルリユール(ヨーロッパの伝統的な製本技術)を習っている頃に購入したマーブルペーパーです。

マーブルの流れに沿って綺麗に切り抜き構成しています。おママは認知症になってもハサミで精密に紙を切ることができました。本当に几帳面で器用だったと思います。

おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。

ご報告

(19年10月29日アルツハイマー型認知症の診断から約年8ヶ月)

*急なことで実感がありません

おママが9月20日昼前頃に永眠いたしました。

(↓)前記事を書いた9月16日には全く想像もしていませんでした。

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肺炎の進行が思いのほか速く、9月18日からは危篤状態でした。

ジジの方が危うい状態なので、まさかおママが先になるとは思いもよらず、姉のオネコさんも私も呆然としています。

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ここ1週間ほどはあれこれ忙しく、読者登録させていただいているブログへの訪問は難しいと思います。申し訳ありません。

ショックではありますが、私はそれなりに動けております。

では、ご報告まで…m(_ _)m

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*本日アップの貼り絵

2005年ごろの収納ファイルの中に有った作品ですが、

裏面にはおママの自筆で「19年10月29日」と書いてありました。

「19年って2019年か?」

2019年は私も盛んにおママの貼り絵をブログでご紹介していましたが、この作品は全く記憶にないし、当時のおママの作風とはかなり違うと思います。

他にも2019年に同じマーブル紙(おママが認知症になる前に購入した物)を使った作品がありますが、私は2019年のおママが製作した作品とは思えませんでした。

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きっと「19年」は平成19年でしょう。西暦だと2007年です。

いつの頃かわかりませんが、認知症のおママはファイルに収納していない自分の作品を見つけたのでしょう。

そして、どのファイルに収めたらいいのか分からず、1番古そうなファイルに入れたのだと思います。(๑˃̵ᴗ˂̵)v

(↓)2019年4月のおママです。この頃が懐かしい…。

おママの貼り絵を見てくださり,有難うございます。

おママの近況(8月中旬から9月中旬)

(制作年月日不明 アルツハイマー型認知症の診断前 2005年頃か)

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*順調に退院できたが…

去る8月15日の昼過ぎ、おママは特別養護老人ホームで転倒し、救急搬送をされました。診断は大腿骨頸部骨折でした。

ちょっと身体を動かすだけでも激痛が走る。そんな状態では介護を受けるおママも介護する側も地獄です。それで、8月18日におママは手術を受けました。

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経過は順調。

緑内障で視野のほとんどを失っているし、認知症は末期です。でも、それなりに大人しく入院生活を送ることができたようです。

お食事はお粥と刻み食です。毎食デザートも付いて美味しかったのでしょう。そこは食いしん坊のおママさんですから、口元まで食事を運んで貰えば、時間はかかるけどしっかり食べられます。

その甲斐あってか、車椅子に座って移動できるまでに回復し、晴れて8月25日の午前中に退院しました。実に入院して10日、短期の入院でした。

当日は特養から自動車でお迎えが来たので、おママは退院手続きをしたオネコさんと病院の入口で手を振って別れました。良かった良かった❗️(๑˃̵ᴗ˂̵)v

ところが❗️

そのたった3日後の8月28日(金)に、特別養護老人ホームからオネコさんに電話があったのです。オネコさんはすぐに私にLINEをくれました。その内容はこんな感じでした。

「今、特養から連絡があり。やはり傷口(手術の患部)がグジュグジュして心配なので同じ病院に連絡をとったところ、救急外来で来てくださいとなったとのこと。特養のスタッフさんは『今から時間調整するので、今日はこちらで受診対応できます』とのこと。なんとありがたい事か、おママの施設は神❗️」

オネコさんも私も待機で済みました…。いえ、その筈でしたが…。

それから1時間以上経ってオネコさんから又連絡が来ました。

「おママ再入院❗️入院手続きがあるから急ぎ病院に向かっている。」

その頃、私は15時からのジジの面会に向かっていて、電車の中でした。オネコさんとLINEで相談の上、私は予定通りジジの面会をしてから、バスでおママの病院に行くことになりました。

幸いジジの方はあまり病状に変化はなかったので、大急ぎで私はバスに乗り込みました。こまめにLINEを確認していると、時刻は16:30頃、

「今、病室で先生2人が診てくれている。

通常の外来では、感染の恐れがあるから、念のため救急外来でとの事だったが、

今数人の先生が見た結果、深部感染の恐れがあるから、

全身麻酔で患部を洗うと。つまり再手術のような…。」

ええええ…。

前回手術したところをもう一度開いてですね…。洗浄消毒するんです。

*頑張りました

この8月28日金曜日の17時過ぎに、私はおママの病院に到着してオネコさんと合流しました。その時点で詳しい手術の説明は終わっていましたが、私は麻酔の先生の説明は聞くことができました。

10日間のうちに2度も全身麻酔を受けるのですから、もしかしたら、ただでも風前の灯のようなおママの認知機能にも影響があるかもしれない。そんなことも思いました。

手術は18時から始まり終了は21時くらいでした。

その間、オネコさんとコンビニでおにぎりなどを購入し,待合室で食べながら待ちました。

手術終了後に医師の説明を聞きました。

前回手術したところを再度開いて患部を洗浄消毒。

今回は患部にドレーンを設置しました。洗浄液を少量づつドレーンで患部に流し、それを排出させるためのドレーンで体外に出す。その24時間ゆっくり消毒洗浄を続けるのが2週間。

「母が訳もわからずドレーンを引き抜くことも考えられますが…。」

「御本人の気にならないように配置していますから、おそらく大丈夫です。2週間続けて、状態が良ければドレーンを抜いた後に退院になります。」

ただ,おママは90代。とても高齢なので傷口の回復が予想以上に遅かったり、治癒しにくい場合もあるようです。

今回は病院側もかなり慎重になっていると感じました。

その日はもう時間も遅く、おママは全身麻酔から覚めやらぬ様子に後ろ髪をひかれながら、娘2人は帰途に就きました。

*順調

翌8月29日にオネコさんが夕方面会に行ってみると、おママは食欲もあり、かなり元気でした。

「おママ美味しそうに食べてるわ!自分で口を開けるし、美味しいのか笑顔!」

普段の特養でも前回の入院時もそうでしたが、おママは目が不自由なので、完全に介助がなければ食事ができません。一口一口スプーンで口元に運んでもらい、それを食べるのです。それをしっかり噛んで嚥下するので、1食を食べ終わるのに1時間近くかかります。

ただでも忙しい看護師さんですから、オネコさんは夕食時に面会に行き、食事の介助をすることが多いです。

「認知症でもやっぱり笑顔が見れたら嬉しい。もしも食事に間に合ったらだけど、途中でデザート的なものもあげると喜ぶよ。初日はジョアが出ていたので、おかずの蓋か何か深みのある食器に半分くらい出してトロミ混ぜてドロっとさせて食べさせたら喜んだ。昨日はオレンジゼリーだったので、食い付きが鈍くなってもゼリーはパクパク。」

*予想外の発熱

手術後から10日あまり、日によっては反応が薄かったり、食事を完食しない日もありますが、概ねおママは順調でした。ドレーンの排出液からも炎症を引き起こすような菌もなく、ちょうど2週間の9月11日(金)に予定通り管を抜くことになりました。

そして、退院は9月13日(日)になり、特別養護老人ホームも自動車でお迎えに来てくれる手筈も整いました。

だが,しかし…。

退院が決定した8月10日(木)から、おママは38度台の発熱が始まったのです。

食欲は落ちていないのだけど、時には39度にもなったらしい。8月11日(金)に肺炎や尿路感染、などをを調べるために血液検査とレントゲン検査も行いました。

オネコさんが面会に行くとアイスノンで頭部を冷やしていたそうです。

ドレーンの排出液は綺麗だったし、肺炎とか尿路感染もなく、9月14(月)の時点でコロナでもインフルエンザでもありませんでした。(ドレーンは既に抜きました。)

しかし、原因不明の発熱は続いているのです。 

「主治医の先生が来て、痰の検査も問題なく、尿は普通よりきれいなくらいで、食欲もあるし、原因がわからない。感染症の先生と相談して抗生物質を点滴してると。原因わからないのに抗生物質?て感じだけど…。」

原因不明の発熱は厄介です。炎症の元がわからなければ対応もできません。

ふと素人考えの私は思いました。

「知恵熱じゃね?」

おママの脳はすでにかなり萎縮してますし、現在の入院生活は大人しく過ごせてますが、本人にとっては「なんだかわからない」状態でしょう。その状況に無意識下で対応しようと頑張った末に知恵熱が起きても不思議ではありませんよね…。

知恵熱に抗生物質は効かない…。(^◇^;)

とは言え、そんな事を真面目に治療や看護を続けてくれている医師や看護師には言えませんね…。(^◇^;)

9月15日(火)には熱の元を突き止めるために造影剤を投与して全身にCTをかけて調べたところ、感染症の先生にも助言を求め、ようやく肺に小さく誤嚥性肺炎が見つかりました。

昨日の夕方の段階ではまだ熱は38度台。血中酸素濃度も90を切ったりしているので酸素吸入を1リットル投与中でした。抗生剤も使っています。

誤嚥性肺炎はジジで経験済みですが、唾液でも悪化することがあるので、基本的に炎症が治るまで点滴のみの絶食です。でも、おママの食事は引き続きでていました。

「全身の状態から考えて食欲もありますし、ご高齢なので何日も食べないでいると,本当に食べられなくなる可能性があり、体力を保持するために当面お食事は摂っていただいた方が良いと判断しました。」

そのような医師からの説明がありました。

おママ,良かったね。唯一に楽しみが奪われなくて。

なんとか早期に熱が下がって退院できますように。(^。^)

*本日アップの貼り絵

制作年月日不明です。ただ収納してあるファイルから考えて2005年頃だと思います。

おママに貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。

ジジの容体について(7月下旬から8月末)

(制作年月日不明アルツハイマー型認知症の診断前2005年頃)

harienikki.hatenablog.com

*今回は今までとは違う

7月24日金曜日にジジは今年3度めの入院をしました。

病名はまた誤嚥性肺炎です。しかし、入院当初からこれまで2回とは少し違っていました。ジジの体力も意識もかなり低下している様子でした。

harienikki.hatenablog.com

今回も2度めの入院(4月下旬〜5月中旬)と同じ病院ですから、カルテはしっかりあります。耐性ができてしまっている抗生物質は試す必要がないので、肺炎の治療は割とスムーズだったと思います。

harienikki.hatenablog.com

しかし,今回は入院して抗生剤に投与が始まってまもなく、ジジはCD腸炎を起こしてしまったのです。

「CD腸炎ってなんぞや?」

私は知りませんでした。正式にはクロストリジオイデス・ディフィシル腸炎と言うそうです。言おうとすると舌を噛みそうな腸炎ですね。抗生剤の影響で腸内の悪い細菌だけでなく良い菌も減ってしまい、腸内環境が荒れて起きる腸炎です。

その腸炎を治すお薬を口から服薬する必要がありますが、ジジはそれを嚥下することができませんでした。唾液を飲み込むのも難しい状態だったそうです。その為、痰も多く吸引が必要でした。それで経鼻管で鼻から直接お腹に薬を投与し始めました。

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前回の入院の時は夜中に大きな声を出したり、しょっちゅう尿意を覚えてナースコールするので病棟の問題児になっていました。しかし、今回は大きな声を出す力もない…。排泄はポータブルに座ることもなく、完全に紙オムツです。

入院してからは全く口から栄養が摂れていなかったのに、空腹を訴える事はほとんどありません。

それでも八月の声を聴くと、肺炎もCD腸炎もそれなりに落ち着いてきました。

8月5日のオネコさんのLINE情報では嬉しい内容もありました。

「今日は17時前に行ったら、若い可愛いお姉さんにリハビリしてもらってた❗️ミトンもとって指を動かし足を動かし寝返りして起き上がり、靴を履いて抱きつきながら立ち上がるのもしていたよ❗️平日は毎日やってるのですって。今日から嚥下のリハビリも始まったらしい。CD菌が排出されてるかは毎日検査するわけではないので確実なところはわからないらしい。熱は平熱だが痰の吸引は必要な状態とのこと。」

経鼻管での薬の投与がようやく終わるのでしょう。

*延命治療はしません

8月6日、オネコさんのところに主治医から電話がありました。

「肺炎はもうすっかり治っていて腸炎の方も便の様子からはもう大丈夫そうです。ただ、飲み込みが難しい。肺炎が良くなっても痰吸引が必要と思われます。明日、鼻のチューブを抜いたら飲み込みのリハビリをトライしてみるが嚥下指導担当者はおそらく飲み込めるようにはならないのではないかとみています。そうなると入所していた介護老人保険施設には戻れないので、今後の退院後などを御相談したいです。」

それで主治医との面談は8月10日の午後になりました。

8月9日頃、オネコさんが面会に行くと、ジジは目を覚まし思い出したように「足が痛い」と言っていました。相変わらず痰は多いので、やはり痰吸引は継続中。吸引は「痛い痛い」と言っていて、可哀想だったようです。抗生剤の点滴は継続していましたが、ジジは腕の拘束を外すと直ぐに引き抜いてしまうそうです。

「お腹すいた?」

オネコさんが訊いてみたら

「ちょっとすいたかなぁ。何か食べられるかなぁ」

とジジはか細い声で言いました。とはいえそれ以上「食べたい」話はありませんでした。思えば半月何も食べていないのです。ここまで食べたいとすら言わなかったのですから、ジジの身体は既に流動物も受け付けなくなっているかもしれません。それでも、薬のような不味いものではなく甘くて美味しい味のゼリーなら、食いしん坊のジジは飲み込もうと思うかもしれません。

オネコさんはその事を担当看護婦さんに相談してみました。しかし、嚥下専門の先生や看護師さんの感触では、食べられる可能性が低くて肺炎のリスクが高いとなると嚥下のリハビリは難しいとの事でした。

そして8月10日、オネコさんと私は主治医と面談をしました。

その内容は現時点での容体の説明、今後の治療と延命措置をするか否かの家族への意思確認でした。

「嚥下が出来なくなり、口から栄養が摂れなくなった場合、延命のために幾つかの方法があります。ただ、お父様のご年齢(98歳)を考えると、かえって苦痛を与えるだけのようにも思います。」

一般的には次のような方法です。(↓)

胃瘻 胃に穴をあけて、チューブをお腹から外に出します。胃ろうを造るためには内視鏡を使った手術が必要ですので、胃ろう造設のために1泊2日程度の入院が必要となります。経鼻チューブと違い、抜けにくく、管理しやすいのが特徴です。

経鼻経管栄養 鼻から管をいれます。先端が胃に入っていることを医療者が確認する必要があります。1-2週に1回交換します。

中心静脈栄養 首や股の静脈を指して、身体の中心部の太い静脈までチューブをいれ、ブドウ糖濃度が高くカロリーが高い点滴をします。濃い点滴なので、太い静脈でないといけません。十分な栄養が投与できるので、半永久的に継続できます。腸などの消化管機能が低下していても栄養を投与できます。チューブは半年に一回程度交換します。

私達は延命治療はしないと決めていました。

「それならば、今まで通り点滴で水分と若干のカロリーを補給を続けていきますか?ただ,点滴の栄養だけでは足りなくなり、皮膚や血管が弱くなっていくと,やがては点滴の針も入れられなくなります。そうしたら、自然に衰えて終末期になります。」

オネコさんも私もそれを選択しました。

一般にこれは「末梢点滴」と言われます。腕などの細い血管から水分とカロリーを補給しますが、濃い点滴はできないので、投与するカロリーは十分ではありません。そのため徐々に低栄養になって痩せてきます。いつまでもつか…?それは個人差があり、ネットで仕入れた情報では数ヶ月から長くても1年だそうです。

今思えば「末梢点滴」も延命治療でした。

ただ、少なくとも本人には苦痛は少ないかも…?

オネコさんは医師に「一口でもゼリーなど甘くて美味しいものを口にしたら本人にも癒しになるのではないか?」と相談しましたが,やはり嚥下の担当医師が「それはもう無理」と判断しているので、しない意向は変わりませんでした。

もし在宅で家族が看るのであれば、家族の裁量でできるのかもしれませんが、入院中なので無理なのでしょう。

そして、今入院しているのは急性期医療の病院です。肺炎や腸炎の治療が終了したら、療養型病院への転院を勧められました。

この退院や転院についてはソーシャルワーカーが調整してくれるので、その説明も受けました。転院についての面談では(↓)次のことを意思確認しました。

本人も弱ってきているので、家族はあまり移動させたくない。療養病院は同じ自治体でも、なるべく面会しやすい近いところを希望している。

現在の治療が終了しても、転院先が見つかるまでは入院を続けられる。

しばらく現在入院中の病院に付属している地域包括センターの病床(上限40日)に移ることも可能。

8月19日に主治医からオネコさんに電話がありました。

「現在は唾液が気管に入るようで、時々感染値が上がったり、痰が増えたりはしているが、今はそれが通常と考えられます。」

つまり急性期の患者を受け入れる病院としては治療が終了したと言うことでしょう。しかし、療養型病院はいっぱいで数ヶ月待ちの状況なので間に別の病院を挟む可能性もあると言う話でした。

8月20日に看護師さんより連絡があり、同病院の地域包括支援センター病棟に移動出来るかもしれないとの事でした。その際は4人部屋で1日3300円の差額ベッド代がかります。まぁ、その出費は仕方ないと承諾しました。

そして8月25日にジジは同病院内で病棟の移動をし、現在は地域支援センター病棟で「末梢点滴」を受けながら静かに過ごしております。

*本日アップの貼り絵

制作年月日不明です。アルツハイマー型認知症の診断前で収納ファイルの状態から2005年頃と思われます。

よく見ると紙ではなく薄く削いだ色革(購入した時に既に染色や加工がしてある)をクラフトパンチで型抜きをしています。おママは自分で革を薄くすくこともありましたが、革で装丁する時は専門の革スキ屋さんに頼んでいました。

おママの貼り絵を見て下さり,ありがとうございます。