(2019年10月12日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年8ヶ月)
昨年(2022年)12月にこのブログは6周年を迎えました。
そして、今年(2023年)1月にブログの主役であるおママは特別養護老人ホームに入所しました。
おママが16年以上にわたって制作し続けた貼り絵作品はまだまだ沢山あるので、
これからもおママの作品をご紹介していこうと思います。
*おママの貼り絵とは
おママが認知症と診断されたのは2007年1月末から2月ごろでした。
73歳の時です。
その少し前、2005年から2006年ごろから、おママは白い和紙のハガキを台紙にして、気の向くまま切った紙片を貼る「おママの貼り絵」を始めました。
それは、ハサミや糊を使って作業するのが困難になった2022年12月中旬まで続きました。
作品数は数えていませんが200枚収納ファイルなど20冊以上あるので、4000枚は超えていると思います。ブログで紹介できたのはその一部です。
材料は…
包装紙や雑誌広告の切り抜き、気に入って購入した和紙、洋紙。マーブル染め紙は自分で染めたものと購入したものを両方使っています。
広告写真では長年愛読していた「銀座百店」を2019年ごろまでよく使用していました。
和紙は小津和紙で購入した友禅紙を好みました。
(↑)小津和紙で購入した友禅紙@「波紋」
時には展覧会のチラシや、拾ってきた葉っぱなども貼っています。
お土産にいただいたお菓子の包装紙や、やスーパーで買って食べたチョコレートの個別包装紙も使われました。
繰り返し材料として愛用したのはティーパック紅茶の個別包装袋です。
ハワイ土産のマカデミアナッツチョコレートを包んでいた包装紙もお気に入りでした。
(↓)九州土産の「博多通りもん」「丸坊露」
作風は…
その殆どは幾何学的な平面構成で、抽象的な作品ばかりです。具象的なものはあまり見かけません。
おママはシンメトリーを好む傾向がありました。左右対称、上下対称、斜め対照、それら併存するような複雑な構成をおこなっていました。
2020年ごろからは流石に症状が進んでしまってシンメトリーは単純化しました。
しかし、2022年に末期認知症と診断されてもまだシンメトリーを試みる気持ちはありました。
この記事のトップでご紹介した貼り絵は2019年の作品です。おママが好んだシンメトリーの代表的な例だと思います。
*人物紹介
おママ 昭和8年生まれ89歳。現在、要介護4
2022年7月に認知症専門外来にて「末期」と診断されています。
同年6月に眼科にて、緑内障の視野欠損が広がり残された視野は両目とも中心部ののみと判明しました。しかし、白内障は殆どないのでm残っている狭い視野は比較的クリアに見えているのではないかと診断されました。だから貼り絵を続けていられたようです。
<認知症の症状>
かろうじて自分の名前は分かりますが、苗字は無理。家族の名前はおろか存在自体も忘れています。
貼り絵をしている時のおママを見て感じるのですが、記憶力は8秒くらいしか保てないです。
<言語>
ほとんどの語彙を失い、物の使い道やそれを示す名詞は理解できなくなっています。「こ、そ、あ、ど」でなんとか意思の疎通を試みていますが、おママが何を言おうとしているのか、私たち家族が理解するのは難しくなりました。おママも私たち家族の話す言葉が理解できません。意思の疎通はボディランゲージに頼っていました。
<日常生活>
自分で箸やスプーンを持って食事ができています。これは特別養護老人ホームに入所した現在でもできているそうです。
排泄はリハパンツを履いていますが、尿意便意を自覚できた時は自発的にトイレに行こうとします。しかし、トイレの場所が分からず間に合わないことも多いようです。
<貼り絵を始める前の活動>
おママは 若い頃から美術に興味があったが、女学校卒業から結婚までは銀行勤務。
独身時代に女子美術大学開催された芹沢銈介氏の短期講座で染色(型絵染)に興味を持ちました。その後数年、芹沢圭介先生のアトリエに通い「このはな会」に所属。銀行勤めの傍ら染色を習った。
ジジと結婚して、残念ながら染色は止めることになった。
その後、子育てが落ち着いた40代にYMCA革工芸学院にて革工芸を学んだ。
60代ごろから製本技術と装丁を習い、皮の工芸金箔とモザイク、マーブル染めを楽しんだ。
ジジ 昭和3年生まれ95歳。要介護2
定年までサラリーマン。第2の人生は保険の代理店に勤めて、最終的に代理店を引き継いだ。2017年89歳まで認知症の妻おママを見守りながら働き通し、引退。
現在はおママが特別養護老人ホームに入所したので、自宅で一人暮らし。娘たちが通いながら介護中。外出は車椅子、室内は歩行器がないと動けない。最近は椅子から立ち上がるのも一苦労で、介護用ベッドとポータブルトイレも使用中。
時々、初期認知症を疑われながらも、年相応のボケをかましながら頑張っている。
チャーコ 昭和41年生まれ ジジとおママの次女
当ブログの記事を作成している。時々イラストにも挑戦するが苦戦中⁉️
専ら更年期障害と緑内障と付き合いながら、自宅と実家を行き来しながら暮らしている。
当ブログにはアズキという一人娘(28歳)が度々登場していましたが、2022年末に結婚して最近の記事にはめっきり出番がない。デジタル系に強い。時々シビアな発言をする人物。
オネコ 昭和36年生まれ ジジとおママの長女
知性派でチャーコにとっては頼りにしている姉。ジジとおママの家の近くに住み、何かと気にかけてくれている。在宅仕事で結構忙しい。成人して家を出た息子と娘のところにはそれぞれ孫がいる。実家の玄関周りに植物を植えたり、バラを育てているというマメな性格。
*認知症の経過
<2005年〜2006年>
物忘れがひどくなり、家族が認知症かもしれないと疑い始めた。
<2007年>
物忘れ外来(老年科)への受診を説得〜診断へ
その後、アリセプトやメマリーを服用しながら暮らした。食事の支度は買ってきたものが多かったが、ソーセージと野菜が沢山入った野菜スープを毎日作っていた。
<2014年>
初めて介護保険の申請をし認定調査を経て要介護1。
この頃から時々家族が分からなくなっているのではないかと思われる。
<2015年〜2016年>
2015年の更新のための調査でも要介護1。
この頃、徐々に家族がわからなくなった。
2016年夏頃、それまで毎日のように作っていた野菜スープが作れなくなり、料理が完全にできなくなった。(時々、果物は剥いていた。)
この年の12月にブログ開始
<2017年>
私たちはおママに完全に家族である,親子であることを認識してもらうのを諦めた
おママの入浴拒否に悩んだ。
6月保険代理店退職 ジジは第二の人生に幕 チャーコはもっぱら介護と家事に専念
7月におママは要介護2になった。
ジジは初めての認定調査に臨み、要支援1に。
7月より二人でデイサービスに通うことになった。
<2018年>
2月 おママは長年続けたお帳面(簡易家計簿)をやめた。
5月おママはデイサービスで入浴ができるようになった。
<2019年>
おママ要介護3、ジジ要支援2。
しかし、この頃からジジは足腰が弱くなり、家で入浴が難しくなった。
すでにおママはデイサービスで入浴しているので、ジジも入りたい。
でも、要支援ではそれはできない。それで2019年秋に区分変更を申請した
ジジもデイで入浴できるようになりました。
<2020年>
コロナ禍の世を生き抜く
ジジ認定調査を延期
<2021年>
コロナのワクチン接種1回目2回目
おママは介護保険延長
<2022年>
1月 3回目のワクチン接種
6月 おママは緑内障で視野欠損が広がっていると判明。
7月 おママは認知症専門が以来へ行った。
アリセプトをやめてイクセロンパッチに
7月、ジジとおママ、チャーコはコロナ陽性になった。ジジは入院したが、おママとチャーコは自宅療養。
おママは8月に介護保険の区分変更を申請した。
これにより8月に要介護4になった。
9月に特別養護老人ホームを申し込んだ。
12月にカウントダウン待機者となり、健康診断を受け正式に入所が決まった。
2023年1月 おママは特別養護老人ホームに入所した。
*本日アップの貼り絵
とても綺麗な作品だと思います。
2019年10月の作品で、私がいない時に制作されました。そのため制作途中写真がありません。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。