(2018年4月12日 アルツハイマー型認知症の診断から約11年2ヶ月)
ブクマやTwitterでジジへのお見舞いのお言葉をいただきました。
ありがとうございます。
長くなりましたが、7月19日にジジが救急搬送された時の話も今回が最終回です。
絶望的な状態の中で、事態は少しずつ進展していきました。
*必死の任務遂行
交代した救急隊も懸命に医療機関の調整を行なってくれました。
その間、私はビニールのカーテンに開けられた処置用の切り込みから手を入れて、ジジの手や胸をさすっていました。
「23区内の病院(リスト)は2周目ですが、状況は変わってくるんで、何度でもかけ続けます。でも、都内の少し遠い地域も当たっても良いでしょうか?」
「構いません。お願いします。」
「設備的にエクモはなくて、酸素吸入までしか対応出来ない病院でも良いですか?」
「構いません。」
PCR検査をした病院に到着してから約4時間。その駐車場内で救急車の交代があって、まだそこから動けません。
ふと隊員は私に尋ねました。
「この病院には一度入れたのですか?」
「救急車の中で検査を受けただけ、診察もしてもらっていません。降りることはできませんでした。」
「そうですか…。もう,あまりに長いです。なんとしても自分達で決めたい。次の隊に引き継ぐなんて絶対にしたくないです。」
私は涙が出そうでした。
救急隊員は3人1組です。
1人は「東京ルール」のコーディネーターや保健所との調整役でしょうか?分かりません。
1人は機械的にリストをしらみ潰しにかけまくる。
もう1人は御自身の経験から感触の良かった病院に、詳しい状況を説明して理解を求めつつ説得を試みました。
その後も断られ続けるのを聞くのは精神衛生上キツかったです。でも、ストレッチャーの上で身動きができない上に、酸素吸入マスクをつけているジジはもっと辛かったと思います。時々,自分の手でマスクを外してしまい,その都度血中酸素濃度が低下しました。
*受け入れる
断られる場合、大抵瞬時に不可能の返事が来て通話は終わります。ところが、どうも隊員と問い合わせ先の病院との会話が続いているようです。
「そうなんです。とにかく15:00からです。こちらは最初の隊から交代している状況です。6時間以上入院先が決まらず、一度も救急車から降りることもできず,患者さんには大変な御負担になっています。付き添われているご家族も憔悴していらっしゃいます。なんとかお願いしたいです。はい是非、問い合わせていただけたらと思います。」
しばらくして返事が来て、更に問い合わせが続いていました。
そして22時50分。
「受け入れ可能になりました。先生が『俺は受け入れる、でも病棟のOKが出ないと入院は出来ないから待って』と言われていて,病棟からも了解を取り付けてくれました。」
「ありがとうございます。」
私は涙が出ました。地獄に仏とはこのことです。
ただし遠い西東京の中核病院でした。高速に乗って50分かかります。
「エクモの設備はなく酸素吸入と出来ることだけしかできないから、高度な延命は無理です。それでも良いですか。」
私に否やはない。
「お願いします。」
直ぐに隊員は受け入れ先病院に連絡を入れました。
「50分で着きますのでよろしくお願いします。付き添いの娘さんも一緒に向かいます。」
これで、あと1時間くらいでジジは入院できる。本当に嬉しかったです。
「お父さん,入院先が決まったよ。これから出発だから、もう少しがんばってね。」
するとジジも微かに笑い酸素マスクの中で
「あひがと、あひがと」
というではありませんか。
そして、病院に到着したのが午前0時でした。
処置室が空くまで待って、との事で15分ほど車内で待機し、ようやくジジは救急車から降りることができたのです。
*コロナなんだけど…
結局、私はジジと一緒に病院の処置室に入れてもらえました。
丁寧に身体を拭いてもらい、リハパンツも紙オムツに替えてもらっている時、私はジジが耐えてきた7時間がどれだけ苦痛であったか、目に見える形で実感しました。
そして、サッパリと処置着に着替えると、ジジはようやくホッとした表情を見せました。
「田中さんはこれからMRIを撮ってきます。先ほどの血液検査の結果が出たら診察になりますので、もう少しお待ちください。」
あ、診察にも立ち会えるんですね。(^O^)
MRIから戻ったジジは点滴を受け全体的に体に張りが戻ってきました。そして、酸素吸入は鼻からになったので、話ができるようになりました。
「本当にお疲れ様でした。大変でしたね。」
「あぁ、ひどい目にあった…。」
「でも入院できて良かったわ。」
「うん。」
それから暫く経ち、先生が見えて診察が始まったのが午前2時過ぎでした。
MRIの画像を見せていただきながら、先生のお話は分かりやすかったです。
「肺炎ですが、COVIT-19の特徴的な画像とは違い、肺の底部が重点的に白く、全体的には飛沫が飛んだような細かい影なのです。これは誤嚥性肺炎の特徴です。」
「え…コロナではないのですか?」
「最近の検査は精度が高いから、陽性反応が出たということはCOVIT-19に感染していることは確かだと思います。ただ、午前中に3回嘔吐した時に誤嚥が発生して、それから高熱が出たと考えても矛盾がありません。ただ、吐いたのはそれなりに体が弱っていたことが原因かもしれないしです。」
「もしかしたら、無症状感染者だったけど、誤嚥性肺炎によってコロナが陽性だったと分かってしまったのでしょうか?」
「それは分かりませんが、仮説としてはあるかも知れません。それにCOVIT-19の肺炎は後から急に悪化することもあります。今現在、COVIT-19だけで考えたら軽症です。
でも、重い肺炎ですから、入院は絶対には必要です。」
なんだろう。「中等症 Ⅱ」で搬送先がなかなか決まらなかったのにね。(^◇^;)
それでもコロナが軽症ならば、ジジはしっかり退院できそうです。(^O^)
「しかし陽性者ですから、感染病棟に入院して頂きます。ここはあまり歩き回ったりできないので刺激が少ないのです。だから、退院後、高齢の患者さんは歩けなくなっていたり、ボケたりする方もいらっしゃいます。」
うむ…。これは退院後の方がが大変かもしれません。
その後、病棟に行くジジを見送り、入院セットやオムツセットの申込みなどをしていたら、午前3時近くになってしまいました。
看護師さんに駅までの道を教えてもらいました。
「歩いて25分くらいですよ。始発は4時半です。」
「ゆっくり歩いて行きます。」
私は深く頭を下げて歩き始めました。
人っこ一人いない、車も滅多に通らない幹線道路の歩道を歩いているうちに、急に目眩を感じました。
私…、慌てて食べた昼ご飯の後、口にしたのは持参した水筒のお茶だけです。それだって,だいぶ前になくなっていました。
それで眩しいほど明るいコンビニに寄って,プロテインドリンクを買いました。
真夜中に多少匂う大きな洗濯物の袋を下げて、プロテインを飲みながら、よろけて歩くオバサン‼️
絶対、怪しいし不気味でしょう。(^◇^;)
幸い職質などは受けずに駅に辿り着きました。そして、始発で実家へ戻りました。
長い1日でした。
お世話になった2組の救急隊員の皆様、ありがとうございました。
そして、受け入れてくださった病院の皆様、ありがとうございます。
*その後
ジジは感染病棟で容体は安定しているそうです。ただ、オネコさんが看護師さんとの電話で聞いた話ですが…。
ジジは家に帰りたい病で看護師さんを困らせているようです。
それに夢と現実がごっちゃになったような発言があったり、どうして自分がここにいるのか、あの過酷な7時間のことは忘れているようです。
おママはというと、翌日から咳が出て、2日後には微熱。しっかりコロナウイルスの陽性者になりました。それでも高い熱にはならず軽症です。
私もおママと一緒に検査しましたが、不思議と陰性でした。それでも濃厚接触者ですから、只今おママと実家でお籠り中です。
長々と書いてしまいましたが、このような救急搬送も現実には起きています。
改めて、ワクチンを含めて、感染予防は重要だと思いました。
どうぞ、皆様お身体を大切になさって下さいませ。
*本日アップの貼り絵
2018年4月12日に制作された作品です。
古いデータを見ていましたら、この貼り絵を見つけました。
なんだか救急車のように見えました。(^O^)
(↓)おママが長年貼り絵に愛用してきた紅茶のティーバックを使っています。
星形はクラフトパンチで型抜きしました。(↓)
よく見るとベージュの三角形と菱形は布のようです。
(↓)関連作品です。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。