(2017年10月7日 アルツハイマー型認知症の診断から約10年8ヶ月
昔おママ自身が染めたマーブル紙や他の紙をクラフトパンチで型抜きして構成しています。)
*習慣的に身体で覚えた記憶?
短期記憶も長期記憶もヤバくなり、物を表す単語すら失くし始めているおママですが、なんとなく家で過ごしております。
そんなおママを見ていると、「習慣的に身体で覚えた記憶」というものも在るんだなと感じます。ただ、3つの記憶の中でどれから先に弱くなるかは個人差が大きいと思います。私自身、自分がどうなるか分かりませんしね〜。
たまたま、おママは「習慣的に身体で覚えた記憶」が比較的に他より残っているから、貼り絵をいまだに続けていられるのではないか?
そんな事を寝込んでいる間につらつら考えておりました。
例えば「出掛ける時は鍵を閉める」という動作も、おママの「習慣的に身体で覚えた記憶」です。
長年、おママはお財布に玄関の鍵を入れていました。出掛ける時は必ず自分でお財布から鍵を出して閉めます。帰ってきた時も然り。それは主婦として一家を切り盛りしてきたおママには当然な事です。そして家族の一員として必要な権利でもあったと思います。
アルツハイマー型認知症になって10年以上たちましたが、まだ、おママは出掛けたり帰宅した時に、玄関で鍵を取り出して自分で開け締めします。
それは揺るぎない行為で迷いがありません。
私達はそんなおママを尊重して鍵を持たせていました。
*先週のことです。
「おママの鍵、失くなったんだよ。」
突然ジジが私に言いました。
「いつ?昨日?買い物に行った時?」
「実はいつから失くなったのか分からないんだ…。」
気がついたのは前日だったようです。出掛ける時に財布から鍵を出そうとして、
「鍵がないわ❗️」
となったらしい。ジジが持っているから問題はないのですが、
何処で失くなったか?いつ失くなったか?やはり気になりますもの。
「いろいろ考えて見たんだが、外で失くしたとは思えないんだ。」
「じゃあ、何処にあるのかしら?」
「うむ……。」
ややしばらく経って、ジジは思い当たる事があったようです。
「缶の中か…。」
後期高齢者健康保険証や診察券など、大事なものを入れる缶があるのです。元はお菓子が入っていた缶でした。
「あー、あり得る。」
早速確認してみると、案の定でした。長年連れ添っているジジは流石です。
「なんでここに入ったのかしらね〜?」
「ただ、この鍵が何処の鍵か分からなくなっても、鍵は大事なものだから、ここに入れたんだね。おママはその点、まだマトモだね。」
例えば、お医者さんに行った後、缶に蓋が開いている時に、何かの弾みで財布から鍵が出てしまった。財布から離れた鍵は、もう何処の鍵か、ママには分からない。そんな情景も思い浮かびます。
大きく頷く私にジジはきっぱり言いました。
「鍵はこのまま缶に入れておこう。もう、おママには持たせるのはやめる。」
この日、おママは完全に家の鍵を失いました。
*それでも胸は痛む
この時の決断は間違っていないと思います。
実際、おママの症状は進行形ですから、危険や問題の種を事前に取り除く事は必要です。
ただね…。お買い物に行く度に玄関の前で財布を開き、
「あら、鍵がないわ…。」
そう言って困惑するおママを見ていると、胸がチクチク痛むのです。
せっかく残っている「習慣的に身体で覚えた記憶」を取り上げてしまったような…。気が咎めます。
これから、こういうことが増えていくのだろうな…。
そんな風に思うと切ないですが、大事なのは現実生活。
割り切っていかなければね…。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。