アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

圧力をかけあう。(^O^)

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(2018年10月14日  アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月)

 

娘の場合

おママが食器洗いをしていると、私はどうしても気になってしまいます。

だって、先日おママがまな板を洗っているところを見ていたら、

掌で1、2回こすって水で軽く流しただけでだったのですから。

 

最近、お鍋や油のきつい食器は、私が先に洗ってしまうので、おママが洗うのは食事の時に食卓に乗せた食器類だけです。

 それは⬇︎昨年考えた「バトンタッチ方式」ですね。

harienikki.hatenablog.com

 結局、おママが洗う食器は少なくなったのだから、放っておけば良いのです。後で気になるなら、後で私が洗い直せば良いはず。

(それでも、気になる…。)

おママがどんな風に洗っているのか?

普通の人は自分のやり方が決まっているのですが、認知症のおママの場合、その洗い方、洗剤のつけ方は日によって変わります。だから余計に気になるのです。

それで、おママが台所のシンクの前に立つと、私もその隣に張り付いていました。

すると、おママはなんか嫌な感じがしたようで、私の方をチラチラ見ながら食器を洗っていました。

(見張られていると思ったのね…。)

 

おママの場合

昼前に実家に着いたら、たいてい私は直ぐに 昼食の準備に取り掛かります。

私が何かを切り始めたら、鍋を火にかけたら、おママは台所にやってきて、

「そうね。そうするのね。」

野菜を茹でようものなら、まだだと言うのに、

「これ、もう良いでしょう」

と、わざわざ火を止めてくれます。まだなのよ。

兎に角、私の側に張り付いて、

「なるほどね、そうするのね、へぇー」

と、小さな声で、独り言のように呟き、まるで偵察しているようです。

私としては、やりにくいったらありゃしない…。(^O^)

 

お互い様です。

考えてみれば、おママだって食器を洗っている時に、私に見張られてはやりにくいでしょう。

結局、お互い様でした。

じっと側で相手のやる事を見ているという行動は、おママも私も動機は同じだと思います。それはこんな事でしょう。σ(^_^;)

(ちょっと信用できない…。)

 

私は、おママがもうあまり衛生面に気を配れなくなったのを知っているから、大丈夫なのかと心配になりました。

 

これは私の想像ですが…。

おママは、誰か良く分からないけど、自分の台所に人が立っていて、何か調理をしているようだ。もしかしたら、時々くる人なのかもしれない。でも、何をされるか分からないから心配になりました。

当たらずも遠からずという感じでしょうか。(^O^)

 

(おママに見張られて、感じが悪かったわ。)

だから、今月に入ってからは、なるべく私自身はおママの食器洗いを見張らないようにしました。

 

でも、おママには見張られ続けていますわ…。(^O^)a

 

本日アップの貼り絵

以前にもご紹介した事がある化粧品メーカー「ハーバー」の冊子の表紙を使っています。

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他にも⬇︎の千代紙も使用しています。

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 ⬇︎ハーバーのサイトです。

www.haba.co.jp

⬇︎同じ紙を使っていいます。

harienikki.hatenablog.com

 

harienikki.hatenablog.com

 

 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

カップヌードルの思い出

おママはf:id:harienikki:20190319223628j:plain

(2018年11月16日  アルツハイマー認知症の診断から約11年9ヶ月)

 

まんぷく』 観てます。

早いもので、今期の朝ドラも佳境に入ってまいりました。

気が付けば今週と来週で終わりなんですね。

安藤サクラさんは気になる女優さんだし、昨秋から楽しみに観ておりました。

チキンラーメン開発を経て、カップヌードルがもうすぐ完成しそうです❣️

あ、ドラマでは「まんぷくラーメン」と「まんぷくヌードル」ですね。(^O^)

私は脳みそが単純なので、ドラマを観ていると無性にカップヌードルが食べたくなります。そんな人って多いのかしらね…。σ(^_^;)

 

 ジジには馴染みがなかった。

ジジはカップ麺をほとんど食べた事がないようです。

「そうなの⁉️」

本当に食べていないのか?  食べたとしても覚えていないくらい以前なのか?

昭和一桁世代ですし、興味がなかったのか、馴染めなかったのでしょう。

 

考えてみれば、ジジは袋入りのインスタントラーメンを食べても、カップ麺を食べたところを、私は見たことがありません。

 

そのジジ…。

ドラマを観ながら、興味津々です。

「今も容器は発泡スチロールなのか?」

「本当に具に卵が入っているの?」

でも、あまり食べる気は無いようです。(^O^)

 

おママ vs カップヌードル

そう言えば、おママも昔からカップ麺より袋入りインスタントラーメン派でした。

私が物心ついた頃から、おママは袋入りインスタントラーメンを片手鍋で作っていました。それも野菜と卵入りです。それをおママは美味しそうに啜っておりました。

「お野菜や卵が入らないと栄養のバランスが良く無いでしょ‼️」

これはおママの持論です。正論ですわ…。反論の余地もない…。

 

せっかくおママが考えてこしらえてくれたインスタントラーメンですが、

私は子供心に、いつも思っていました。

(野菜がほんの少しなら良いのに。苦手な卵は入れて欲しくない。なんなら殆ど麺だけのラーメンを食べたい。)

 

カップヌードルが発売されたのは1971年でした。当時、私は5歳です。

幼い私が直ぐにその存在に気付く事はありませんでした。でも、いつしか噂が耳に入って…。(^O^)

カップヌードルを食べてみたいーーー!」

 

小学校に上がる前か後か記憶は定かではありませんが、私はおママに強くねだってみました。しかしおママはなかなか首を縦には振ってくれませんでした。

 

「1個百円なんて高すぎるわよ❗️」  ←ドラマで武士の娘が同じことを言ってたわ。

「作る時に、何も具を入れられないからダメよ。」

「チャーコは食が細いから、1人で1個食べられないでしょう❗️」

 

まぁ、子供には反論の余地もありませんでした。幼い私は何度も挫けそうになりましたよ。

でも、私は愚図り続け、ねだってねだって、ようやく1つ買ってもらえました。

 

その容器を始めて手にした時、私の胸は高鳴りました。

開けてみて、卵やエビや、よく分からない肉の様なものを見た時、ちょっと感動しました。

お湯を注いでからの3分が何と待ち遠しいことか❣️

開けて柔らかくなった具と麺を見た時は、ビックリでした。

 

容器から直接食べようとしますと…。

「熱々だ…。」

食べる以前の問題でしたね。(^O^)

おママは我が意を得たりとばかりに、私から容器を取り上げて言いました。

「やっぱり、この容器は子供には危ないわよ。倒してこぼしたら火傷するわ。」

「…………。」

どうするのかと、箸を持ったままの私が見ていると、おママは丼を食器棚から出しました。

そして、ザーーーーーーーーーッ。(°_°)

カップヌードルを全部移し替え、更に半分を他の食器に移しました。

「これなら熱過ぎないわ。全部食べられないでしょうから、半分こよ。お上がりなさいな。

ショッキングな光景を目の当たりにして、私はちょっと悲しかった…。

だって、せっかく最初からカップに入っているインスタントラーメンなのに、

丼に入れ替えたら意味ないじゃない…。(°_°)

 

そして、おママは食後に言いました。

「野菜と卵を入れて作ったラーメンの方が美味しいわね。」

私にはカップヌードルはとても美味しかったのですが、反論する言葉を知りませんでした。

 

 そして…、

いつか、あのカップヌードルの容器から、1人で全部食べられるようになりたい❗️

強く心に誓った初体験でした。(^O^)

 

www.nissin.com

 

本日アップの貼り絵

昨年11月の作品です。おママとクラフトパンチで遊んでみました。

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 ⬆︎おママは構成をどうしようか悩み中。(^O^)

 ピンクの桜柄はピンク地に白いドット柄の折り紙を型抜きしました。

何度かご紹介していますが、使ったのは紅茶のお店  TWG の包装紙です。この包装紙はリバーシブルなんです。⬇︎

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www.tokyugf-twg-tea.com

 

 

 ⬇︎本日アップの貼り絵はこの貼り絵と一緒に制作しました。

harienikki.hatenablog.com 

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

健康診断狂騒曲 後編

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(2019年2月6日  アルツハイマー認知症の診断から約12年)
 

harienikki.hatenablog.com

 前回の続きです。ジジとおママは年に一度の健康診断を受けておりました。

 

指示が理解できない。

次は心電図。

どなたもご経験がおありだと思いますが、心電図を取るときは素足になる必要があります。靴下を脱いだだけで素足になれるなら、検査着に着替えるのは上半身だけで良いはず…。しかし高齢女性の常として、おママも下半身は重装備です。

ガードル、タイツ、更に足先は靴下2枚…。(^O^)

しっかり上下ともお着替えが必要になりました。

「えーっ、どうして~?」

「心電図を測る為にお着替えが必要なの。出来る?」

「出来るわよ…。」

しかし、納得してないから、余計に動作が鈍いのですね。見るに見かねて、私が「お手伝いします!」と強引に着替えさせました。

 

「芙貴子さん、横になって下さいね。ちょっと冷たいけど、すみません。」

看護師さんに言われて横になるものの、手足や胸に器具を付けられて、おママはどうも落ち着きません。

「冷たい…。」(¬_¬)

「お母さん、すぐ終わるから我慢してね。」(^_^;)

不安顔のおママに看護師さんは言いました。

「芙貴子さん、手足を動かさずにダランとしていて下さいね。」

 

計測開始。しかし、おママは直ぐに足を動かし、両手を胸のあたりで組みました。

当然の事、心電図の波形はエラーとなり、看護師さんは用紙をビリッと切って新しくしたのです。

「芙貴子さん❗️手は真っ直ぐにして力を入れないで下さいね。足も動かさないで。」

 

計測開始。しかし、おママは急に掌を握りしめて足をバタつかせました。

「お母さん、動かないで…。」

すると、おママは私を見て、にっこりと笑いました。(°_°)

当然、今回もエラー。看護師さんはビリッと用紙を切りました。

「芙貴子さん‼️動かないで下さい。」

 

私はおママが気が散るといけないので、カーテンに身を隠しました。

しかし、3度目の正直とはなりませんでした。

カーテンの隙間から様子を伺っていますと、おママは直ぐに手足を動かすのです。多少イラついている看護師さんは心電図から用紙を切り取りました。

その激しいビリビリッという音に、私は申し訳なくて肩をすぼめました。

 

しかしながら…。「動かないで下さい」と言われると、おママは動くのです。

もしかして、「動かないで下さい」を「動いて下さい」と誤解しているのかしら?

看護師さんはおママが認知症であることを知っています。だから仕方がないと思ってくれます。でも、これって認知症でなかったら、かなりの意地悪ばあさんですよね。

(^O^)

 

過保護なムスメ⁉️

その後、体重身長を測るおママを見守りつつ、私は「動かないで❗️」と声掛けをしました。

先生に促されておママが1人でレントゲン室に入る時も、先生の指示通りに出来るのか心配でたまりませんでした。

「お母さん、私はレントゲン室に入れないから、先生の言う事をよく聞くのよ…。」

そう言いながら、私は自分が何者なのかと思いました。

(娘が小さい頃はこんな気持ちだった…。)

その当時、私は「過保護な母親」と言われていましたわ。

 

 全て検査が終わり、手際よくおママを着替えさせて、一瞬ホッとしました。

 

でも、重大な(笑)懸案事項が残っておりました。そうです。採尿です❗️

恐らく、去年まではコップを渡して「おしっこを取って来てください」と言われれば出来たのでしょう。でも、今のおママの記憶力では、かなり怪しい。

トイレの個室に入る前に言って聞かせても、おママは便座に腰掛けたくらいで忘れそうです。

(仕方ない。ここはサポートが要るわ。)

「お母さん失礼します。おしっこを取らなければならないから、一緒に入りますよ。」

「はいはい。」

しかし…、まぁ…、私はコップをあてがうも、上手くお小水を受けられなかったんですね…。チャーコ、過保護の末に失敗の巻です。(ToT)

すると、おママが急に語気荒く言いました。

「ダメじゃないの❗️かしてごらん❗️」

そして、私からコップを取り、上手に自分でやってのけました。

おママ…お小水を止めてたのね…。えらい…。

「ほら、ごらん。」

採尿のコップを看護師さんに渡そうとトイレを出たところで、私はジジと看護婦さんの会話を立ち聞きしてしまいました。

「芙貴子さんはもうお着替えができなくなってしまったんですか?」

「あ…、いや…、出来るんだが…。」

確かに、時間をうんとかければ、まだ出来るんです。でも、こんな場合は時間かけていられませんよね…。

私は何だか過保護を咎められたような気がして滅入ってしまいました。

しかも、当のおママには「ダメじゃないの❗️」と叱られたし。(°_°)

なんでしょう。この日の私は完全に空回りしていました。

 

結果は  (^O^)

後日結果が出ました。

予想通り、おママはコレステロールの数値が高く、ジジは低過ぎです。

血糖値は2人とも正常な範囲。他、ジジは貧血気味です。

ジジの心電図の結果のところに「右脚ブロック」とありましたが、取り立てて何も言われていないので、まだ治療の必要のない段階のようです。

 

それにしても、おママは指示通りに検査を受けるのが難しくなってきたようで、来年はもっと大変になるでしょう。

おママが何かの病気になって入院したらと考えると、目眩がしそうです。

そうならないためにも、健康診断は受け続けてもらいたいと思いますが、

今後、どうなることやら…。(^。^)

 

本日アップの貼り絵

広告の写真を使っているようです。

 

 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

 

健康診断狂騒曲 前編

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(2019年2月3日  アルツハイマー認知症の診断から約12年)

 

今日いくよ。

2月4日午後の事です。

この日は天気で暖かかったからでしょうか?  ジジはなんだか張り切っていました。

 

「薬はなくなったし、年度末までだから今日、おママと一緒に行ってくるよ。」

 

ジジとおママが住んでいる所では、毎年「ご長寿検診」という自治体が助成する高齢者対象の健康診断があります。これは少しの自己負担で、血圧、血液検査、心電図、レントゲン、尿検査を、近所のかかりつけ医のクリニックで受けられるのです。

ありがたい事ですねぇ。

 

「私も一緒に行きましょうか?」

「大丈夫だよ。」

 

夕食作りをする私を気遣ってくれているようにも見えますが、

ジジは何処と無く軽く考えていないか…?

私は早めに煮物を作って、再度確認してみました。

2人ともレントゲンや心電図があるようです。

 

「お父さんが心電図やレントゲンを撮っている時、おママはどうしているの?」

「一人で待ってるよ。」

「どこで?」

「診察室だったかな?待合室だったかな?」

 

一年前と現在では、おママは大違いです。今はジジが見えなくなって1人になったら不安で不安でおママはどうなるか分かりません。

 

「待合室におママ1人にするのはムリ❗️」

 

それに、おママも着替え等あるのだから、1人でやっていたらものすごく時間がかかるでしょう。

それで、私もお供する事になりました。

 

うっかりチャーコ

出掛ける用意をしていると、何気におママがトイレに行くのが見えました。私はちゃんと済ませるおママを偉いと思いました…。

そして、おママが玄関で再び、「おトイレに行くわ」と言うのを見逃してしまいました。つまり…、健康診断へ行く前に、おママは2度もトイレに行ったのです。

 

「尿検査も有るのに❗️」

 

ジジに言われて大失敗に気がつくんだから、私もヤキが回ったものです。

そこでブツブツ言うおママにコーヒーカップ一杯の白湯を強引に飲んでもらい、出発しました。

 

クリニックに着くと、空いていたので直ぐに始まりました。

まずは…、当たり前のように看護婦さんから紙コップを渡されました。

「芙貴子さん(おママ)のお小水をお願いします。」

私はおもわず目を泳がせていたようです。看護婦さんに怪訝な顔をされました。

 

「あの…、うっかり出掛けに2度もトイレに行きまして…、それで慌ててカップ1杯の白湯は飲ませたのですが…。今は絶対に出ないと思います。」

 

「それならコップはお預けしますので、検査が終わったら採尿して下さいね。」

「は、はい…。」

 

検査終了まで、ものの30分くらいでしょう…。

自分の身体じゃないから何とも言えませんが、飲んだ水分が直ぐにお小水として出るとは思えませんでした。

因みにジジは自分でコップを受け取り、サッサと済ませていました。

 

診察室にて

健康診断はジジから先に受けました。

そして、少し待合室で待機し、直ぐにおママの番になりました。

まずは血圧測定から。

上127下74。

おママは血圧の薬を飲んでいますが、数値的には優秀だと思います。掛かり付けの先生からも 褒められて、嬉しそうでした。(^O^) そして採血。

 

それから先生は言いました。

「太郎さん(ジジ)のことですが…、ここ5年で3キロ痩せました。」

「ほぅ…、5年で3キロですか…。」

(私は5年で3キロ以上は太ったわ。)

 

私は一瞬放心状態になりましたが、気を取り直しました。

「私の印象ではここ数年で、身体が急に小さくなったように思います。3年で3キロくらいかと思いました。結構食べてはいるんですが…。」

 

そうですね。これは筋肉が落ちたからだと思います。それでお二人は食事をどの様に摂ってますか?」

私は先生に聞かれた事が理解できませんでした。どのようにと言ったって…。

 

「2人とも食事は自分で箸を使って食べていますけど…。」

 

明らかに物分かりの悪い私に、先生は呆れているようでした。

「そうではなく、献立など食事の管理はどうしていますか⁉️

本人達に任せて、好きなように食べさせていませんか?」

そういう事か…。

「土日と毎日の朝御飯は本人達に任せていますが、月水金の昼と夜は私が作り、火木の昼はしてデイサービスで食べ、夜は姉(オネコ)が作って届けています。」

「土日くらいなら良いですが、筋肉が落ちないように、日頃から動物性タンパク質を多く摂るようにした方がいいですよ。」

「はい。しかし、同じように食べていると母(おママ)が太ってしまいます。」

「そうなんですよね…。」

 

食べ過ぎちゃいけないおママ。

特にタンパク質を多めに摂らなきゃといけないジジ。

 

実際、盛付け段階であからさまに量や品数に差をつけると、おママは「どうして?」と気になり、何度も私に尋ねるでしょう。しかし、説明を聞いても、たちまちに忘れてしまうのです。そして「どうして?」の無限ループにハマってしまうと、食事どころではなくなりそうです。(¬_¬)

 

そして、次なる検査の前に…。先生は言いました。

 

「太郎さん(ジジ)が先に心電図を取るので、準備が整うまで待合室で待っていて下さい。」

やっぱりね。

案の定です。ジジが心電図やレントゲンを撮っている間、おママは待合室で待機となりました。

うっかり屋の私ですが、やはり付いて来て良かったと思いました。

 

待合室のおママは落ち着きがなく、「なんでここにいるの?」「お父さんは?」を繰り返していましたから。(^O^)

 

何だか波乱含みの健康診断ですが、後編に続きます❣️

 

 

本日アップの貼り絵。 

 以前も登場している、阿部蒲鉾店の包装紙を使いました。

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www.abekama.co.jp

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます・

春のツバメ

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(2019年2月6日 アルツハイマー認知症の診断から12年)

 

チャーコ今日は腰痛

ジジは相変わらず足腰痛いし、最近では膝も痛いそうです。

でも、少し暖かくなって結構元気です。

おママも今日(3月13日)も冴えているというのか…、朝から貼り絵に勤しんでおりました。こちらも元気印です。

ところが私は普段より腰痛がひどく、起きているのも辛いので、今夜は写真中心の内容となります。

 

 頭はオープン戦で一杯⁉️

そんなこんなで気分は絶不調ですが、貼り絵はなるべくスッキリとしたデザインを選んでみました。

以前も登場した京王百貨店の包装紙を使った作品です。

この包装紙は飛翔するハトのデザインなのですが、

おママが切り抜いて配置してみますと、「ハトなのか⁉️」と言いたくもなります。

私は花のようにも見えるんですもの。(^O^)

 

そこで何気に…、私は娘のアズキに聞いてみました。彼女は元の包装紙を見ていないし、先入感が無くて好都合なのです。

「ねぇー。この貼り絵って、どんなイメージかしら?」

すると…、アズキは何の迷いもなく、

「ツバメ‼️」

「………。」

鳥には見えるのね。

「確かに鳥なんだけど、ハトなのよ。」

「へぇー、ツバメっぽく見える。」

「あんたの頭の中の鳥ってツバメしかないんじゃない?」(^O^)

アズキは熱烈なヤクルトスワローズファンです。

スズメだってツバメに見えるレベルだと思いますが、

「それは絶対ない‼️」

と、そこは激しく否定していました。現在、アズキはオープン戦の動向で頭がいっぱいのようですよ。( ̄▽ ̄)

 

アズキじゃないけれど…、この貼り絵って、だんだん飛んでいくツバメのように見えてくるから不思議。

 

春のツバメですね。

 

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www.keionet.com

⬇︎この包装紙を切り抜きました。 

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 ⬇︎仲間です。

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おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

あの日を思う

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(2019年 1月25日アルツハイマー認知症の診断から約11年11ヶ月)

 

3月11日

365日、全ての日が毎年巡ってきます。

しかし、あの8年前から、特別な日になりました。

 

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

被害に遭われた方々へ心からお見舞い申し上げます。

 

避難生活をおくられている方は、まだ5万人余りいらっしゃいます。(NHKのニュースで聞きました。)まだ終わっていない…。そう思います。

 

再び掲載させていただきます。

昨年も災害が多い年でした。避難所での生活を余儀なくされる方も多かったと思います。若い人でも大変な避難所生活の中で、認知症の方やそのご家族のことを考えると、いつも自分達だったら…、と他人事ではなく思います。

昨年の西日本豪雨の後、2018年7月15日に更新した⬇︎記事 で、私はその事を考えてみました。

harienikki.hatenablog.com

 その時、調べていたら、東日本大震災の時の経験や記録を元に作成された『避難所でがんばっている認知症の人・家族等への支援ガイド 』を見つけました。

今回、再びご紹介します。(多分、大きな災害のたびに私は貼りそう…。)

 

⬇︎このページに『避難所でがんばっている認知症の人・家族への支援ガイド』のPDFがありました。イラスト付きで具体的な内容です。とても、分かりやすいと思います。 

www.dcnet.gr.jp

https://www.dcnet.gr.jp/pdf/earthquake/support_guide2.pdf

⬆️こちら

https://www.dcnet.gr.jp/pdf/earthquake/support_guide2.pdf

⬇︎このページにカラーの『避難所での認知症の人と家族支援ガイド』のPDF画像が掲載されています。

www.dcnet.gr.jp

https://www.dcnet.gr.jp/pdf/download/support/research/center3/200/200.pdf

⬆️こちら

https://www.dcnet.gr.jp/pdf/download/support/research/center3/200/200.pdf

 

思い返してみれば…

昨日は久しぶりに、ジジと8年前の震災の日について話しました。

当時、ジジと私はまだ一緒に仕事をしていて、 おママを実家に1人きりにして出掛ける事もありました。

おママはアルツハイマー認知症の診断からまだ4年。今とは異なり、ジジと私が出掛けていても、割と冷静でした。

行き先と帰宅時間をメモしたノートを何度も見返しては、納得していたと思います。そして、1人の間はひたすら貼り絵に没頭していました。

 

だから、あの震災の発生した日に、ジジと私が顧客訪問をしていても、何ら不思議はなかったのです。 

もし、そうだったなら、交通機関がストップして、ジジは夜遅くか、翌朝まで帰れなかったでしょう。この日はオネコも外出していましたから、おママは午後から翌朝まで、たった1人で夜を越さなければならなかった…。

 

「ちょっとした巡り合わせの問題だけど、そうならなくて良かった。」

ジジの言葉に私は大きく頷きました。

 

東日本大震災の時、東京は全体としては大きな被害はありませんでした。

実家も我が家もそうです。でも、築80年以上になる実家の建物はバタバタと音を立てて揺れました。もう少し長く揺れていたら、倒壊したと思います。

「ここで死ぬのか…。」

そう思うほどのl強い揺れと、その後の原発事故などによる恐怖と不安感を、

私は一生忘れません。

 

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本日アップの貼り絵

 仙台の阿部蒲鉾店の包装紙を使っています。おママはこの包装紙を随分前から保管していたようです。もしかしたら今はリニューアルされて、違うデザインになっているかも知れません。

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⬇︎阿部蒲鉾店HPです。

 https://www.abekama.co.jp

 

おママの貼り絵を見て下さりありがとうございます。

74年前の夜に (番外編)

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(2019年1月12日 アルツハイマー認知症の診断から約11年11ヶ月)

 

今回は完全なる番外編です。

3月10日は74年前に東京大空襲があった日です。

もう随分昔になってしまったからでしょう。

最近は、あまり東京のテレビでも取り上げられなくなってしまいました。

 

この空襲は東京東部への空襲でした。そして、私が今現在住んでる地域も、情け容赦のない焼夷弾によって、ほぼ消失したと義理祖母から聞きました。

そして死者・行方不明者10万人という、一度の空襲としては史上稀に見る被害。

米軍はこの大成功以後、全国の主要都市に大規模な空襲を実行していった事などを考えると、私としては風化させたくないという思いもあります。

それで、番外編として、少し書いておこうと思います。

 

義理祖母の話から

 昨年、私は下記の記事⬇︎で、東日本大震災東京大空襲に触れました。 

harienikki.hatenablog.com

 この記事の中で、私は次のように書きました。

「まだ若い祖父母は大空襲の最中、地域の人と鉄筋コンクリートの小学校に逃げ込みました。幼い子供を連れての事です。男の人たちは、熱風を避けようと窓や戸に目張りをしながら、必死に飛んで来た火の粉を消していたそうです。幸い校庭には十分な広さがあり樹木に囲まれていたので、直接焔は届きませんでした。一家は九死に一生を得たそうです。

    しかしながら、降り注ぐ焼夷弾で、外は地獄絵図だったとか。」

 

東京大空襲については、子供の頃から話には聞いていましたが、それでも、

「核爆弾でもなく、2時間ほどの空襲で死者・行方不明者10万人って、本当なのかな?」

と思っていました。

 

今回調べてみると、総務省の下記サイトに次のような文があります。本当なのですね…。

 「 昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有(みぞう)の大被害を被った。東京大空襲と呼ばれるこの空襲は、夜間に住宅の密集地を目標にして、約1700トンもの焼夷弾を投下し、根こそぎ焼き尽くすというものであった。」

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_12.html

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_25.html

⬇︎こちらは95000人以上

tokyo-sensai.net

 

激しい炎熱から逃れるために、多くの避難民が隅田川に入りましたが、焼夷弾が川にも投下され、彼等の頭や衣類に着火して、折からの強風により川の上を炎が走った…。このような証言を読んだこともあります。

普通、水に浸かれば火は避けられそうです。なのに助からなかった。

人的、物的被害が甚大になった理由の1つは、焼夷弾が使われたからだと思います。

今回は焼夷弾について考えてみました。

 

焼夷弾とは

通常の爆弾は爆風や飛散する破片で破壊するものですが、焼夷弾は焼夷剤(発火性の薬剤)を装填した爆弾です。攻撃対象を効率的に確実に焼き払うために使用されました。

当時の日本家屋は殆どが木造です。米軍にとって、焼夷弾は日本本土への空襲に最も効果的な爆弾だったと言えるでしょう。

この爆弾は地面に刺さるように落下した後、激しく炸裂します。それと同時に大量の焼夷剤が撒き散らされ、周辺の四方八方、一斉に火災を発生させる事ができるのです。

 

東京大空襲やその後の各地の空襲によく使われたのが「M69」という油脂焼夷弾でした。ナフサとパーム油を混合したゼリー状のナパーム剤が焼夷剤として装填されていました。

火炎の高さは3mほどだったとか。炸裂した時に飛び散った炎が既に油を含んでいるので、火の勢いも強く、水や砂を掛ける・炎を叩くという方法では消火できませんでした。川に落下して炸裂しても炎は消えにくかったのでしょう。

 

 「M69」1発の大きさは、直径8cm、長さ50cm、重さ2.4から2.7キログラムの小型の爆弾です。しかし、実際は単体ではなく「M69」は38本を子爆弾として集束し、クラスター爆弾(親子爆弾)として投下されました。そして、上空700m付近でバラバラとなり、垂直に落下しました。これは確実に家屋などの屋根への貫通力を高めるためで、落下する時の姿勢を垂直に保つ細長いリボンが付けてありました。これに分離する時の火薬で火がつき、あたかも「火の雨」ように目撃されました。

 

焼夷弾はとても炎が広がりやすく、極めて消火しにくい。そして長く燃え続ける性質を持った爆弾だったのです。

 

 ⬇︎こちらを開いて下へスクロールすると、『アニメーション解説  焼夷弾』という動画があります。焼夷弾の仕組みがよく分かります。

www.asahi.com

 ⬇︎「焼夷弾」で検索するとよく見かける動画。YouTubeによると、昭和13年に撮影された焼夷弾の実験映像のようです。恐らく1発分の威力なのではないかしら?

これが一気に38本頭上から降り注ぐと思うと、ゾッとします。

m.youtube.com

 他の要因

被害が甚大になった要因は他にもありそうです。

*深夜の木造家屋の密集地に大量の焼夷弾が投下された。

*この夜は強風で類焼、延焼が広がった。

*川が縦横にあって、安全な避難場所に辿り付けなかった。

*空襲警報が鳴る前に爆撃が始まった。

*常日頃、焼夷弾など恐れず、空襲があったら逃げずに消火するする様にと政府が言っていた。(軍は実験をしていて、焼夷弾は消火不可能と分かっていたのに!)

その為、防火訓練でやる様な水掛け、砂掛け、火叩きなどの消火活動を行った人も多かった。結果的に、彼らは消火できないまま逃げ遅れた。(なんてこった!)

 

平和な街並

昨日(3月9日)、所用があって私は浅草に行きました。

浅草寺の周辺はいつもながらの大層な賑わいで、海外からの観光客が大勢歩いていました。(^。^)

東京大空襲の時に、浅草寺は本堂も塔も消失してしまいました。現在のは昭和33年の再建だそうです。

(この界隈も74年前の明日、焼け野原になったのね…。)

そんな事をつらつら思いつつ、昔おママと入った老舗の甘味屋さんに行列ができているのを横目で眺めながら、私は帰途につきました。

 

つくづく、平和って、大事だと思います。


*本日アップの貼り絵

 こちら、化粧品メーカー「HABA」の通販冊子『ハーバーの美容手帳 11月号』の表紙です。大まかに切ってしまって状態です。⬇︎

今回アップした貼り絵の中心にいる笑顔さんも見えていますね。⬇︎

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www.haba.co.jp

 

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笑顔さんの周囲に展開するブルー系のストライプ?は⬆︎こちらでも使われていました。新聞広告から切り出したと考えられます。ビルなど建造物の写真だったのではないかと…⁉️

ピンクの「Hand To Heart」と書かれている紙は何の封筒の内側なのか?不明ですが。

 

 ⬇︎お仲間です。 

harienikki.hatenablog.com

 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。