(2019年 1月25日アルツハイマー型認知症の診断から約11年11ヶ月)
3月11日
365日、全ての日が毎年巡ってきます。
しかし、あの8年前から、特別な日になりました。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
被害に遭われた方々へ心からお見舞い申し上げます。
避難生活をおくられている方は、まだ5万人余りいらっしゃいます。(NHKのニュースで聞きました。)まだ終わっていない…。そう思います。
*再び掲載させていただきます。
昨年も災害が多い年でした。避難所での生活を余儀なくされる方も多かったと思います。若い人でも大変な避難所生活の中で、認知症の方やそのご家族のことを考えると、いつも自分達だったら…、と他人事ではなく思います。
昨年の西日本豪雨の後、2018年7月15日に更新した⬇︎記事 で、私はその事を考えてみました。
その時、調べていたら、東日本大震災の時の経験や記録を元に作成された『避難所でがんばっている認知症の人・家族等への支援ガイド 』を見つけました。
今回、再びご紹介します。(多分、大きな災害のたびに私は貼りそう…。)
⬇︎このページに『避難所でがんばっている認知症の人・家族への支援ガイド』のPDFがありました。イラスト付きで具体的な内容です。とても、分かりやすいと思います。
https://www.dcnet.gr.jp/pdf/earthquake/support_guide2.pdf
⬆️こちら
⬇︎このページにカラーの『避難所での認知症の人と家族支援ガイド』のPDF画像が掲載されています。
https://www.dcnet.gr.jp/pdf/download/support/research/center3/200/200.pdf
⬆️こちら
*思い返してみれば…
昨日は久しぶりに、ジジと8年前の震災の日について話しました。
当時、ジジと私はまだ一緒に仕事をしていて、 おママを実家に1人きりにして出掛ける事もありました。
おママはアルツハイマー型認知症の診断からまだ4年。今とは異なり、ジジと私が出掛けていても、割と冷静でした。
行き先と帰宅時間をメモしたノートを何度も見返しては、納得していたと思います。そして、1人の間はひたすら貼り絵に没頭していました。
だから、あの震災の発生した日に、ジジと私が顧客訪問をしていても、何ら不思議はなかったのです。
もし、そうだったなら、交通機関がストップして、ジジは夜遅くか、翌朝まで帰れなかったでしょう。この日はオネコも外出していましたから、おママは午後から翌朝まで、たった1人で夜を越さなければならなかった…。
「ちょっとした巡り合わせの問題だけど、そうならなくて良かった。」
ジジの言葉に私は大きく頷きました。
東日本大震災の時、東京は全体としては大きな被害はありませんでした。
実家も我が家もそうです。でも、築80年以上になる実家の建物はバタバタと音を立てて揺れました。もう少し長く揺れていたら、倒壊したと思います。
「ここで死ぬのか…。」
そう思うほどのl強い揺れと、その後の原発事故などによる恐怖と不安感を、
私は一生忘れません。
*本日アップの貼り絵
仙台の阿部蒲鉾店の包装紙を使っています。おママはこの包装紙を随分前から保管していたようです。もしかしたら今はリニューアルされて、違うデザインになっているかも知れません。
⬇︎阿部蒲鉾店HPです。
おママの貼り絵を見て下さりありがとうございます。