アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

74年前の夜に (番外編)

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(2019年1月12日 アルツハイマー認知症の診断から約11年11ヶ月)

 

今回は完全なる番外編です。

3月10日は74年前に東京大空襲があった日です。

もう随分昔になってしまったからでしょう。

最近は、あまり東京のテレビでも取り上げられなくなってしまいました。

 

この空襲は東京東部への空襲でした。そして、私が今現在住んでる地域も、情け容赦のない焼夷弾によって、ほぼ消失したと義理祖母から聞きました。

そして死者・行方不明者10万人という、一度の空襲としては史上稀に見る被害。

米軍はこの大成功以後、全国の主要都市に大規模な空襲を実行していった事などを考えると、私としては風化させたくないという思いもあります。

それで、番外編として、少し書いておこうと思います。

 

義理祖母の話から

 昨年、私は下記の記事⬇︎で、東日本大震災東京大空襲に触れました。 

harienikki.hatenablog.com

 この記事の中で、私は次のように書きました。

「まだ若い祖父母は大空襲の最中、地域の人と鉄筋コンクリートの小学校に逃げ込みました。幼い子供を連れての事です。男の人たちは、熱風を避けようと窓や戸に目張りをしながら、必死に飛んで来た火の粉を消していたそうです。幸い校庭には十分な広さがあり樹木に囲まれていたので、直接焔は届きませんでした。一家は九死に一生を得たそうです。

    しかしながら、降り注ぐ焼夷弾で、外は地獄絵図だったとか。」

 

東京大空襲については、子供の頃から話には聞いていましたが、それでも、

「核爆弾でもなく、2時間ほどの空襲で死者・行方不明者10万人って、本当なのかな?」

と思っていました。

 

今回調べてみると、総務省の下記サイトに次のような文があります。本当なのですね…。

 「 昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有(みぞう)の大被害を被った。東京大空襲と呼ばれるこの空襲は、夜間に住宅の密集地を目標にして、約1700トンもの焼夷弾を投下し、根こそぎ焼き尽くすというものであった。」

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_12.html

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_25.html

⬇︎こちらは95000人以上

tokyo-sensai.net

 

激しい炎熱から逃れるために、多くの避難民が隅田川に入りましたが、焼夷弾が川にも投下され、彼等の頭や衣類に着火して、折からの強風により川の上を炎が走った…。このような証言を読んだこともあります。

普通、水に浸かれば火は避けられそうです。なのに助からなかった。

人的、物的被害が甚大になった理由の1つは、焼夷弾が使われたからだと思います。

今回は焼夷弾について考えてみました。

 

焼夷弾とは

通常の爆弾は爆風や飛散する破片で破壊するものですが、焼夷弾は焼夷剤(発火性の薬剤)を装填した爆弾です。攻撃対象を効率的に確実に焼き払うために使用されました。

当時の日本家屋は殆どが木造です。米軍にとって、焼夷弾は日本本土への空襲に最も効果的な爆弾だったと言えるでしょう。

この爆弾は地面に刺さるように落下した後、激しく炸裂します。それと同時に大量の焼夷剤が撒き散らされ、周辺の四方八方、一斉に火災を発生させる事ができるのです。

 

東京大空襲やその後の各地の空襲によく使われたのが「M69」という油脂焼夷弾でした。ナフサとパーム油を混合したゼリー状のナパーム剤が焼夷剤として装填されていました。

火炎の高さは3mほどだったとか。炸裂した時に飛び散った炎が既に油を含んでいるので、火の勢いも強く、水や砂を掛ける・炎を叩くという方法では消火できませんでした。川に落下して炸裂しても炎は消えにくかったのでしょう。

 

 「M69」1発の大きさは、直径8cm、長さ50cm、重さ2.4から2.7キログラムの小型の爆弾です。しかし、実際は単体ではなく「M69」は38本を子爆弾として集束し、クラスター爆弾(親子爆弾)として投下されました。そして、上空700m付近でバラバラとなり、垂直に落下しました。これは確実に家屋などの屋根への貫通力を高めるためで、落下する時の姿勢を垂直に保つ細長いリボンが付けてありました。これに分離する時の火薬で火がつき、あたかも「火の雨」ように目撃されました。

 

焼夷弾はとても炎が広がりやすく、極めて消火しにくい。そして長く燃え続ける性質を持った爆弾だったのです。

 

 ⬇︎こちらを開いて下へスクロールすると、『アニメーション解説  焼夷弾』という動画があります。焼夷弾の仕組みがよく分かります。

www.asahi.com

 ⬇︎「焼夷弾」で検索するとよく見かける動画。YouTubeによると、昭和13年に撮影された焼夷弾の実験映像のようです。恐らく1発分の威力なのではないかしら?

これが一気に38本頭上から降り注ぐと思うと、ゾッとします。

m.youtube.com

 他の要因

被害が甚大になった要因は他にもありそうです。

*深夜の木造家屋の密集地に大量の焼夷弾が投下された。

*この夜は強風で類焼、延焼が広がった。

*川が縦横にあって、安全な避難場所に辿り付けなかった。

*空襲警報が鳴る前に爆撃が始まった。

*常日頃、焼夷弾など恐れず、空襲があったら逃げずに消火するする様にと政府が言っていた。(軍は実験をしていて、焼夷弾は消火不可能と分かっていたのに!)

その為、防火訓練でやる様な水掛け、砂掛け、火叩きなどの消火活動を行った人も多かった。結果的に、彼らは消火できないまま逃げ遅れた。(なんてこった!)

 

平和な街並

昨日(3月9日)、所用があって私は浅草に行きました。

浅草寺の周辺はいつもながらの大層な賑わいで、海外からの観光客が大勢歩いていました。(^。^)

東京大空襲の時に、浅草寺は本堂も塔も消失してしまいました。現在のは昭和33年の再建だそうです。

(この界隈も74年前の明日、焼け野原になったのね…。)

そんな事をつらつら思いつつ、昔おママと入った老舗の甘味屋さんに行列ができているのを横目で眺めながら、私は帰途につきました。

 

つくづく、平和って、大事だと思います。


*本日アップの貼り絵

 こちら、化粧品メーカー「HABA」の通販冊子『ハーバーの美容手帳 11月号』の表紙です。大まかに切ってしまって状態です。⬇︎

今回アップした貼り絵の中心にいる笑顔さんも見えていますね。⬇︎

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www.haba.co.jp

 

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笑顔さんの周囲に展開するブルー系のストライプ?は⬆︎こちらでも使われていました。新聞広告から切り出したと考えられます。ビルなど建造物の写真だったのではないかと…⁉️

ピンクの「Hand To Heart」と書かれている紙は何の封筒の内側なのか?不明ですが。

 

 ⬇︎お仲間です。 

harienikki.hatenablog.com

 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。