*これまでのお話
クレバァは私の義母、ダンナのお母さんにあたる人です。
今年になってお誕生日が来たので、現在85歳。元々頭が良い上に、認知症の「に」の字もないくらいしっかりしているので、私と娘のアズキは密かに「クレバァ」と呼んでおります。
昨年7月、そのクレバァは大規模総合病院(B病院)でステージ4の胃癌と診断され、この時すでに肺にも転移がありました。「手術しない」「抗がん剤治療もしない」と本人の意志固く、家族で何度も相談しました。
その上で、積極的な治療ではなく、最終的には緩和ケアのみで天寿を全うしようと決めました。自宅で自分に出来る事を自分のペースでやりながら暮らしていく。クレバァのQOL(クオリティオブライフ)が一番大事ですもの。
でも、治療のような事が全くないのも不安なものです。
それで、昨年9月下旬から週に3回、近所の掛かり付け医(A病院)で「丸山ワクチン」を続けながら年を越しました。
そして、掛かり付け医(A医院)から、地域で中核となる総合病院(C病院)を紹介されました。。そちらには緩和ケアの病床があります。いざとなったら入院出来るように、胃癌の検査や診察などはその中核病院(C病院)で行っていました。
それなりに元気でしたが…。
*ふって湧いたコロナ禍
前述の通り、抗がん剤治療を拒否したクレバァは、昨年の9月で大規模総合病院(B病院)とは縁が切れました。
そこで、昨年11月初旬に地域中核病院(C病院)でCT検査等と診察を受け、クレバァの主治医は(C病院)の緩和ケア外来の先生になりました。
この時点でクレバァの胃癌と肺への転移はさほど変化がありませんでした。ただ、肝臓にも小さな転移があるとの事でした。
今年1月中旬にクレバァは地域中核病院(C病院)で診察を受けました。
そして、次回のCT 検査等は3月中旬になり、予約を取ったのです。
ところが…。
虫が知らせたのか…。
3月の検査日の数日前に、クレバァは「最近疲れがひどくて検査に行くには嫌だ」と言い出し、検査を4月中旬に延期しました。
それから2週間後、(C病院)はコロナウイルスによるクラスターが発生し、外来は中止されてしまいました。
いまだに再開されていません。
クラスター発生の直後は、ダンナも、
「お袋は野性の勘が働いたのかな。予約の検査日に行っていたら、もしかしたら感染してたかも…」
などと、ホッとした表情で言っていました。
しかし、4月に入って間もなく、クレバァに体調の変化が訪れたのです。
痛みというより不快感が酷く、身体を動かすのも辛くなってしまいました。近所のスーパーに買い物に行くのはおろか、歩いて3分の掛かり付け医(A医院)に丸山ワクチンを注射してもらいに行くのも難儀になりました。現在は車椅子を(A医院)で借りて通っています。そして、訪問介護をお願いすることになりました。
「大きくなっているかも知れないから、早めにCTを撮りたい。」
クレバァがそう願っても、頼みの(C病院)はコロナのクラスターで閉鎖中。主治医は感染していらっしゃらないのですが、待機中で診察できません。
しかし、(A医院)の掛かり付け医はクレバァの体調不良と体力低下が気になっていたので、一度は縁の切れた大規模総合病院(B病院)で検査だけ出来る様に取り計らってくれました。
(癌細胞が大きくなっているのではないか?)
クレバァには予感があったのでしょう。
「今、具合が悪くなるのは避けたかったのに。もう少し先にしたかった…。せめて、コロナが収まるまでは…。」
クレバァはそう言いながら、タクシーに乗って大規模総合病院(B病院)へ検査に向かいました。
(次回に続く)
コロナウイルスによる新型肺炎の影響で、医療機関は本当にどこも大変だと思います。
感染拡大防止のためにやれる事を全てやったとしても、この未知な部分がまだ多いウイルス相手では、クラスターが起きてしまうのは、どうしようもない不可抗力なのではないかと思います。だから、地域中核病院(C病院)には早く再開されて欲しいと願うだけです。
そして、クラスターがあろうとなかろうと、どこの病院でも、他の病気で通う患者さん達への治療や対応に変化を余儀なくされていると思います。
早くコロナは終息して欲しい…。これ以上、医療現場に負担はかけられません。
そのためには私達一人一人が感染防止に取り組んで聞くしかないのだと思います。
5月に入って、東京の新感染者数は50人以下の日も増えてきました。
それでも、まだまだ気は抜けませんね…。
*本日アップの貼り絵
昨年末に制作された貼り絵ですが、今の季節にピッタリかと思い選んでみました。
材料は…。
おママの大好きな、まさに十八番(おはこ)と言えるくらい繰り返し使った、クリネックスの空箱です。 (^O^)
舶来のマーブルペーパー
(↓)同じ日に生まれたお仲間です。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。