『おママ』というのは、母の愛称です。
ジジ、オネコ、私が母を話題にする時、『おママ』というのです。
(2017年3月13日 診断から約10年1カ月 振り子の時計見たいですね〜と私が言ったら、そうかしら?とおママは笑っていました。)
私は実際、おママに話しかける時は、
心持ち優しく「お母さん」もしくは「お母様」と呼びます。
なるべく丁寧に喋るようにしています。
私はおママがアルツハイマー型認知症と診断されてから暫くは、
実の母娘の遠慮のない物言いをしていました。
でもふとした時に、昔に知り合いだった方が言っていた事を思い出したのです。
その方は女性。当時、70代前半でした。
「若い人の言葉はとてもキツく感じるわ。
どうして、ぞんざいで荒っぽいのかしら。嫌だわ!」
聞いてみると、灯油屋の配達に来る青年の言葉が荒くて怖いと仰っていました。
でも、当時30代の私には、配達青年の言葉はたいして酷いものとも思えませんでした。
(若い者にとって普通の物言いでも、高齢の方の気持ちにはキツく感じるのかもしれない。)
漠然とそう思ったものです。
おママがアルツハイマーと診断されてから5年くらい経った頃でしょうか…。
ヤカンに湯を沸かすだけの事ですが、私はしょっちゅうおママと口論になっていました。
実家のヤカンは沸騰したら鳴ります。
私がコーヒーを入れるために沸騰させようとしても、おママは鳴る前にどうしてもポットに入れてしまいます。
「頼むから、ヤカンが鳴るまで火にかけといてよ!」
「もう沸いたわよ!」
「ちょっと、ダメよ。もう少し、鳴るまでそのままにしてよ!私がやるから!」
「うちのヤカンは鳴らないのよ!私は何十年使っていると思っているのよ!知りもしないで勝手な事言わないで!」
しまいにおママは激昂してしまいました。
これではお互い精神衛生上良くないわ〜。
そう悩んだ時にあの女性の事を思い出したのです。
「お母さん、心配しないでね。ヤカンは私がちゃんと見てますから。」
と優しく私が言えば、おママはこう応えてくれます。
「あら、あなた、すみませんね〜。」
言い方1つで、ちょっとした言葉1つで、お互い楽になりました。
一昨年2015年に、オネコも私も自分達の存在が、おママには娘と認識されていないのではないかと思うようになりました。
それから、私はおママに尚更丁寧に話しかけるようにしました。
他所の人が聞いたら、他人行儀に聞こえると思います。
でも、もし…、おママが私達を娘と実感できていないのだとしたら、
家族ならではのフランクな言い方ではビックリしてしまうでしょう。
蔑ろにされたと思うかもしれません。
認知症のケアで「ユマニチュード」という手法があります。
私はそれを実践しているわけでもないし、出来ているとも思えません。
でも、これからも、優しいトーンで丁寧な言葉で語りかける。
それだけは続けようと、自分に言い聞かせています。