アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

ケアマネさん。お世話になっています。

     

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(2018年10月7日 アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月)

 

  白内障の手術がらみで、私は先週から今週にかけて8日間実家へ行きませんでした。GWもお盆も月水金と通っているので、これは随分な長期休暇でした。

その間、ジジとおママは風邪もひかず元気にしていてくれて、ホッとしています。

長い間休んだから、

(おママから『あなたは誰ですか?』と冷たい視線を浴びたりして…)

と少し不安でした。

いつもの他所の人に接するような他人行儀な感じではありましたが、おママからは特に大きな拒絶反応もなくホッとしました。

 

 ケアマネさんがいらっしゃった

  今年の8月にケアマネージャーさんが交代しました。

前任のケアマネさんには、実家の危険箇所に手摺を付ける時やデイサービス選びなど、大変お世話になりました。

8月に新しく担当になってくださった現在のケアマネさんとも、大分お馴染みになったように思います。担当になって早々、デイサービスへジジとおママの様子を見に行って下さり有難い事だと思います。

 

今日は月に一度のプランとサービス利用料の確認のためにケアマネさんがいらっしゃいました。丁度おママがダイニングで貼り絵を制作している最中でした。それで、近況を話し合いながら、側でおママの様子を見て頂けて良かったと思います。

 

現在と10年前

そういえば、先月みえた時、ケアマネさんはおママと私と一緒に直近の貼り絵を収納しているファイルを見て下さいました。

おママにとってケアマネさんは見慣れないお客様です。それが熱心に貼り絵を見てくれるのです。おママはかなり嬉しそうでした。古いファイルを自分で持ち出して、

「こういうのもあります」

と自分で開いて見せていました。

それがちょうど10年前、2008年の作品ファイルでした。

ファイルを並べると、10年の歳月を折り畳んで、同時に同じ空間に存在するような不思議な感じがしました。(^O^)

 

⬇︎上のファイルは現在(2018年)の貼り絵ファイル。下が2008年の貼り絵ファイルです。

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(2018年10月24日撮影)

デザイン的に美しくしっかり構成された10年前の作品。

荒削りだけど力強い今の作品。どちらもそれぞれに良いと思います。

見ながらそんなお話をしました。

ケアマネさん、この時は熱心に見てくださり、ありがとうございました。

お帰りになった後、おママは嬉しそうに貼り絵に取り組んでいましたよ。

m(_ _)m

 

本日アップの貼り絵

おママはこちらの⬇︎マニュアルの表紙を見た時、 

「良いわね、欲しいわ〜」

と言い募ったそうです。ジジは流石にマニュアルの表紙が失くなるのは忍びなく、カラーコピーをしたそうです。

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 ⬇︎ お馴染みのティーパックも登場しています。この貼り絵では、割と凝った使い方をしていますね。(^。^)

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 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

おママが白内障の手術を受けるとしたら⁉️

、 

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(2018年9月27日  アルツハイマー認知症の診断から約11年7ヶ月) 

 おママの目

9年か10年前の、アルツハイマー認知症の診断から間もない頃、おママは眼科に行く機会がありました。おそらく物もらいとか、結膜炎みたいな事だったと思います。

白内障は始まっていて、もしかしたら緑内障もあるかも知れませんが、詳しく検査しないと分かりませんが」

その時、眼科医にこう言われました。

当時の私は

白内障緑内障?御年寄は皆んななるのかな?)

と他人事のように考えていて、まさか自分が50代前半で白内障の手術を受けようとは思いもよりませんでした。(^O^)

 

眼科でそう言われても、当時の私達は積極的におママを眼科に通わせませんでした。なぜなら、その頃のおママは記憶力が落ちているだけで、料理などの家事や日常生活は問題もありませんでした。

それに日々、実にバランス感覚に優れた貼り絵を制作しています。外出時には電車の吊革広告や、建物の看板などもしっかり読めているからです。

この状況は現在もあまり変わりがありません。

(流石に昨年末あたりからは、認知機能の衰えが進んで家事も難しくなりましたが。)

 

ただ、傍目で見る限りは問題がなさそうなのですが、10年近く経っています。

時々、「ぼんやりとしているわ」と言います。おママの目に周囲はどう見えているのか?。結局、おママにしか分からないのが悩ましいところです。

 

今回、自分が白内障の手術を受けてみて、あくまで仮定の話ですが、

(もしおママの白内障が酷くなったら、手術も検討できるのか?)

少し考えてみました。

おママは白内障の手術を受けられるか?

まだ軽度の認知症の方なら出来るかも知れません。

認知症が軽い段階なら、視力が回復する事によって、生活の質(QOL)・日常生活機能(ADL)が改善される可能性は高いと思います。

(下記の『認知症患者への白内障手術による QOL 向上』PDF資料より)

 

しかし、結論から言いますと、

アルツハイマー認知症歴11年のおママには難しいと思います。

 

◉手術を受け入れられるか?

「お母さんは目が悪いから、よく見えるようにするために白内障の手術をしましょう。」

そう言ったら、おママは絶対に拒絶するでしょう。だって怖いもの。私だって随分怯えてましたから。激しく抵抗しそうです。

おママは拒絶してもすぐ忘れます。

何度も説得を試みれば

「説明」➡︎「恐怖・拒絶・抵抗」➡︎「忘却」➡︎「説明」

のループにはまってしまうでしょう。

 

おママに説明しないまま、手術台に乗せてしまう手もあります。これは本人が望んでいない手術だし、目や身体を動かしてしまう危険性もあります。全身麻酔でないと出来ないと思います。実際そういう場合は全身麻酔になるようです。(下記の『高齢者の白内障手術の難易度』のPDF資料より)

白内障が悪化したり、他にも差し迫って手術が必要な疾患であれば、おママもやらざるを得ません。

ただ、本人が自覚症状を訴え生活に支障が出ない限りは、白内障の手術はできそうにないかな…。

しかし、白内障はあまり悪化してからだと難しくなってくるらしく(下記の『高齢者の白内障手術の難易度』のPDF資料より)、軽いうちも、悪化してからも、踏み切れなくなりそうです。

 

◉もし、おママが白内障の手術をしたとして…。

なんのかんのと手術ができたとしても、術後は心配が絶えません。

白内障の手術の後って、ほとんど痛みはありません。それでも、最低1日は入院してもらうでしょう。しかし、痛みがない分、身体は元気いっぱいですから

「なぜ、私はここにいるのですか?」

「どうして私に何も相談せずに、目の手術をしたのよ❗️」(°_°)

「家に帰ります」

「なぜ、目薬をさすの?」

と看護師さんや私達に繰り返し訴えるでしょう。説明しても説明しても繰り返され、紙に書いてテーブルに貼っておくと、「勝手に手術をされた」と怒りそうです。

 

痛くない分、鬱陶しくて眼帯を外してしまうかもしれません。(°_°)

帰宅しても、家族が四六時中おママに張り付いていない限りは、目を擦りそうです。

基本的に3本ある目薬を1日3回、5分間隔で点眼していくのも、現在のジジに管理させるのはきついと思われます。(°_°)

 

ここまで書いてきますと、自分でも「出来ない!」言い訳ですね…。(^O^)

しかし、

認知症歴が長くなり、記憶障害が進み認知機能の低下が見られるおママに、白内障の手術は難しい…。

これは理屈ではなく、家族の感じる体感として難しい…。

自分で手術を体験して、そう思いました…。m(_ _)m

 

kango-oshigoto.jp

 老年医学会HP ⬇︎

https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/update_2014.html

 

 認知症患者への白内障手術による QOL 向上⬇︎

 https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/clinical_practice_51_4_321.pdf

 

高齢者の白内障手術の難易度⬇︎

https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/clinical_practice_51_4_326.pdf

 

 

本日アップの貼り絵

お馴染み、こちらのティッシュボックスのピンクバージョンを使っています。

 

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おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

 

 

 

チャーコの白内障(忘備録です)

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(2018年10月4日 アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月) 

 

    この度は私の白内障の手術(右目のみ)に際して、お見舞いと励ましのコメントを下さり、有難うございました。

そして、2回にわたり、私の代理で娘のアズキが記事を更新しました。アズキにも温かいお言葉を頂戴し、親子共々、心より御礼申し上げます。

 

   白内障の手術なんて手術のうちに入らない…。

今や高齢者の多くが白内障になり、先月も友人の義母様(80代)が立て続けに両眼の手術を受けていらっしゃいます。

私も何年かしたら又もう一方の眼を手術すると思いますし、長くなりますが、忘備録的にまとめておきたいと思いました。

今回の記事では私の手術のあらましを忘備録的に書き、次回は「もし、おママが白内障の手術をするとしたら?」それは可能かどうか、考えてみたいと思います。

 

チャーコの目

   私は生まれつきの近視です。就学時検査で0.5でした。

昔、おママはよく言ってました。(^。^)

おママが遠いところを指差して話しかけても、幼少期の私はイマイチ反応が薄かったそうです。

「それで、、(少し頭が悪い子なのかな?)と思っていたら、目が悪かったのよね。ワハハ❗️」

(°_°)  そんな風に思っていたのだそうです。

近視は成長とともに下降線をたどり、現在は強度近視、緑内障白内障があります。

 

   4年くらい前のことですが、私は自分が見えている世界が、本当に見えているのか不安を感じるようになりました。

何故かは上手く説明できないのですが、仕事で書類作成をしていても、まだらに見えない部分があるような気がして違和感を覚えました。

人の脳は優れものです。視野が欠けてきても半分くらい見えなくなるまで、自覚症状は無いのです。脳は見えない部分を上手く修正して認識させようとします。

   時を同じくして、右目は物がダブって見えるようになりました。それで緑内障の検査と乱視の眼鏡を作るために私は眼科に行くことにしました。

診断では確かに視野は欠けていました。それで正常眼圧緑内障(眼圧は正常なのに視野が欠け始めた緑内障)と診断されました。

  しかし、乱視と思った右目は乱視ではなく、水晶体が硬化するタイプの白内障と判明したのです。水晶体の一部分が硬くなったためにダブって見えるようになったのでした。

そしてオマケに私の視神経は正常な人の3分の1しか働いていないのだそうです。「これは目を酷使したとかではなく、先天的な可能性が高いレベルで、生まれつき視野が欠けていたのかも知れません。」

と言われました。(°_°)

(えええーーー。40代も終盤に差し掛かる歳になって、初めて知る事実⁉️)

以後、白内障の進行を抑える物と、眼圧の上昇を抑える緑内障の点眼薬、2本を処方されるようになりました。

 

   私の白内障の症状は白濁は一切なく、重なって見えるだけでした。それで、暫くは手術は考えませんでしたが、昨年から視力が急に落ち、今年は階段を降りる時に段がダブって見えて転げ落ちそうになりました。それで、右目のみ白内障の手術に踏み切りました。

 

御報告…。(^。^)

   先週の月曜日の記事を読み直しますと、私は随分怖がっておりましたね…。

年甲斐もなく…。(^。^)  局所麻酔で怯えておりました。

手術を振り返りますと、時間的には短かったと思います。でも、私の体感ではそんなに短くもなかったです。

 

   私が白内障の手術を行った眼科は、日帰りではなく必ず1泊入院をします。それで、手術まで自分の病室で待機していました。

手術室から迎えのスタッフが来て、準備・手術を終えて病室に戻るまで、およそ45分でした。なので手術自体は15分もかからなかったと思います。でもね…、受ける側は長く感じるものなんですね…。

 

  私があれほど恐怖に駆られていた麻酔ですが…。(°_°)

手術室に入る前に看護師さんから

「これは麻酔薬です」

と2回、点眼薬を入れられました。あまりに簡単で少ない麻酔薬です。これで眼球にメスが入るのは恐ろしすぎるし、納得できません。私は年甲斐もなく涙目で訴えました。(T . T)

「麻酔って、これだけなんですか?これで、やってしまうんですか…⁉️」

「大丈夫ですよ。手術室でバンバン追加されますから。」

「………。そ、そうなんですか…。」

「皆さん同じように心配なさる方が多いです。」

 

   半信半疑のまま私は手術室に案内され、手術台に仰向けに寝かされました。そして、間髪入れず重いクッション性のある防水カバーを顔に掛けられしまいました。それは右目部分だけ穴が空いており、その穴に、更に防水シールを貼った上で、目を閉じられなくする器具をガッと右目に嵌められてしまいました。この器具のおかげで手術中、私の右目は瞼を閉じる事が不可能になりました。その準備、手際の良いこと‼️

(えーっ‼️麻酔が追加されてないぞーー‼️)(°_°)

主治医で執刀してくださる先生は上品で柔らかな雰囲気の女医さんです。私は先生の一言に仰け反りました。(動けませんが…)

「では、始めます。よろしくお願いします。」

「よろしくお願いいたします。」

他のスタッフの声も聞こえます。えぇ、そんなぁ。酷いですよね。

(麻酔が追加されていない‼️ ひえぇ〜。)  (°_°)

私が恐怖で気絶しそうになっていましたが、「麻酔薬を投入します」の声で救われました。私の閉じることの出来ない右目にサーッと液体麻酔薬が流し込まれました。まるで私の右目を洗うような感じでした。手術中、3回くらい麻酔薬は追加されたと思います。(記憶が定かではない。)

 

  仰向けに寝かされ、真上の白いライトを凝視するように言われました。その白光を見ていると視界は眩しくて何も見えなくなりました。気配はしたのですが施術の様子も全く分かりません。痛みも殆どありませんでした。

   ただ、一度だけ、たぶん自分の水晶体が吸い出される時だと思います。引っ張られるような鈍い痛みを感じました。そして白い光はとても小さくなったのです。視界は黒いのですが、赤や青の光る線が幾筋も見えました。それは直線ではなく木の年輪のような感じです。(あくまで私の個人的なイメージです。万華鏡のようなと表現する人もいるそうです。)

私は無意識のうちに視点を上方向にずらしていたらしく、何度か先生に、

「又、視点が上に行ってますよ。真上のライトを見てください」

と言われましたが上手く修正できません。そんな事を言われてもねぇ…。

「まだ上に行ってますよ。足を見てください。」

そんな事を言われてもね…。一応、私も反論してみました。

「先生、足なんて今、見えません。」

「足の方を見る気分でね。」

暫くして、視界は又白く眩しく輝き始めました。

「予定通り終了しました。」

先生のこの一言で、私は体の力が抜けました。

動くまいと心に誓って、身を強張らせていたのでしょう。だから術後は眼より身体の節々が痛みました。

翌朝、眼帯を取って診察を受けてから退院しました。次の診察は術後3日目、その次は7日目となりました。

 

(※ 麻酔は眼科によって使用するものが違うようです。友人知人の話だと、液体麻酔薬とは限らないようです。)

 

術後あれこれ

   無事に手術を終え、眼圧が高いくらい(21なんです)で経過も順調です。

 

   私の場合は白内障だけでなく緑内障もあるので、多焦点レンズ(保険適用外、先進医療)ではなく、単焦点レンズ(保険適用)になるという説明を受け承諾しました。

 

 術後の見え方はどうかと言いますと…。(^。^)

  手術前の矯正視力は右目0.2、左目0.4でした。

強度近視のまま当分温存する左目との兼ね合いで、右目の近視はかなり強いまま残しました。左右で余り視力に差があると、生活が困難になりそうですものね…。

この辺の考え方は、医師や患者の判断が個々の症例で違ってくると思います。2週間くらいあけて両眼一気に手術するなら、思い切って近視を無くすレンズ(水晶体)を入れるのも手かもしれません。

因みに…、手術後の現在、私は両眼とも裸眼で0.04です。(^。^) a

「なんだ!これでは手術する意味ないじゃん!」

と思われるかもしれませんが、矯正視力はかなり良くなったのです。

左目は変わらず0.4ですが、手術した右目は重なって見える症状がなくなったのと、若干近視が軽くなるレンズが入ったので、矯正視力は0.9になりました。*\(^o^)/*

 

投薬などは…。(°_°)

  手術3日前から1日3回2本の点眼薬をさしました。

手術後は、

飲薬の抗生物質は手術直後から飲み始め、1日3回3日後まで服用しました。

 

点眼薬は術後6日めの現在も続けております。

(広範囲抗菌点眼薬、非ステロイド性抗炎症点眼薬、副腎皮質ホルモン目耳鼻科用剤)

これら3本を1日4回(朝昼晩寝る前)5分間あけてながら点眼薬しています。

<非ステロイド生抗炎症点眼薬は1日2回でした。m(_ _)m>

 

私はこの他、緑内障の左目と術後眼圧が高くなった右目に眼圧を下げる点眼薬と、

まだ手術しない左目の軽い白内障のために、その進行を遅らせる点眼薬もさしています。私は現在合計5本の目薬を使っているんですね…。

忘れないように知るのがちょっと大変です。

 

生活面など…。(^。^)

  眼帯は翌日から外されましたが、濡らすことはできません。バイ菌・細菌が入ると大変です。首から下なら入浴・シャワーを良いのですが、洗髪・洗顔は術後6日間は厳禁です。(男性は髭剃りは大丈夫です。)

手術した目に触れないように、圧迫しないように大事にしなくてはなりません。

  日常生活は翌日から問題はありませんし、食事も普段通りです。でも、私は術後3日間は光が眩しくて、窓から差し込む日差しも苦痛でした。スマホやパソコンをしっかり見られるようになったのは術後4日めからでした。

 

今後、新しい水晶体を入れた眼の視力が安定するのに1ヶ月から3ヶ月かかるそうです。新しい眼鏡は視力が安定してから拵える予定です。でも、現在3つの手持ち眼鏡(遠近、遠、近近)全てが合わず、仮眼鏡を作るか否か悩み中です。

 

長くなって申し訳ありません。

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

 

 

 

 

私と祖母と貼り絵と。byアズキ

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(2018年10月24又は25日 アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月)

 

こんばんは!またも代打で登場、娘のアズキです。

いつも母のブログを読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます。

時間の都合上、私からはなかなかコメント返しができないのですが、

皆さんから頂いたコメントは全てニヤニヤしながら読ませていただきました。

これからは手術明けの母を支えつつ、私も読者としてこのブログを楽しもうと思っています♪

 

小六の夏、祖母と一緒に作った自由研究

あれは熱い夏、甲子園でマー君ハンカチ王子が大活躍していた頃の話です。

私は小学校最後の自由研究として、祖母からマーブル染めを教えてもらいました。

 

全くのゼロからのスタートだったため、はじめは慣れない工程に苦戦したり

思ったように染まらず気を落としたりすることもありましたが、

そのたびに祖母は笑いながら「こうやるのよ」とお手本を見せてくれました。

私が失敗するたび面白がって、失敗作も大事に取っておこうとする祖母も

もしかしたら孫と一緒にマーブルをやるのが楽しかったのかもしれません。

 

 何枚も何枚も染め続け、ようやくキレイに染まったペーパーを祖母に見せて

「上手くいったでしょ?」と聞いてみたら、

 

「ふふっ、まだまだね♪」

 

と、返されたのを覚えています。笑

ちなみにその後、作品と一緒にマーブル染めの制作過程を資料にまとめて

学校に提出したところ、クラスの友人が褒めてくれました。

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マーブルペーパー(墨流し染め)
写真にあるペーパーは当時の祖母いわく「失敗作」でした。

最近ではマーブル染めをする機会もなくなりましたが、

祖母の貼り絵には今でもマーブルペーパーが使われています。

それを見ると私は、ふとあの夏の自由研究を思い出したりします。

 

制作過程は忘れても、自分の貼り絵は「好き」?

祖父母の家に行くと、祖母は私によく自分の作った貼り絵を見せてくれます。

作ったときのエピソードは覚えていないようですが、作品を指差しては

 

「これ、いいでしょ〜」

「こんなのもあるわよ」

「これなんか、ちょっと面白いわよね」

 

なんて楽しそうに話してくれる祖母を見ていると、少しほっこりした気分になります。

しかし同時に、少しうらやましく思ったりもします。 

 

私は幼い頃から絵を描くことが好きで、今でもたまにイラストを描きますが、

描き上げてしばらく経ってから自分の作品を見ると「なんだこの絵・・・」

と青ざめることがしばしばあります。

 

それは私が直感やフィーリングではなく、「デッサンが」「線描きは」「影は」

という理想像や固定概念にとらわれながら描いているのが要因かもしれません。

 

その点、「こうあるべき」などの固定概念が無くなりつつある祖母は、

台紙のハガキとキレイな紙を目にすると気の向くままに切り貼りしています。

その分たまに突拍子もない切り取られ方をしている題材や模様もありますが、

祖母のセンスなのか不思議と面白くてクールな作品に仕上がったりします。

 

もしかしてアートって、楽しんだもの勝ち!?

そんなことを祖母の貼り絵を見ながら思ったりしています。

 

読んでくださってありがとうございました♪

以上、アズキでした(*´・v・`) 

 

本日アップの貼り絵

harienikki.hatenablog.com

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記憶に新しい(⁉️)東急百貨店のマークです。切り抜いたパーツの残りで製作したのでしょう。⬇︎作業机の上に有りますもんね。 (^O^)

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 今日アップの貼り絵は、実は残り物の寄せ集めなのです。

この10日ほど前におママはこんな貼り絵を制作していました。⬇︎

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(2018年10月15日  アルツハイマー認知症の診断から約11年8ヶ月)

 

「学んでつくって遊ぼう!」

から想像すると、おそらくイラストはデイサービスで使った工作用紙の残りだと思われます。楽しそうな秋祭りでしょうか?(^。^)

この貼り絵を見て、もう一度トップの貼り絵を見た時、提灯や東急のマークの使い方に思わず「ふふっ」て笑ってしまいました。遊び心を感じます。

 

おそらくおママも「ふふっ」て顔をほころばせながら糊付けしたのではないかと思います。(o^^o)

 

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

チャーコ、無事帰還。

 

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(2018年9月5日  アルツハイマー認知症の診断から約11年7ヶ月)

 

こんばんは、チャーコの娘のアズキです。

 

母は昨日無事に眼の手術を終え、お家に帰ってきました。

手術したばかりということもあってスマホなどのブルーライトを見ると

 

「眩しいっ・・・!」

 

と目をそらしていますが、今のところ経過は良好のようで一安心です。

私も昨晩は母が心配で10時間しか寝られませんでした。無事でなにより。

 

娘、コミュ力が著しく低下する

私事ではありますが先日、母校の大学の学園祭に行ってきました。

仲の良い同期や後輩たちと感動の再会を果たし、大満足・・・

とはいかず、楽しさよりモヤモヤのほうが残る再会となってしまいました。

 

去年まで在籍していたサークルでは、たくさんの先輩・同期・後輩と関わり

1年目から最終学年までとても楽しく過ごせていました。

先輩たちと飲んだり、同期の家に行ったり、後輩とカラオケに行ったり。

初対面の人とも気軽に話せるキャラを活かして、飲み会をまとめたりもしました。

 

それがたった半年のブランクでここまで話せなくなるとは・・・

 

普段、家族や仕事関係の人以外と会話する機会のない私は、

大人数の中でうまくコミュニケーションが取れなくなってしまったみたいです。

なんなら3〜4人程度の会話でも全く言葉が出ず、相槌と愛想笑いで乗り切る始末。

笑顔で話しかけてくれる友人たち、頑張って会話しようとして疲れる私。

 

気疲れと同時に、会ってくれた人に対しての申し訳なさで心がしんどい・・・

日常生活でも積極的に人と会話していこうと思った20代半ばの秋でした。

 

祖母にとっての”再会”って・・・

そんな再会劇(?)を経て、私は祖母のことが少し気にかかっているのです。

祖母はご存知の通り、記憶力がかなり低下しています。

それでもたまに友人や親戚の集まりに顔を出す機会もあります。

 

祖母はそのような時、いつもニコニコしています。

私と会うときも笑顔を絶やしません。

 

いいおばあちゃんだなと思う反面、すごく気を遣っているのかな?

と少し申し訳なくなったりもします。

普段会っていない人との会話に気疲れしてしまった私から見ると、

 

(もしかして祖母にとっては私も・・・)

 

なんて思ったり思わなかったり。

それでも祖母のことが好きなので近いうちにまた顔を見せに行きます。

 

まあ私は私、祖母は祖母!

秋はセンチメンタルになりがちな季節ですからね、

新しい服やコスメでも買ってテンション上げてこ〜!

 

以上、アズキでした(*´・ω・)

(ちなみに次回も私が書きます笑)

 

本日アップの貼り絵

何度か登場している包装紙(ビクトリア&アルバート博物館)が中心モチーフとなっております。⬇︎

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 ⬇︎中央のデザインはさっと決まったのですが、四隅はちょっと迷っていました。

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⬇︎でも四隅が「全部ブルーだとつまらない」とか言いながら変更しました。正方形のパーツを1つ失くしてしまい、新たに切り出し中です。

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(2018年9月5日撮影)

 

ピンクの『HAND TO HEART』という細かい文字が印刷されている紙は、作業机周辺で残欠を時々見かけるのですが、今のところ不明です。

 

こちらもお馴染みのティーパックの袋もちょこっと顔を出しております。⬇︎

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 おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

お誕生会

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(2018年9月15日  アルツハイマー認知症の診断から約11年7ヶ月)

 

おママは85歳になりました。パチパチ👏👏👏👏👏

この一年さほど変化もなく(ジジもおママも若干衰えてはいるが)過ぎた事に感謝し、来年も同じようにお祝いできますように。

今日アップの貼り絵は花のようにも見えますね。

おママ、お誕生日おめでとう。

 

今日のランチは♫

毎年おママのお誕生日には、駅前のケーキ屋さんでカットケーキを買って食べます。でも今年は趣向を変えてみようと計画していました。

近くにカフェが出来たのです。

「そこに行ってみて、ランチしようか…。」

オネコが言い出しっぺで、ジジも私も乗り気でした。

平日だから予約はしていないけど、それが今日(11月5日)の予定だったのです。

私は(初めてのお店だわっ!)と心弾ませておりました。

 

拒否反応

私が実家に着いたのは11過ぎでした。既におママはお昼の事が気になって、

「どうしたらいいかわからない。頭が痛くてフラッフラする」と訴えていました。

「今日はあなたの誕生会をするんて、外に食べに行くから大丈夫だよ。」

「誕生会ってなに?」

「お母さんのよ…」

「あなたの85歳のお祝いだよ。」

「えっ⁉️お母さんって私の事なの?」

あー、今日はそこからですね…。私の母親である自覚は皆無ね。(°_°)

「すぐ近くに新しいお店が出来たのよ。みんなで行きましょう。」

この会話の後、おママはすっかり混乱をきたしたようです。

「私は行かないわ。今日は無理よ。頭が痛くてフラッフラするのよ。」

おママはすぐさま布団に入り横になってしましました。

「しばらく経つと(行かないと言い張った事も)忘れて、一緒に行くだろう。」

ジジはそう言いましたが…。実際、みるみる顔色も悪くなったのです。

 

私はオネコが実家に来る前に体勢を立て直そうとしました。

おママにお湯を飲ませたり、

かりんとうで釣って布団から誘き出し一緒に食べたり、

洗濯物を干すのを手伝ってもらったりしました。

しかし、事、話題が昼食になると、

「お父さんと一緒にみんなで近くに食べに行くのよ」

と聞くなり、露骨に気がすすまない顔をしました。

(無理かな〜。予約していないから止めても良いのだが…。昼食の算段を何もしていないし、手間だな…。)

そう、私の本心は、急に予定を変えて食事の準備をするのが面倒だったのです。

だから、なるべく行きたかった。(⬅︎書いていて自分のクズっぷりに呆れます。)

 

しかし、無情にも雨が降り出し、ジジはシルバーカーなので出かけるのを断念せざるを得なくなりました。

「雨が降ってきたから、お出掛けはやめておウチで昼ごはん食べましょうね。」

そう言った途端、おママの顔色が良くなったのを、私は見逃しませんでした。 (^O^)

やっぱりね。不安だったのね。

それで例年の通り、おママのお誕生会は実家でケーキとなりました。

 

考えてみれば

私はケーキを食べながら、どうしておママが拒否したのか、考えてみました。

そもそも、おママは自分の誕生日の自覚がなく、新しいお店に行ってみたかったのは、おママ以外の3人でしょう。

それに、前述の会話にはおママを混乱させる要素がふんだんに盛り込まれていましたね。

 

「今日はあなたの誕生会をするんで、外に食べに行くから大丈夫だよ。」

「誕生会ってなに?」

おママは誕生日の意味がわからなくなってる。混乱①

 

「お母さんのよ…」

「あなたの85歳のお祝いだよ。」

「えっ⁉️お母さんって私の事なの?」

自分が目の前にいるオバハンの母だという自覚がない。混乱②  

さらに85歳と聞いて、自分せいぜい75くらいだといつも思っているから混乱③

 

「すぐ近くに新しいお店が出来たのよ。みんなで行きましょう。」

おママにはすぐ近くの新しい店が謎。新しい事は不安でいっぱい。混乱④

訳わからないところに連れて行かれるのは恐怖でしかない。混乱⑤

 

夏の記事では、おママの感覚を大事に「おママ、First❗️」を目指そうと思ったのですが…、やはり、なかなか「言うは易し、行うは難し」でございます。(^O^)

harienikki.hatenablog.com

 ⬇︎去年のおママの誕生日

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おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。

 

私事ですが…。

今週水曜に白内障の手術をします。

手術自体は安全性が高く(リスクが皆無ではないですが)多くの高齢の方が受けているいらっしゃいます。ほんの20分くらいで終わるそうです。1年半悩んだ末の決断なので、手術自体には迷いはありません。

 

しかし、私は臆病者でビビっています。

何が怖いかと言うと、目だけの局所麻酔だからなんです…。

全身麻酔で私が眠っているうちならば、切ったり貼ったり、煮るなり焼くなり、存分にしてくれたら良いのです。でも、音や気配が分かってしまう。それが怖い❗️

ひたすら怖いです。❗️(°_°)

 

先日テレビで⬇︎こちらのニュースを見ました。動物も白内障になるのですね…。

執刀した獣医さんの腕が素晴らしいのだけど、

「クマさんが頑張った。」

私は勇気付けられました。 (笑笑)

(それならヒトさんの端くれである私も頑張らねば❗️)

でも、手術の映像を見たら、当然のことでしょうが、クマさんはどうやら全身麻酔だったようですね…。私は局所麻酔なんですよ…。ぶつぶつ…。

www3.nhk.or.jp

 

手術の手引きには「顔・体を動かすと危険です。痛み・咳・くしゃみ等の時は言葉でお伝えください。手術装置の音や、医師・看護師の会話は聞こえます」と書いてあります。

 

くしゃみって、言葉で伝える余裕もなく出てしまいますよね…。

それに私は子供の頃から、不意に声をかけられたり緊張していると、ビクッ❗️と身体が震えることがあります…。そのビクッ❗️は突然やってくるのです。事前に知らせる事が出来るでしょうか。

怖い、怖い…。

どうか、手術中に私が身体や顔を動かしませんように、祈るばかりです。 (^O^)

 

そんなこんなで、読者登録させていただいているブログへは、数日の間は訪問できないのではないかと思います。申し訳ありません。後日、まとめて拝見させていただきます。

今回は長い文章になってしまいました。読んでくださり、ありがとうございます。

ではまた…。m(_ _)m

 

 

 

 

 

粗忽な親子。それでも夕日は輝いていた…。 (^O^)

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(2018年9月25日  アルツハイマー認知症の診断から約11年7ヶ月)

 

富士山の写真を撮るとな…。(^。^)

11月2日 金曜日。東京地方快晴でした。

「よく晴れているから、夕方富士見台の公園から富士山を撮ろうと思うんだ。今日の日没は4時50分だから、4時半くらいを目指して行けば良いと思って。チャーコさんは一緒に行って、そのまま帰ったら?」

ジジは行く気満々ですし、おママも散歩と聞いたら「行く行く」と喜んでいました。

せっかくジジがネットで日没時間も調べたことだし…。静岡県も快晴らしい。こっちも見事なまでの秋晴れです。まぁ、ジジの思うようにして下さい…。

 

おママこそ大丈夫か?(°_°)

 私は出かける前に夕飯の支度を済ませて全部片付けなければなりません。バタバタしていますと直ぐに3時を回ってしまいました。なんとなく陽は西に傾むいて、私は気がせいて仕方ありませんでした。それで、早めにおママの出かける準備に取り掛かりました。

ジジも準備完了。後はおトイレだけです。

しかし、諸事情から(⁉️)時間がかかるのです。

まるで立て籠もり状態のジジを心配して、おママはトイレのドアの近くで必死の声掛けを試みました。

 

「お父さん!大丈夫?」

「大丈夫、まだ生きてるよ!」

「あら!生きてるだなんて、たいへんじゃないの‼️」

いやいや、おママ。°_°)

死んでたら余計に大変でしょ。しっかりしてー。笑笑

そりゃぁ…たしかに人間、生きていくのは大変だが…。

絶妙に噛み合っているような、噛み合ってないような?

 

 

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さぁ、満を持して出発

ジジの用意は万全らしい。

それで私が玄関に向かうと、シルバーカーが何処と無く変です。

「え…、マジか⁉️」(°_°)

一眼レフを設置する大きくて頑丈な三脚が括り付けられているではないか❗️

(よく倒れないわね。ウチのシルバーカーは安定性が高いのかも…。)

中には御自慢の一眼レフデジカメが入っているそうです。無邪気に笑うジジでした。

気合い入ってますね…。(^。^)

 

嗚呼、撃沈。

えっこら、えっこら、3人で20分以上かけて歩いて、富士見台に着きました…。

なんと…、ここでジジは大きなミスに気がついたのです。

「あゝ、これは…。」

「眩しくて目が焼けそうよ…。」

富士山は西の方向です。

快晴の夕方、東から西の空を見ればどうなるか。日没までは夕日が容赦なく降り注ぎ、富士山が見えるどころか、そっちを見ていること自体ムリ。

 

「そう言えば、今までここに(写真を撮りに)来たのは朝だったよ。」

 あゝ、朝日を背に西を向いて撮影するなら眩しくないわ。

 

私も迂闊でした。

夕日を背にした富士山のシルエットが撮れたら…。ジジはそう目論んでいたそうです。残念でしたね〜。

それでもジジは日没直前にカメラを三脚にセットしましたが、あいにく雲が掛かって富士山はお隠れになっておりました。

 

⬇︎これは私がスマホで撮った写真です。

ちょうど線路の先の遠くに富士山が見えるらしいのですが、暑い雲の壁に阻まれています。(°_°)

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夕焼け小焼けで日が暮れて🎵

夕日が沈んで薄暗くなる道を歩きながら、おママは非常に不安げでした。

「ここどこかしら?」

「おウチに向かっているから大丈夫よ。」

「そうかしら。」

散々歩いて草臥れ果てて、日が暮れたら心細いですよね…。

でも、しばらく歩いて駅に通じる商店街に差し掛かると、急に表情が明るくなりました。

「分かった。なぁーんだ。」

どことなく見慣れた風景だと感じたのね。

良かったわ。おママもジジもお疲れ様でした。(o^^o)

 

本日アップの貼り絵

橙色が夕陽の色に似ているので、アップしてみました。

 

おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。