アルツハイマーとともに〜おママの貼り絵日記〜

アルツハイマーの母(おママ)が作った貼り絵と暮らしを紹介しております。

Requiem

 

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 (2018年1月6日  アルツハイマー認知症の診断から約10年11ヶ月)

 

東日本大震災から7年

  歳月は過ぎても、

あの日、身体で感じた揺れと恐怖を、私はまだ忘れる事ができません。

さほど被害がなかった東京の人間でさえそうなのです。

東北各県で被災された方々の思いは、私になどには想像すらできないと思います。

 

特にご病気だった方、認知症だった方、出産を控えていた方、そのご家族の辛さやご苦労を思うと胸が締め付けられます。

 

地震に続く福島第一原発の爆発が大きな爪痕をのこして、更に復興を難しくしたと思います。

 

未曾有の災害に巻き込まれて亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

2011年3月11日頃のジジとおママの様子を昨年まとめた記事です。⬇️

harienikki.hatenablog.com 

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73年前

 もう随分、昔のことですが、3月10日は東京大空襲のあった日です。

東日本大震災以降は、関東でもあまり報道されなくなりましたね。やはり大昔のことだからでしょうか。

とは言え、ジジは17歳くらいで、おママは小学校高学年頃の事です。

 

   第二次大戦末期、日本各地の主要都市は米軍機による激しい爆撃を受けていました。東京大空襲はその一つに過ぎません。そして広島、長崎の原爆。

でもね…。私はこれも忘れちゃいけないのです。ジジとおママは直接の被害はありませんでしたが、私の夫の実家は焼けました。

 

   これは夫の祖母から聞いた話です。

  昭和20年3月10日、日付が変わった直後に空襲は始まったそうです。夜中だったのです。

  まだ若い祖父母は大空襲の最中、地域の人と鉄筋コンクリートの小学校に逃げ込みました。幼い子供を連れての事です。男の人たちは、熱風を避けようと窓や戸に目張りをしながら、必死に飛んで来た火の粉を消していたそうです。幸い校庭には十分な広さがあり樹木に囲まれていたので、直接焔は届きませんでした。一家九死に一生を得たそうです。

    しかしながら、降り注ぐ焼夷弾で、外は地獄絵図だったとか。

火の海の中、避難民は隅田川に押し寄せました。橋の上では、両側から渡ろうとひしめき合った群衆が立ち往生をして焔に襲われました。そして、次々と川に入水するので溺れる人も多く、隅田川では大勢の方が命を落としたそうです。

私は隅田川の川面を見ると、いつもこの事を思います。

一晩で10万人が亡くなった東京大空襲…。

 

私にとって、3月10日、11日は鎮魂の日です。

 

本日アップの貼り絵。

  昨年からよく見る千代紙です。いろんな切り方出来るので、ハサミを持つおママの手も楽しげだったでしょう。

写真に撮る時、おママはしきりに言っていました。

「これは素敵だわ❣️」

自作の貼り絵と分かっているのかいないのか?  おママはこの作品を褒めちぎっていました。

   やはり、おママは今も、この小津和紙で買った寄木細工風千代紙がお気に入りのようです。でももう、残り少なくなってしまいましたよ〜。

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おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。