(2019年8月28日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年6ヶ月)
*平家物語
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
これは有名な『平家物語』の冒頭です。
確か中学生の時かしら…。私は国語の授業で暗記しました。
言葉の響き、文のリズムの美しさ、そして「ひとへに風の前の塵に同じ」で締めくくられる、どうにもならない人の世の「無常」を感じます。
昔の人はどうしてこんな素晴らしい文章が書けたのでしょう。
私が『平家物語』の冒頭文を暗記した時、一番心を惹かれた言葉は「諸行無常」です。
「諸行」とは、この世のすべてのもの、
「無常」とは、常が無い、続かないということです。
つまり、世の中の万物は永遠に続くことはない。そんな意味でしょう。
思春期の私の脳裏に、風塵とともに消え去る王宮が、浮かんでは消えていく。
そんな寂寥感を覚えたものです。
*無常感
なんでこんな事を書いているかというと、私は認知症の人は「無常感」みたいな感覚って無いと思っていたからです。
そもそも「無常感」って基準になる記憶があって、それが変化したり続かない事を認識するから起きるものでしょう。その基準となる記憶が失くなるから、認知症のおママが「無常感」を感じるはずはない。(^O^)
今週おママと駅前のスーパーに買い物に出掛けた時、この私の考えを覆すような事をおママは言ったのです。
それはある空き地の前に来た時です。
おママはピタリと歩みを止めて、呆然と立ちすくむではありませんか。
そこは今年の初め頃まで小綺麗な戸建住宅が建っていました。4、5年前に新築で販売され、確かお子さんのいる御家族が住んでいたのです。
それが気がついたら取り壊され更地になって売り出されました。
梅雨時に業者が草刈りをしていましたが、現在まだ売れていません。
草が生い茂って、まさに「草深き板東の野」みたいな有り様になっています。
おママはそんな事は覚えていないと思います。知りもしないでしょう。
ただ茫々と生い茂る草に飲み込まれそうな空き地を見つめていただけなのに…。
驚きと「無常感」で胸がいっぱいになったようです。
「あら…、ここ…、こんなに、こんなになっちゃって!どうしてかしら。」
「………⁉️」
おママは両手を広げて、下から上に上昇させる動作をしました。まるで草が地面から生える様子を、全身で表現してみたのでしょう。
「こんな、いっぱい、すごいことになってるわよ。」
草原と化した空き地を見ているおママの背から寂寥感が漂っておりました。
「無常感」まで感じているのかしら?
記憶はなくとも、状態を見て、想像して感じたのかしら?
認知力も記憶力も表現力も随分失われましたが、その時々で感じる心の色は割と豊かなのかも知れないと思いました。
*本日アップの貼り絵
制作日の8月28日より1週間ほど前に、私はおママの作業机の上に、落ち葉を貼り付けた白いハガキを発見しました。それはただ中央に1枚落ち葉を貼り付けただけのシンプルなものでした。
葉を貼り付けるのは時々あるので、私も驚きません。しかし、それは少々強引に貼り付けたからか、ハガキは大きく波打つようにたわんでいました。
「これじゃぁ、ファイルにも入らない…。」
私はダメ元で古い文藝春秋の間に挟んでおきました。
「もし、平らになったら、出してあげよう。」
そう思ったまま、私はすっかり忘れていました。(^◇^;)
そして8月28日。
おママは自ら文藝春秋の間から落ち葉のハガキを発見したようです。⬇︎
私はまずはハガキが見事に平らになった事を喜びました。
そしておママが発見出来て良かった‼️
落ち葉を飾るパーツの元はこちら。⬇︎
ロッテのチョコレート菓子の箱らしい…。
舞台写真を買うと、必ずこの袋に入れてくれます。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。