(2020年3月16日 アルツハイマー型認知症の診断から約13年1ヶ月)
*7月24日金曜日
梅雨も開けないまだ7月の昼前。
おママは朝から何をするでもなく、無気力に過ごしておりました。
そして、おママが望んだことと言えば、
「外を一回り歩きたい」
でした。
ジジとしては、これはちょっと困った事でした。
なにせ、認知症歴13年のおママは最近自分の名前すら覚束ない。
1人で外を歩かせるわけにはいかないのです。
天気も良くない。
ジジはシルバーカーを押しながらでないと外を歩けません。
雨が降れば傘がさせないのです。
しかも、私が最寄駅に着いて電話がきたら、買い物を頼まなければなりません。
「天気が良くないし、チャーコもそろそろ来るからダメ」
とジジは諦めさせようと言いました。
しかし、そんなことを言われて飲み込めるおママではありません。(^◇^;)
暫し、この押し問答が続いたとか…。
しまいにおママは、
「そんなこと言っていたら、私は動けなくなるから、
もう死にたい❗️」
という始末…。
さすがにジジも困惑気味。
「何も出来ないなら死にたい。」
言い張るおママに、ジジはこう言い聞かせました。
「無理に死ぬことは、決してやってはいけない事なんだよ。」
「死ぬ時は、たぶん一緒に死ぬんじゃないかと思うよ。」
そうしたら、おママはようやく黙りました。
*「死にたい」の意味
この話をジジから聞いて、私が最初に思ったのは
「おママは死と言う概念がはっきりと意識できているのか…」
と言う事でした。
日常使う箸や茶碗、ポピュラーなバナナやリンゴのような果物でさえ、実物と名称は結びつかなくなっているのです。
トイレに自ら入っても、その排泄の場が「トイレと言われている」事は分からない。
ちょっとした感情表現も言葉で言い表せなくなっているのに、
「死にたい」
を的確に言葉にできたなんて❗️
私は軽く殴られたくらいの衝撃を感じました。
*どちらも大切だが
今でもですが、これから、おママはもっとアルツハイマー型認知症の症状が進んでいくでしょう。
きっと、自分で口に食べ物を運ぶ事も、トイレに行く事もできなくなると思います。
それは遠くない将来です。
おママは何も分からず、動けず、何も出来なくなったら、もっと「死にたい」と思うでしょう。しまいには思う事すら出来なくなるかも知れません。
こうなってくると、おママの「生命の質(QOL Quality of Life)」はどうなるんだろう。
「生命の質(QOL Quality of Life)」
人間としていかに生きているか。生きている状態の質を重視するべきという考え方。
医学用語的には、尊厳死を考える上で対立する概念として、
「生命の尊厳(SOL Sanctity of Life)」があります。
こちらは生きている人間の生命そのものが神聖であり、生命は尊いものである。だから、いついかなる状態でも死を選ばず生を選ぶという考え方です。
「QOL」については、6月に自宅で看取ったクレバァの癌闘病の時にも常に思い考えた事です。いかに、残された時間を、クレバァが日常の中でクレバァの願う通りに過ごしていくか。これは本当に、大切な事だったと思います。
でも、同時に「生命の尊厳」は絶対に大事だと思うのです。
「無理に死ぬことは、決してやってはいけない事なんだよ。」
ジジの言う通りだと思います。
どちらも尊重されなければならない事です。
でも、介護者の立場から考えると、私はやはり「生命の尊厳(SOL)」に重きを置かざるを得ません。
ジジはポツンと私に言いました。
「おママも、やれることが一つでも有れば、生きられるのではないか?」
あぁ、そうかも知れない。
やはり、ママが今も辛うじてやっている事を、続けていくしかない。
そう思いました。
(↓)用語について、参考にさせて頂きました。
http://ai-medica.jp/blog/2016/0420_211834.html
*本日アップの貼り絵
3月16日制作ですから、かれこれ半年前の作品です。
この日のおママがとても意欲的で、下記の記事(↓)の貼り絵もやったのですよ。(^O^)
材料はお馴染みの「小津和紙」で2月に買った千代紙です。
この千代紙はまだ充分残っているので、又おママに使ってもらいたいです。
実はこの作品の制作途中の写真を撮っていなかったのです。がっかり…。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。