(2018年10月 5日 アルツハイマー型認知症の診断から約11年8ヶ月 )
*そのままを楽しむ
この日(10月5日)、昼前に実家に着くと、おママは上の2枚の貼り絵を制作していました。
見た感じでは、印刷された葉のイラストを大雑把に切って貼っただけです。
一瞬、(おママ、手抜きですか〜?)と言いたくなりますが、恐らくこれにはおママなりの理由があると思います。
葉のイラストは透明水彩絵の具で書かれたものでしょうか?
植物本来の色とは違うかもしれませんが、瑞々しさすら感じさせます。
「綺麗な葉っぱですね」
「そうね…。」
おママは糊を付ける手を止めずに微笑みました。
おママが葉を単純に並べた理由について、私なりに考えてみました。
この葉のイラストは、オネコがくれた演奏会のチラシから切り抜いたものです。
こんな形で残されていました。⬇︎(表面)
⬇︎(裏面)
⬇︎こちらのサイトでチラシ全体を見ることができます。
おママはこのチラシが、とても気に入ったのだと思います。特に葉のイラストに心を奪われたのでしょう。だから、なるべくチラシの雰囲気をハガキに移動し、残しておきたかった…。
それでも、元の演奏会チラシのままではなく、葉をハガキに配置する時に、並べる順番を変えているのが、おママの工夫だったと思います。
ここで、もう一つ問題になるのは、文字の扱いです。
おママも少々悩んだと思います。葉の上に被っている横文字は残さざるを得ません。
では、それぞれの葉の下に記載されている曲名等はどうしましょうか?
結局、おママは絵と文字をセットで残しました。文字は葉のデザインの一部である。そう解釈したのではないか?
しかし…。
(曲名や作曲家名を残した事には、別の理由が含まれていたの知れない。 )
私がそう思ったのはこの直後でした。
*読んでみましょう。
最近のおママは文字が書けなくなってきました。あまり書く気力もないようです。
それでも読む力は残しておきたい。
そう思うのは、おママではなく、私の願望です。
だって、平仮名、片仮名、簡単な漢字くらい読めた方が生活しやすい。それに非常時の伝言メモやが読めなかったら、おママ自身、困るでしょう。
でも、もう、おママは大人が読むような本や雑誌の記事は気力が続かず読めません。
それで夏頃に、私は娘が幼い頃に読んでいた絵本を実家へ持って行き、おママに音読してもらおうと思いました。文字数も少ないから読み通せるのではないかと思ったからです。私が子供の頃、おママは良質な絵本をたくさん読んでくれましたから。
しかし、現在のおママは絵を見て喜ぶのですが、今ひとつ読む気になってくれませんでした。
この貼り絵を見ながら、私はふと思いました。
(おママは読めるかな?)
それで真ん中の赤系の葉を指差して「これ読める?」と問えば、おママは表情を変えずにサラッと答えました。
淀みなく、まるで何度か練習したような、完璧な読み方です。
私が他の葉も指差すと、
「べるでぃ、歌劇、運命の力、序曲」
「はちゃ、なんとかかんとか、バレイ音楽、ガイーヌより、バラの乙女達の踊り」
長い片仮名の名前はいい加減ですが、ほぼ完璧です。漢字はほぼ正解。
「素晴らしい。」
「当たり前でしょう。」
私からすれば、当たり前ではありませんよ。(°_°)
日頃のおママは単語が消えてしまい、会話は「あれ、それ、これ、どれ」を連発して、なんとか成立させているのですから。
おママは貼り絵をしながら、何度か文字を黙読し、反芻していたのかも知れません。
読みながら、記憶の奥に眠っていたイメージを呼び起こし、それが音楽の曲名なのだと認識できたからこそ、文字も貼り絵に残したのではないか?(^O^)
考え過ぎかな?
*暮らしの中の文字を拾って
私の知らないうちに、おママは暮らしの中で一生懸命に文字を読んでいるのかも…。
私が薦めた絵本は、プライドの高いおママには子供っぽ過ぎて読みたくなかったのかも知れない…。
それに物語性のある絵本では、前のページの記憶が残らないから、おママには苦痛でしかなかったか?
これは、あくまでおママの例に過ぎませんが、
絵本に限らず、例えば、お菓子や食品の包装材に印刷されている文字や、広告の見出しなど、暮らしの中で目にする文字を、おママと一緒に読むと会話も進んで良いように感じました。
一緒に読み上げて、重なる声はハーモニー。良いひとときでした。
⬇︎気に入った紙の柄をそのまま切りぬき、並べた作品の例です。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。