(2021年1月6日 アルツハイマー型認知症の診断から約13年11ヶ月)
*アメリカ杉に捧ぐ(小話)
ある所におさるという小さな女の子がいた。
おさるは毎日2階の子供部屋の窓から、ぼんやり外を見るのが好きだった。
窓から外を眺めて、何かいい事や面白い事がある訳ではない。それでも眺めるのは、他にこれと言って何かいい事や面白い事がある訳ではなかったからだ。
おさるの頭の中は白くて薄い霞が掛かったように、呆として虚無だった。それでなければ取り止めもなく空想の世界に生きていた。
おさるがぼんやりと窓から見ていたのは、ブロック塀と家の間に植えられている木だった。その名は知らない。
真っ直ぐに空を目指すかの如く凛と立ち、その木はブロック塀に遠慮するかの如く、おさるの部屋の窓の高さで枝を張っていた。
おさるは当初、その木に別段興味が有った訳ではない。しかし、枝や深い緑の葉を見ると不思議な安心感があった。秋に葉を落とす木ではなかったから、季節で姿を変えない。それも小さいおさるの心には丁度良かったのだろう。通風のために窓を開ければ、まるで風が木の枝から吹いてきた。
しかし、毎年夏の終わりだけは迷惑だった。住宅地の中で蝉には丁度良い木だったのだろう。ヒグラシやらツクツクボウシが無数に留まり、陽が翳り始めると一斉に鳴き出すのだ。暑さ疲れで昼寝をしていたおさるは何度その破壊的な鳴き声に飛び起きたことか。
おさるが小学生の頃、華奢な身体にはランドセルがとても重かった。下校時、通学路の終盤に長くて細い坂道がある。それは途中カーブしているのだが、曲がったあたりから登り切る先の正面に我が家が見えるのだ。そして例の木はまるで旗印のように立っていた。おさるにとって学校は居心地の良い場所ではなかったから、我が家の木を見ると、安堵感で満たされた。
この木がいつ植えられたのかは定かではない。でも父の記憶では、元々の土地の所有者が貸家を建てた時に植えたのだろう。それは戦前、戦中だろうか。一家が住み始めたのが戦争末期だから、その頃から同じ場所に存在していた。恐らく学生だった父が見ていたのは、もっと細くて若かった木なのだろう。
おさるが本を読み、あれこれ空想の世界に具体的な輪郭を形成できるような年頃になると、その木が家のお守りとか、主のような気がしてきた。在って然るべきもの。なくてはならない存在だった。
おさるは別に猿ではなく人の子である。「人まねこざる』という絵本に出てくる小猿のジョージに風情が似ているだけで、母や姉から「おさる」と言われた。可愛がられていたのだろうが、幼く心が弱くて「おさる」を受け入れざる得なかったのは、子供心に悲しかった。
だが、おさるは成長と共におさるではなく人間の娘に見えるようになった。そしておさるの背が伸びるように、その木もどんどん高くなり大きく枝を張り始めた。子供部屋の窓から見えるのは、木のてっぺんではなく、太い幹になった。
おさるはやがて娘時代を謳歌し始めた。外の世界が楽しくて窓辺で佇む事もなく、枝や葉を眺めなくなった事を、その木はどう思っただろうか。おさるの成長を微笑ましく見守っていたかも知れない。
月日は流れ、おさるは嫁いで数年経った頃、久しぶりに実家へ帰ったら、父から衝撃的な話を聞いた。
「アメリカ杉が大きくなり過ぎると困るから、幹のてっぺん、頭を植木屋にちょん切ってもらったよ。お陰様でもう背は伸びない。」
その木はおさるが見ていなくても、着々と大きくなっていた。そして、人との共存のために頭を切らされた。おさるは自分の身体にノコギリを当てられるような痛みを感じて窓辺に走ったが、木はそこに青々とした葉を茂らせて生きていた。
「あなたはアメリカ杉だったのね。」
おさるはこの時初めて、木の名を知った。子供の頃に何度も父に聞いて「分からない」と言われてきたのに。きっと、誰かに聞いてアメリカ杉と分かったのだろう。
おさるは子育てを一段落させて、高齢の父の仕事を手伝うために頻繁に実家へ通うようになった。アメリカ杉の背は、もう伸びない。しかしおさるが太るのと比例するように、アメリカ杉の枝は太くなり横に広がっていった。
認知症になった母はよく窓を開ける。夏や冬のエアコンのために、おさるは母を追いかけるように窓を閉めていた。ある時、かつての子供部屋の窓辺で母がじっとアメリカ杉を眺めていた。
「こんなに大きくなっちゃって、立派になったわね。」
母がいつの時分との比較で言っているかは不明だが、おさるはそんな母が微笑ましく、やはりアメリカ杉は家の御守りなのだと思った。
しかし、アメリカ杉は横に大きく広がって、枝は切っても切っても小枝が伸びていく。
御守りとか主とか言う以前に、生きているのだ。その証に電線に触れるほど葉を茂らせた。
ある寒い冬の日、93歳になった父が衝撃的な事を言った。
「アメリカ杉の枝が電線に当たって何か事故が起きたりするといけないから、私が元気なうちに根本から切ってしまおうと思う。」
実家の土地建物の所有者である父が心配するのも理解できる。これを相続する予定の姉も大賛成となると、おさるにはほとんど反論の余地がない。
「切るんですか…、あの木を…。お父さん、良いんですか。」
「いいとも、切りたい。」
結局翻意は難しく、姉が植木屋を手配して、とんとん拍子に話は進んだ。そして、2週間後にアメリカ杉はあっけなく切り倒された。当日、恐ろしかったので、おさるは全てが終わった後に実家へ行った。切り倒された跡を目撃した時、おさるは胸に強い差込を覚えた。
この喪失感は大きかった。
それから実家の門を入ると、在るべきものが、在るべき所にない。
この事がおさるの気持ちを沈ませた。それだけでなく、歴然と体調が悪くなった。寝ても寝ても疲れは取れず、常に頭痛があった。
「やっぱり、もっと強く反対すれば良かった。」
しかし後の祭りだ。おさるは胸が苦しくて、アメリカ杉の切り株に近付くのも憚られた。
1ヶ月くらい悶々としていたおさるは、ある晩に夢を見た。
おさるは森を歩いていた。
鏡がないから自分では確認できないが、どうもおさるの姿は小猿のようだ。
いつも森を移動する時に、おさるは大きなアメリカ杉を目印にしていた。しかし、行けども行けどもそれが見つからない。迷った末におさるは四つ足で走って引き返してみた。
すると、本来、おさるが目印にしていたアメリカ杉は伐採されて切り株になっていた。
「どうして、こんな姿になっちゃったの?」
おさるは道標を失い途方に暮れた。
「このアメリカ杉がなくなって、私はこれからどうすればいいのよ。」
おさるは切り株にしがみ付いて、さめざめと泣いた。すると切り株から声がした。おさるは驚愕のあまり飛びのいたが、気を取り直して切り株に耳を当ててみた。
「なくなってはいないよ。」
「でも、幹も枝も葉もない。」
「それでも、根はしっかり土の中にあるよ。まだ、生きているんだから。それに見えない所に存在するものもだってあるんだよ。むしろそれが重要だったりしてね。形としてはなくなってしまったけど、幹や枝や葉は心の中にあるんじゃないか。」
声はそれっきりしなくなった。おさるが涙を拭きながら切り株から顔を上げた時、目が覚めた。
そうだった。
切り株の下に、根はどれだけ伸びているだろうか。それは今も深く広く根付いているはずだ。目には見えないけれど、まだ生きている。そう思うと、おさるの心は少し軽くなった。
それに、学校から帰る時の旗印、そして窓から眺めたアメリカ杉の姿は、今もおさるの心に残っているのだから。
おしまい
*ノンフィクションのアメリカ杉。
長々とした文章で申し訳ありませんでした。一部フィクションです。
物語を書くのは難しいですね。これが今の限界です。(^◇^;)
以下はノンフィクションです。(^。^)
こちら(↓)の過去記事でも触れましたが、実家の敷地内にあった大きなアメリカ杉が2021年1月29日に切り倒されました。
私にとっては実家のシンボル。
ちょっとばかり、精神的にこたえました。
(↓)その最後の姿を留めたかった。
(↓)輪切りにされて、植木屋さんが引き取っていきました。
直径40センチは余裕でありそうです。
結構、私にはキツかったのですが、次に実家へ行ってみると、オネコさんが植木鉢の台にしていましたわ。( ´ ▽ ` )
*本日アップの貼り絵
年輪と凛と立つアメリカ杉の魂を感じて選びました。
「お題方式の貼り絵」です。私が用意した「お題パック」はこちらです。(↓)
私がいない時に制作されたので、これは推測ですが…。
おママは下の(↓)貼り絵の残りを使って制作したと思われます。
(2021年1月4日 アルツハイマー型認知症の診断から約13年11ヶ月)
*「お題方式の貼り絵」と「お題パック 」について
一昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それで、あらかじめ私が「お題」と称して何種類かの紙を用意することが多くなりました。その他に組み合わせする紙片をおママに選んでもらってから、切り貼りを楽しんでもらうようになりました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。
私が実家に行かない時でもおママが貼り絵に取り組みやすいように、「お題」と台紙にするハガキをチャック付きのビニール袋に入れておく。これが「お題パック」です。
おママの貼り絵を見て下さり、ありがとうございます。