(2021年12月12日 アルツハイマー型認知症の診断から約14年10ヶ月)
*レギンスの下に?
よくある事ですが、昨日(2月18日)のおママのファションは寝巻きコーデでした。
まぁ、それはいいのです。上にセーターなどを着ていますから。下はというと、普通の茶色のズボンを履いていました。それで私は寝巻きのズボンは脱いだのかなと思っていました。裾を捲ってみたらレギンスを履いているので、おママが自分で着替えたなら優秀です。
午後はお薬が少なくなってきたので、掛かり付けのクリニックへ行く予定でした。それで、出掛けにおママにトイレに行ってもらいました。
すると、おママがひどく上げ下げに手間取っています。私は手伝おうと手を出すと、驚くべき事実に気がついたのです。
「レギンスの下に寝巻きのズボンを履いてる!」
レギンスってズボン下の代わりになるし、温かいからこの季節に重宝です。しかし、肌にピッタリフィットするものなので、寝巻きのズボンの上に履くとしたら、それこそ窮屈で至難の業だと思うのです。ゴソゴソして歩きつらいでしょう。
(暖かい部屋に戻ったら、着替えてもらって寝巻きのズボンを脱いでもらおう。)
ところが…。
*脱ぎません
おママはズボンはするりと脱いでくれたのに、レギンスは脱ぎたがりません。(A)
「なんで?いやです。」
「寝巻きのズボンを脱ぎましょう。」
私は強引におママのレギンスを下ろすと、なんと,寝巻きのズボンの太もものところに大便のシミがついているではありませんか❗️
これを見つけたからには、私には途中でやめる選択はありません。(B)
「あ、寝巻きのズボンがウンチで汚れているから、洗濯しなきゃね。さ、脱ぎましょう。」
私がそう言った途端、おママは激昂しました。自分でも大便のシミに気がついたのか。
「そんなことはありません❗️ちがうの❗️」
と言いながら、ご丁寧にその汚れた部分を手で隠そうとしました。(C)
「あぁっ!そこ触らないで。さ、脱いでください。」
私が手早く寝巻きのズボンを下げようとしたら、
「やだって言ってんでしょ、やめなさい」
と足をバタつかせて、屈んでいる私の手を振り解こうとしました。
「あなたはなんでそういうことをするんですか❗️やめなさい❗️」
「この寝巻きのズボンが汚れているから着替えましょう。」
「いや❗️」
そしておママは目を三角にして私に拳を振り上げました。
「やめないんなら、こうしてやるぞ❗️」
中止しておママの言いなりになるか?
私は一瞬迷ったのですが、屈しない方を選択しました。(D)
「お母さん、そんなこと言わないの。やめなさい。」
ジジが仲裁に入ろうとしたのですが、激昂するおママは更に拳を振るっていきり立ったのです。
「やってやる❗️」
私は万一の時を考えて,一応メガネを外してテーブルに置きました。そして、怒鳴り返しました。
「そんなにやりたければ,やってみろ❗️」
するとおママは拳を震わせながら叫びました。
「や、やらない❗️」(E)
「やってみろ❗️」
「やらない❗️」
「それなら、着替えましょう。」(F)
「やだ❗️こうしてやるから❗️」
おママは今度は手近にあった椅子を両手に持って私めがけて振り上げようとしました。
「お母さん、そんなことはやめなさい❗️」
ジジはおママの腕を掴んで止めようとしましたが、ジジの方が私よりよほど危険です。
「お父さんは危ないから退いて❗️」
私はジジに下がってもらい、おママに再び向かい怒鳴りました。
「そんなにやりたければ、やってみろ!」
するとおママは椅子を床に下ろして、暫く床をゴツゴツと鳴らしていました。
通常、おママの記憶は1分と保ちません。
少しフェードアウトしたところで、私はおママに話しかけました。(G)
「汚れが見つかったのでお着替えしましょうね。」
おママはまだ目を釣り上げていましたが、今度は折れてくれました。
なんとか着替えは済んで、汚れた寝巻きのズボンを漂白剤に浸けることに成功したのです。そして、おママとの車椅子のジジと一緒にクリニックへ出発しました。
認知症の親に拳を振り上げられて怒鳴られた。
それをこちらも「やってみろ❗️」と怒鳴り返した。
ショックと罪悪感が綯い交ぜになって、私は頭にカーッと血が上るし、ジジの乗った車椅子を押してクリニックに着いてからも、心臓はバクバク音を立てていました。
*どうしたらよかったのか?
クリニックでは診察の時に血圧を測ります。
ジジは上が163でした。
「今日は高いですね。」
先生に言われてしまいました。本人は「デイサービスではもっと低いです」と主張していました。
「そうですか、今日はたまたまなんですかね。」
先生がそう仰った時に、私は心底反省しました。先ほどの修羅場を目撃して、ジジの血圧は上がってしまったのでしょう。
「先生、出掛ける前に私と母の喧嘩を見た影響だと思います。」
「そうなんですか…。」
先生は少し笑っていました。私としたら全く笑えません。
当のおママときたら、上の血圧は124、下は90。癪に触るほどいい感じです。
私は鉛のように重い疲労感に襲われました。そして、それは罪悪感と自己嫌悪が一緒こたになっていたのです。
どこで、どう間違ったのだろう。
書きながら頭を整理して考えてみたいです。
レギンスは脱ぎたがりません。(A)
恐らく、おママは寒いのに脱がされるのが嫌だったのでしょう。その気持ちはわかります。私が考える「良かれ」と思うことが、おママにとって嫌と感じる場面は多いです。
私には途中でやめる選択はありません。(B)
もし、大便の汚れがなかったら、私は途中でやめていたかも知れません。
しかし、この汚れは他の部分にもついている可能性だってあります。親が大便の汚れが付いた衣服を着ている事自体、私には衛生的に問題だと思いました。
と言いながら、ご丁寧にその汚れた部分を手で隠そうとしました。(C)
おママは恐らく大便の汚れを見て「マズイ事をした」と直感したのだと思います。そのおママの羞恥心を逆撫でするような「ウンチ」発言はマイナス効果だったと反省しています。
私は一瞬迷ったのですが、屈しない方を選択しました。(D)
拳を振り上げて威嚇するおママに屈する、屈しない以外の選択肢はなかったのか?ここが一番問題だったかも知れません。1日経った今考えれば、
「まぁ、まぁ、落ち着いて、大丈夫だから」
と宥める方法もあったのではないかと思います。
「そんなにやりたければ,やってみろ❗️」
するとおママは拳を震わせながら叫びました。
「や、やらない❗️」(E)
実際、おママは拳を振り下ろす事はありませんでした。「や、やらない!」と言うのも、私の言葉の反対を言いたかっただけだと思いますが、おママなりの躊躇だったのでしょう。後で、オネコにこの事を話したら、
「やはり、もう小さい子と同じだから、威嚇されたら、やはり怖いと思うのよ」
と言われました。確かに、こうして文章に起こしてみると、おママも私を威嚇しましたが、それを同じ土俵に立って私が威嚇し返すのは如何なものか。
おママがせっかく堪えているのに、さらに挑発するような事を言うのはよくなかったのかも知れません。
ただ、この時は、毅然とした態度を見せるのも大事なのではないかと考えたのです。今思えば、私が毅然とした態度をとっても、おママの記憶には残らないので、無駄だったのでしょうか?
「それなら、着替えましょう。」(F)
まだおママはイキリ立っていたのです。その状態で蒸し返しては完全に逆効果だったのでしょう。この後、おママが椅子を振り上げようとする行動は、この一言がなければ起きなかったと思います。
少しフェードアウトしたところで、私はおママに話しかけました。(G)
おママは1分間すら記憶を保つ事はできないのです。結局、フェードアウトするために、別の楽しそうな事で気を逸らす工夫が必要だったのです。
一連の事を防止するには、それに尽きるのかも知れません。
最近のおママは「話せばわかる」と言う時期は過ぎて、「話してもわからない」のです。私としてはおママへの対応について明確な答えが見出せません。それに、時と場合によっては対処法を変える必要があるでしょう。
きっと今後も悩む事は多いだろうと思います。
長々と私の繰言を読んでくださり、ありがとうございます。
まぁ、ゴジラの親子喧嘩だったと思いますわ。(^◇^;)
(↓)昨年、おママがデイサービスで拳を振り上げた
*本日アップの貼り絵
「お題パック」を使っておママが1人で取り組んだ作品です。
*「お題方式の貼り絵」と「お題パック 」について
一昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それで、あらかじめ私が「お題」と称して何種類かの紙を用意することが多くなりました。その他に組み合わせする紙片をおママに選んでもらってから、切り貼りを楽しんでもらうようになりました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。
私が実家に行かない時でもおママが貼り絵に取り組みやすいように、「お題」と台紙にするハガキをチャック付きのビニール袋に入れておく。これが「お題パック」です。
(↓)「お題」はこちらです。
(↓)材料となった紙について
(↓)関連作品です。
おママの貼り絵を見てくださり、ありがとうございます。