(2020年1月6日 アルツハイマー型認知症の診断から約12年11ヶ月)
*今もあの揺れは…。
東日本大震災から9年が経ちました。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
9年…、来年には10年になります。
月日の経つのはなんと速いのでしょう。
あの日、私が体験した揺れは、東北とは比べものにならないでしょう。
それでも、生涯忘れられないです。
実家は築80年以上のオンボロ木造家屋。14時46分に発生した揺れで倒壊しなかったのは幸いでした。バリバリと音を立てながら激しく揺れて、後1分でも長く続いていたらどうなっていたか分かりません。
その揺れはテレビで震災の映像を見ると蘇ってきます。
東京に居た私でさえ、これなのです。
未曾有の被害に遭われた地域の方々の、3月11日に対する思いは計り知れないと思います。
*今年の3月11日
毎年、3月11日の14時46分に、私は黙祷をします。
今年は実家でおママとテレビのあるダイニングにいました。ちょうどNHKがついていたので、首相官邸で行われた「東日本大震災献花式」の中継に合わせて黙祷しようと思いました。
さぁ、中継が始まったぞ…。
テレビの前でお茶を飲んでいたおママも、画面が急に追悼モードになったので、何か始まると思ったようです。
「どうするの?」
「2時46分になったら皆んなで黙祷するのよ。」
「へぇーーー。」
おママは妙に感心した表情をしました。
テレビの中で『ご起立ください』と言ったのを聞き、
「ね、立たなきゃいけないの?」
とおママは神妙にしています。
「起立」という言葉が「立ち上がる」事を、おママが理解しているのに少し愕きました。
(おママさん、今日は冴えているじゃないか⁉️)
「座ったままでいいわよ。」
私が言うとおママは座ったままで
「やっぱり手を合わすの?」
「……………。」
私、この時、驚きました。
ここ1、2年、おママは急速に言葉や単語の意味が理解できなくなったし、言葉で表現することが難しくなっています。
それでも「黙祷」と聞いただけで、静かに祈りを捧げる行為だと理解できていたようです。
「祈る」「悼む」心はおママの中にしっかり根付いているのだわ。
私は胸が熱くなりながら、合掌するおママと1分間の黙祷をしました。
終了すると、おママったら…。
「ああ、終わった…。何だかよくわからないけど。」
「祈る」という事は分かっても、何に対してかは、やはり理解できなかったようです。
仕方ありませんね。
9年前のあの日、おママは既にアルツハイマー型認知症歴4年でした。
直後はかなり動揺していたのですが、その日のうちにあの凄まじい揺れは忘れてしまったのですから。
でも、おママ…。今年は一緒に黙祷できて良かったなぁ。
私は忘れないよ。9年前の3月11日も、今年の3月11日もね。(^O^)
*あの日のアズキ
当時、まだ高校1年だったアズキは学年末試験で昼にはに帰宅予定でした。
ところが、試験期間中だというのに、アズキの奴ときたら…。帰宅後1人で上野のヨドバシカメラにウォークマンを買いに行ったのです。
私に「試験が全部終わってから買いに行くように❗️」と諭されていたにもかかわらずです。
そして、14時46分。
新しいウォークマンを手にウキウキしていたアズキは銀座線の上野駅のホームで地震に遭いま
した。
「ホームが大きく波打っていて、立っていられなくて階段の手摺にしがみ付いたの。」
地下鉄のホームが縦方向に波打つ…。
激しい揺れと信じられない光景にアズキは思ったそうです。
(親の言うことを聞かなかったから、バチが当たったんだ…。)
その深い反省の心はともかくとして、
東日本大震災の強い揺れは、若いアズキにとっても一生忘れられない体験になったようです。
*本日アップの貼り絵
「お題方式の貼り絵」(注)だと思います。(^O^)
自分でお題を出しておいて、何を言うかと笑われそうですが、
1月6日月曜日に出した「お題」↓はおママに見向きもされず、そのまま放置されたようです。
しかし、1月8日水曜日の昼前に私が実家に行くと、既にこの作品は出来上がっていました。
「お題方式の貼り絵」は「お題」が数日放ったらかしにあったり、おママに片付けられてしまう憂き目もあり、なかなか上手くいかない事があります。
取り敢えず、この「お題」は素敵な作品になって良かったです。
(注)昨年の夏ぐらいから、おママは貼り絵に使う紙を自分で1から探して選ぶ事が難しくなってきました。それが出来ない時が増えてきました。それで、あらかじめ私が作業机に何種類かの紙や切れ端を出して置き、まるでおママが貼り絵をやり掛けていたと思えるようにお膳立てをする事が増えました。私はこれを「お題方式の貼り絵」と呼んでいます。
おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。