(2009年7月24日アルツハイマー型認知症の診断から約2年5ヵ月)
*東京大空襲を知っていますか?
私は現在台東区に住んでいます。
ここは1945年3月10日未明からの東京大空襲で大きな被害があった地域です。
今は、昭和,平成を超えて令和の時代ですから、若い方には教科書に書かれた歴史用語の1つでしかないかも知れません。
でも、その五文字は未曾有の火炎地獄だったのです。
(↓)総務省のHPから引用しました。つまり、これが公式の概要でしょう。
3月10日東京大空襲
昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有(みぞう)の大被害を被った。東京大空襲と呼ばれるこの空襲は、夜間に住宅の密集地を目標にして、約1700トンもの焼夷弾を投下し、根こそぎ焼き尽くすというものであった。
一晩で10万人の無辜の民が焼き殺されるって、想像できますか?
若い頃の私には出来ませんでした。
ダンナの家は3代前から台東区民ですから、一家はまさにその夜の惨禍に遭遇していました。以前、体験談をダンナの祖母から聞く機会がありました。
身内の人間の言葉で聞くと、東京大空襲が自分の中で真実味を帯びてくるものです。
ブログを始めた頃から、自分なりに東京大空襲について考えて、その戦災遺構や戦災樹木を訪ねて記事を書く事をライフワークと考えて続けてきたのですが…。
今年は更年期の体調不良で、全く準備ができませんでした。
嗚呼、情けなや。(TT)
*証言記録が新たに公開された
最近、東京大空襲関連で次のような記事をネットで見つけました。
都は1990年代、当時建設を計画した「仮称・都平和祈念館」で展示することを目的に、330人分の証言をビデオ収録。しかし祈念館の展示内容を巡り都議会が紛糾したことなどから計画は凍結された。映像は一部を除き非公開の状態が続いた。都はその後、同意が得られた分について公開する方針を示していた。都生活文化スポーツ局によると、2023年6月現在で330人のうち138人から回答が得られ、122人が同意した。
まずは東京都がそんなに証言記録をビデオ収録していた事に驚きました。そして、それを非公開のままお蔵入りしていたのも残念です。
(↓)こちらの記事はその経緯が詳しいです。
しかし,ビデオ収録した当時、「仮称・都平和記念館」での公開が条件で集められた証言記録だった事を考えると、それ以外での公開をするなら、御本人もしくはご家族の同意の再取付はやはり必要でしょう。証言の中には個人情報的な内容み含まれているかも知れませんしね。
私からすると、東京都が貴重な体験談を公開する方向でその作業を進めていたのは良かったと思います。それが全体の三分の一だとしても、もう現在では得られない貴重な記録です。今後、少しでも多くの証言が公開されて欲しいです。
(↓)公開期間はもう残り少なくなりました。今回は私も行けそうにありません。
また、公開の機会がありますように。
*過去記事
(↓)主に焼夷弾について
(↓)浅草寺、上野公園の戦災樹木について
(↓)2022年3月に描いた絵の再掲載です。「平和への祈り」
*本日アップの貼り絵
2009年7月24日に制作されました。
おママが特別養護老人ホームに入所した時に持たせた作品ファイルに収納した作品の一枚です。
おママの貼り絵を見てくださり,ありがとうございます。